江戸時代の武術と家元制 宗家

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Toyosaka Laboratory @ToyosakaLabo

だから流儀の相続権や門弟の統率権はその家にあるのではなく、あくまで藩からそれらの行使をまかされているだけという感じ。

2016-02-19 10:37:28
ソードフィッシュさん @ttswordfish

@kentarou_yokota そうですよね。宗家といっても教授権や伝承者任免権を独占しているわけではない。それが古武道の通例だと思います。 元々武家の文化なんて、本当の嫡流ではなくその時一番強いヤツが「源氏の長者」になっちゃったりするんで、正統観念はいい加減なものと思います。

2016-02-19 10:44:26
Toyosaka Laboratory @ToyosakaLabo

なので流儀の一切の権利を一つの家(宗家)が持って一子相伝云々というのと、そもそも異なっている。あくまで藩の剣術指南役をどの家がやるかって話で、例えば初代田宮家の血筋の者が後世「うちが田宮家宗家だ」などど言って活動したという記録はない。

2016-02-19 10:50:39
ソードフィッシュさん @ttswordfish

@inuchochin その辺りがまさに大流派たる所以、というと言い過ぎかもしれませんが、相関性は大いにありそうな気がします。

2016-02-19 11:12:56
Toyosaka Laboratory @ToyosakaLabo

「師範家の子孫任に勝ゆれば代々家業を許さる。若し未熟或は支障乃至家断絶之時は、門人中流儀皆伝之者へ相続を命ぜらる」南紀徳川史より

2016-02-19 13:30:12
みんみんぜみ @inuchochin

江戸時代の宗家(家元)的存在について。wikipediaにあったとおり、現代的な全国の門弟を統括するような宗家は現実的に存在できなかった、というところが実際だと思います。wikipediaには天神真楊流や浅山一伝流森戸道場のような例もありますが、

2016-02-19 20:40:51
みんみんぜみ @inuchochin

実際のところ地方の門人は各自自由に門弟に目録や免状を出しています。移動や通信手段も限られているのでもし強固に規制しようとしても難しかったのでしょう。むしろ、遠方の弟子には短期間の修行でも早めに指導免許などを与えて、国元へ帰った後に指導しやすくさせていた例もあるようです。

2016-02-19 20:41:07
みんみんぜみ @inuchochin

そうではなくても、江戸に家元的存在があった流派(心形刀流伊庭家、神道無念流戸賀崎家、直心影流長沼家、渋川流渋川家など)でも門弟筋が江戸内で道場をやっていて独自に免状を出しています。

2016-02-19 20:41:43
みんみんぜみ @inuchochin

全国に支流がある流派の家元的な道場には、各地の支流から留学に来る例が多くみられますが、これも家元で許可を貰わないといけないから来ている、というわけではなく、流祖直系の家、道場、という事で敬意を払われていたり、元々の技を知りたい、というような理由で留学に来ているようです。

2016-02-19 20:41:52
みんみんぜみ @inuchochin

家元側でも、「他国の支流はどれだけ技が違っていても、系図がしっかりしていたら同門だから敬意を払い否定するようなことが無いように」というような注意が門弟にされている例があります。それで、じゃあ正統とか何かが無かったのか、というと

2016-02-19 20:42:27
みんみんぜみ @inuchochin

RTした田宮流の例のように藩から師範役を指名される事が重要だったようです。これは武家社会ですから当然だと思います。 民間の道場でも流祖の家系の道場などは敬意が払われていますが、支流に規制や強制は基本的にできない、する権利が無かったという事だと思います。

2016-02-19 20:42:49
みんみんぜみ @inuchochin

肥後藩の新陰流では、疋田豊五郎から上野左右馬助が学んで以来、上野家で新陰流が代々伝承されていました。上野家で当主の早世や病気で指導が出来なくなった際には高弟和田に弟子や流儀の一切を譲る事を許可していただき、上野家の代わりに和田に師役を任命してほしい、という嘆願書を提出しています。

2016-02-19 20:43:06
みんみんぜみ @inuchochin

ただ、肥後藩では新陰流の師範役は多数必要だったようで、藩校が出来た際には上野家以外の別々の家から四人が師役に任命されています(のちに五家)特にだれが正統というような指名はされていません。

2016-02-19 20:43:22
みんみんぜみ @inuchochin

要は師範というのは役職であって社会的なものです。上野家から和田家のように師範家の家系が変わることもよくあったようです。 免許や目録の選別に藩の意思や指示がある場合もありますが、そうでない場合は極私的なものだとおもいます。(ただ昔は公私が今のような認識ではないとは思いますが)

2016-02-19 20:44:49
みんみんぜみ @inuchochin

尾張柳生のように免許や目録は死んだら返上するという習慣があったらしいという話も聞きますし、ある一族ではないと印可まで学べない例もあったと聞きますが、広く伝わった流派や、藩の主流になるような流派は、特にそういう縛りが無く、免許や印可を複数に出して、それぞれが伝承する、という

2016-02-19 20:46:55
みんみんぜみ @inuchochin

伝承方式の方が実情に近いんじゃないか、という気が記録や資料をみているとします。免許を出す師匠が、自分の師匠に免許を出してよいかお伺い書を出す、半家元方式のような習慣のある流派もありますが、これも形式的なものになっていた例もあるようです。

2016-02-19 20:49:01
六葉@人生ローリングサンダー @h_rokuyou

宗家とか一門の代表みたいな意味で掌門やら掌門人という言葉があるけど、いつぐらいに出てきた言葉なんじゃろ。けっこう新しい気はするが。

2016-02-20 05:30:09
六葉@人生ローリングサンダー @h_rokuyou

金庸の作品で使われまくってるのを先に見たせいか、現実に掌門と名乗っている人を見るとつい「大仰でフィクションの武侠っぽい……」と思ってしまうのであります。

2016-02-20 05:32:21
石部統久 @mototchen

家元制度システム:江戸時代後半期の趣味領域で家元制が組織…茶道華道の室町時代から伝統的な芸道の他俳句や和算で愛好者集団を統制家元制(師匠を頂点の門弟集団)が立上…各趣味を嗜む人は私的サークルの長(家元)で入門者ー家元ピラミッド状組織活動ndl.go.jp/math/s1/3.html

2013-02-23 15:25:25
リンク www.ndl.go.jp 第3章 家元制度 趣味としての和算 | 江戸の数学 第3章 家元制度 趣味としての和算
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