編集部イチオシ

古代ギリシアの猫について

古代エジプトにおいて猫は非常に愛され、尊重された動物の一つだったようです。それは、猫の女神バステトや猫のミイラなどから想像することができます。それでは、地中海を挟んでその向かい側にあるギリシアではどうだったのでしょうか? このまとめでは、古代ギリシアの古典文学に残っている猫の言及から、古代の人々が猫をどう見ていたかを紹介します。 ・3月6日追記 続きを読む
139
アザラシ提督 @yskmas_k_66

※六興出版から1979年に出たハードカバー版では、なぜかこのエッセイは編集され、猫の盾の箇所はばっさりとカットされてしまっています。なので、この話が読みたい方は徳間文庫版の16頁をご参照ください。

2016-03-06 22:54:37
アザラシ提督 @yskmas_k_66

(33) 前置きはこれくらいにして、ポリュアイノスが伝えるものを紹介しましょう。 時は紀元前525年、アケメネス(ハカーマニシュ)朝ペルシアの王、カンビュセス(カンブジヤ)2世がエジプトに侵攻した際に「ペルシオンの戦い」がおこりました。ここでエジプト人は頑強に抵抗したのですが…。

2016-03-06 22:55:50
アザラシ提督 @yskmas_k_66

(34) カンビュセスは犬、羊、猫、朱鷺といったエジプトの神獣を兵の前に連れてきました。エジプト人は神獣が傷つくことを恐れ戦いをやめたといいます。エジプト軍は敗れ、カンビュセスはエジプトでファラオ(王)として君臨することとなりました pic.twitter.com/SwnAjzYqUW

2016-03-06 22:57:53
拡大

図版出典: Wikimedia Commons「Cambyses II of Persia capturing pharaoh Psamtik III」

 マニアックな話に輪をかけてマニアックな話をしますね。日本語訳は「犬、羊、猫、山羊」と訳してますが、トイブナー版のギリシア語のテキスト(...κύνας, πρόβατα, αἰλούρους, ἴβεις...)を参照したうえで、このようにしました。
 2つ目の「πρόβατα」(πρόβατονの複数対格)は牛や羊、山羊などの四足獣全体を指します。なおかつ古代エジプトでは羊はアメンの化身、牛はプタハやハトホルの化身ですから、この単語だけだと正確な意味がとりにくいです。とりあえず、ラテン語訳(oves)やフランス語訳(brebis)、イタリア語訳(pecore)を参考にして「羊」としました。
 また、4つ目の「ἴβεις」(元の形はἶβις)は朱鷺を指します。日本語訳の山羊は誤訳です。ἶβιςは佐渡にいる白と朱色のトキではなく、アフリカクロトキかブロンズトキでしょう(cf. ヘロドトス『歴史』2巻75~76章; Thompson, D.W., Glossary of Greek Birds, Oxford, 1895, pp. 60-4.)。

ギリシア語のテキスト: von Wölfflin, E. et Melber, J., Polyaeni strategematon Libri Octo, Stuttgart, 1887. (Teubner)
ギリシア語・ラテン語対訳: Mursinna, S., Polyaeni Strategematum Libri Octo, Berlin, 1756. 
フランス語訳: Lobineau, G.A., Les Ruses de guerre de Polyen: Tome II, Paris, 1770.
イタリア語訳: Carani, L., Gli Stratagemmi di Polieno, Milano, 1821.

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(35) なんとも、アニメーションやファンタジー小説の一コマのようなお話なんですが、じゃあこの話が大佛の言うように事実であったかとなると、怪しいところです。「できすぎている」の一言で解決してもいいんでしょうけれども、まぁ、ここは詳しく見ていきましょう。

2016-03-06 22:58:48
アザラシ提督 @yskmas_k_66

(36) そもそもポリュアイノスは紀元後2世紀後半の人。紀元前6世紀に生きたカンビュセスとは【700年近くの年月の隔たり】があります。ポリュアイノスが戦場にいたわけでも、戦場にいた人から直接話を聞いたというわけでもありません。

