氷下の天使#1 天使を漁する者◆1
_海の青は全てを飲み込むかのように暗く、冷たかった。ボートの上には数人の老若男女が身を寄せ合い、その時を待っている。 男の合図で全員が海へと飛び込む……やはり、潜水服を着ていても恐ろしさはぬぐえない。海に入ってすぐ、大きな潮流を感じる。 1
2016-02-17 17:21:46_流れに逆らってはいけない。流れに身を任せるのだ。それを男は……ベルシルムは知っていた。彼は漁師として幾年も経験を積み、そしてそれを見物客……同時に海中に飛び込んだ老若男女に見せて暮らしている。 彼だけではない。この地方は漁のショービジネスで観光資源を創出していた。 2
2016-02-17 17:25:44_ベルシルムは潜水服のあちこちに提げられた錘の力で、一気に海底へと落下していく。見物客はその様子を、ゆっくり沈みながら観察する。見物客とベルシルムには、ワイヤーとエアチューブが繋がっている。安全性は確保されている。この氷海……極北冠状荒地沿岸にはサメもいない。 3
2016-02-17 17:30:10_海底を見下ろすベルシルム。砂地の海底にはおびただしいほどのヒトデが群れている。こういった寒い海で繁栄できるのはヒトデくらいだ。 しかし、ベルシルムはヒトデを漁するわけではない。彼は天使漁師。この氷海に眠る、天使を漁する者だ。 4
2016-02-17 17:35:47_見渡す限り、天使の死体が砂の海底に横たわっている。彼女たちはみな裸で、背中に翼をもっている。生前の姿そのままに、一つとして傷つくことなく、腐敗することなく、凍ったように横たわっている。 皆死んでいる。一人として生きていてはいけない。 5
2016-02-17 17:41:42_かつて、先の超文明、灰積世を終焉に導いた降灰戦争。海神グレイソフィアは1万の天使の軍勢を率いてスムートハーピィの文明と戦い、致命的な反撃を受け沈黙した。 配下の使徒は、みな魂を破壊されて氷海に沈んだ。神々の海軍は修復不能な損害を受けていまも壊滅状態である。 6
2016-02-17 17:47:37_グレイソフィアは使徒へのコントロール能力を失い、使徒の死体を回収することさえできなくなっている。そのため駆り出されたのが人間たちだ。 漁師が氷海に潜行して、使徒の死体を回収し、グレイソフィアに捧げる。いつしかその仕事は天使漁と呼ばれるようになった。 7
2016-02-17 17:52:44_神へ天使を捧げることで、様々な見返りがある。美しい天使を見ようと、観光客も押し寄せる。まさに絶好のビジネスだ。 寒村だったこの漁村も、ひとが押し寄せて観光地として賑わってきた。そんな街の変化にも、ベルシルムは流れに乗って生きてきた。 8
2016-02-17 17:57:03_ベルシルムは昔からそうだったわけではない。流れに逆らって、しがみついていた時期もあった。しかし5年がたち、彼の顔は幾分か引き締まった。 彼は約束していた。いつか迎えに行くことを。そのためには、流れに乗っていくしかない。海底で天使の一人に狙いを定め、抱きかかえる。 9
2016-02-17 18:01:22_ワイヤーには電話線が通っており、合図を送って引き上げてもらう。天使を抱えたまま、船上に引き上げられる。観光客も、船の上に上がる。 一人の若い娘が、金魚鉢のような潜水服のヘルメットを脱いだ。ベルシルムは彼女の顔を見て、時が止まったように感じた。流れが……止まったのだ。 10
2016-02-17 18:07:04【用語解説】 【海神グレイソフィア】 流積世の勇者であるグレイソフィアが、死後女神となる。灰積世の時代に神々の海軍を率いることとなったが、戦果は悲惨なもので最終的にすべての艦艇を失い自身も瀕死となった。濁積世に代わっても人材不足から海軍司令の任を引き継ぐ。スキュラの氏神である
2016-02-17 18:15:32