アウラ-オーラ放課後←今ココ(地味に更新なう)
クラシック音楽について考えると考えてる事象が多重的になるからややこしい。と、思ったけど音楽なら一般的にそうなるか。#popuon
2011-01-25 00:32:53単純ですが「ひびき」ですね。それと時間軸上の推進力とは違いますが、ある種の「主音」あるいは「根音」との音程の緊張関係の変化から波がうまれます。@y_ymj 推進力が働かないという意味ではフォースではないかもしれませんが、ここに感じられる魅力を何と呼べばよいのでしょうか。
2011-01-25 00:42:40@skmt09 さんの「アウラ」の議論#popuonの主題からそれるけど、「複製技術時代の芸術」にある芸術の「遊技化・政治化」の核心部分が、アートプロジェクト花盛りの昨今、何故もっと語られないのか気になります。
2011-01-25 01:31:58@skmt09 教授による「フォース」についての発言が、またいろいろとつながり始めました。ありがとうございます! RT 単純ですが「ひびき」ですね。それと時間軸上の推進力とは違いますが、ある種の「主音」あるいは「根音」との音程の緊張関係の変化から波がうまれます
2011-01-25 06:48:11@skmt09 おそらく #popuon に集った方々の多くは音楽的魅力の「秘密」に関心があったのではないかと思います。音楽的魅力は「旋律」「和声」「音色」「グルーヴ」「ひびき」など無数の要素から構成されていて、それらの複合体としての音楽をその根底から推進させる力が「フォース」。
2011-01-25 06:53:16@skmt09 今のところは「フォース」という概念をそのようなものとして捉えています。また機会があれば、教授が考える音楽的魅力の「秘密」をお聞かせいただけるとうれしいです!
2011-01-25 07:00:18Eno「…大量の選択肢があると、時間さえあればその中から答えを見つけることができるんじゃないかと考えてしまう。でも、私の経験上それはあり得ない。答えはそれが何であれ自分の中にある。」http://bit.ly/5Ywrkl #popuon
2011-01-25 07:24:46#popuon のTLを読んでいたら、Brian Enoの2009年8月のインタヴューをあらためて読み返したくなった。音楽そのものの「現在」を考える上で示唆に富んだ記事。http://bit.ly/5Ywrkl
2011-01-25 07:28:20自然や音楽にフォースや美を感じる時、それは外(object:対象)にあるのか、内(subject:私)にあるのか、内と外の「場」における関係性全体にあるのか。私個人の見解(実感)は「o→sの関数 f(s, o)≒認識」 #popuon
2011-01-25 07:47:42坂本 龍一( @skmt09 )さんとの、アウラ(オーラ)やフォースについての議論の場 #popuon の発端となった方から返信頂いた。「ネットでできること」について、ハッとさせられた一件だった。リアルタイムで交わされる議論にワクワクする感じ、これも「アウラ」と関係あるかな。
2011-01-25 18:00:16@Hiroto_OOISHI はっ!!私ってどうしてこんなにおっちょこちょいなんでしょう…(´・ω・`)3月までには絶対に完成させますので、お待ちいただけると嬉しいです。また#popuonで議論しましょう。
2011-01-25 18:25:45不思議だな。アウラ~オーラ~フォースの議論は「関係性」の話とつかず離れずに見える。音楽(乃至芸術全般)がコミュニケーションツールのヴァリエーションとして位置づけうるのとどことなく重なる。 #popuon
2011-01-25 21:34:47音楽における「新しい」ものの要素って、もしかしたら全て「伝え方」において「新しい」と言えるのかもしれない? RT @nabmr: 複製技術ではなく情報技術の進歩に焦点を合わせた切り口 #popuon
2011-01-25 21:39:03たとえば、おそらくすごく大昔には「音程を合わせて合奏する」ということは原理的に全く不可能なこと、と思われていたのかもしれない。寸法に基準を設けて楽器を製作することでそれが可能になると発見されてからの音楽のあり方は、それまでとは全く異なる様相を帯びたことだろう。 #popuon
2011-01-25 21:45:52今のわたしたちにとってはごく当たり前のことだとしても、その時代の人々にとって「根本的な変革」とも思われるような要素の出現は、その時代の人々をさぞかし戸惑わせたことだろう。 #popuon
2011-01-25 21:48:04教授のやろうとしていることが現代的な意味でそれに当たるのかもしれない、って言ったら買いかぶりすぎ? #popuon
2011-01-25 21:49:02少なくともUstなニコ生の動画配信がライブと同等の価値(というかオーラ乃至フォース)を持つのかどうか、とこれほどの議論になってしまうからには、そういう要素があるような気がする。 #popuon
2011-01-25 21:50:45でも、だからと言って、新しいメディアで配信される形式についていけるかどうかだけで「新しいものが理解できる」かどうか、と決め付けてしまうのもなんだか短絡的な感じがするわけで。 #popuon
2011-01-25 21:52:20だからこそ教授は、伝達形式がどうであろうと、作品に内在するものはある、と主張している……という理解で妥当なんでしょうかねぇ? #popuon
2011-01-25 21:54:32んー?なんか昔スネークマンショーで聞いた「いいものはいい!悪いものは悪い!」というネタとどこか重なるような気が?(笑) #popuon
2011-01-25 21:55:38わたしたちはベートーヴェン自身が指揮した「第九」の初演で生起した「オーラ(乃至フォース)」そのものを今感じ取ることはできない。ラジオもレコードもなかった時代のオーラのあり方は、今とはだいぶ違っただろう。 #popuon
2011-01-25 21:57:53でもそれを本気で悔しがる人はそうそういないのでは?Ustなニコ生のある時代のオーラやフォースのあり方を、これからの時代の人々は享受することだろう。 #popuon
2011-01-25 22:00:15んで、どんな伝達形式で人々に届けられたとしても、どんなに実際の様相が異なったとしても、「第九」の持つ作品としてのオーラ(乃至フォース)は変わらない、と。……すみません陳腐な結論しか出せなくて。 #popuon
2011-01-25 22:04:57音楽って、技術であるばかりでなく、伝達の手段でもありえると思いますか?音楽はなんらかのメッセージの伝達手段であり、技術の伝達として芸術が音楽を利用したということはありえますか?たとえば、言葉がこうやって会話の手段にも芸術にも用いられるのとまったく同じ意味において。 #popuon
2011-01-26 03:11:58もちろん音楽は言葉のように語ると思う。じゃなきゃ、ネットで色んな人が自分で作った音楽を公表したりするはずがない。今までは、そういった技術がなかっただけの話で、そういったことにコストが掛かりすぎただけの話で。もっと、挨拶代わりに人と人が音楽で結びついてよいと思う。 #popuon
2011-01-26 03:27:55