2016-03-06 23:01:11
アザラシ提督 @yskmas_k_66

(37) ポリュアイノスの『戦術書』には、この本だけにしか残っていない貴重な情報がある反面、ほかの文献と照らし合わせて検討可能な事例が少ないのです。果たしてどこまで額面通りに読んでいいのかが難しい代物なのです。

2016-03-06 23:05:14
アザラシ提督 @yskmas_k_66

(38) 例えばペルシオンの戦いについてヘロドトスは、「エジプト側の傭兵の裏切りによって、ペルシア軍はエジプト領内に難なく侵入できた。その傭兵は裏切りの代償として子どもを殺された」と述べますが、戦いで猫を使った云々というエピソードは記録していません。

2016-03-06 23:05:57

cf. ヘロドトス『歴史』3巻1~14章。

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(39) 同じく、カンビュセスのエジプト侵攻とその地でファラオになったことを伝えるクテシアスも、ディオドロスも、ユスティヌスも、ペルシア側の史料であるベヒストゥン碑文も、後の時代の年代記も、猫について特に触れていません。

2016-03-06 23:08:45

列挙すると、
・クテシアス『ペルシア史』(アテナイオス『食卓の賢人たち』560d-f、およびフォティオス『文庫』72巻10節)
・ディオドロス『歴史叢書』1巻44章3節
・フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』2巻315節
・ユスティヌス『抄録 地中海世界史』1巻9章
・ヒエロニュモス『ダニエル書註解』11章9節
・エウセビオス『年代記』「エジプト第27王朝」の項目
・ベヒストゥン碑文 Col.i. 32-5.
・『ギリシア碑文集成(Inscriptiones Graecae)』14巻1297番 Col.ii. 20-1
・『ギリシア碑文補遺(Supplementum Epigraphicum Graecum)』33巻802番 Col.ii. 23-6

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(40) つまり【類例となる証言・戦術が無く、猫の盾のエピソードは孤立している】のです。 ただ、ひょっとすると、ポリュアイノスは現代のわれわれが知らない、古代世界には存在してたものの今は失われてしまった情報源なり何なりを用いて、これを書いたのかもしれません。

2016-03-06 23:10:13
アザラシ提督 @yskmas_k_66

(41) どうもカンビュセスは古代の史料では人格の欠落や他宗教への不寛容さが強調されています。"あの"カンビュセス王なら、こんなことをしたかもしれない…ということで、この話が紀元後2世紀までに何者かによって【創られた】としても、不自然ではないように思います。

2016-03-06 23:12:35

 カンビュセスの残忍さや暴虐ぶりはヘロドトス『歴史』3巻14章以下に延々と述べられています。
 このほか、ディオドロス『歴史叢書』10巻 断片14、ストラボン『地理誌』10巻21章、フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』11巻26-30節、パウサニアス『ギリシア案内記』1巻42章3節にもカンビュセスの悪行や破壊行為が書かれています。また、プラトンはカンビュセスが子どもの時に王としての教育を受けず、教養を身につけないまま成人となってしまったとします(『法律』3.694c-695b)。

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(42) ちなみに、カンビュセスに仕えていたエジプト人の自伝では、カンビュセスがエジプトの宗教や神殿をある程度尊重していたことがうかがえます。王に近い人物の証言、ということでちょっと注意が必要な史料かなとは思いますが、そこまでどうしようもない王様というわけでもなかったはずです。

2016-03-06 23:13:39

cf. 「ウジャホルレスネトの自伝碑文(前500年頃)」(歴史学研究会(編)『世界史史料(1)』岩波書店 2012年, 146-7頁 所収)

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(43) というわけで、「猫の盾」はかなり怪しい伝承です。他方で、ペルシアの侵攻でエジプトが敗れ、カンビュセスがファラオとなったことは間違いないでしょう。「猫の盾」で画像検索するとヒットする、あのかわいらしい絵のとおりだったかというと…う~ん…といったところでしょうか(;・∀・)

2016-03-06 23:18:56
アザラシ提督 @yskmas_k_66

と、いったところで補論は以上です。ありがとうございました。

2016-03-06 23:20:07