Lot.n歴史カフェ「弥太郎と栄一 無限の姿見」
奥宮慥斎、江戸に留学。弥太郎は同行を強く望んで、許可を得る。母・美和さんは田畑を売るなどして、資金を工面した。 えぇ母親や~ #かるのーと #歴史カフェ #日本史
2016-02-02 18:52:47安積艮斎。昌平業(今の東大みたいなもん)の教授。弥太郎はここで学ぶことになった。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史
2016-02-02 18:53:45そんなときに安政江戸地震が発生。弥太郎は塾生の救助などに江戸を走り回った。そして、回りから認められるようになった。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史
2016-02-02 18:54:39栄一の生い立ち
栄一さんは埼玉県深谷市(血洗島)で生まれる。 スゴい地名だなw 栄一の祖先が原野を開墾した豪農の家だった。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史
2016-02-02 18:47:56@mokaaan 血洗島村には40軒ほどの家がある中で、17軒が渋沢さん。なので、宗家の東ノ家、栄一の居る中ノ家などの屋号で呼び合ってました。ちなみに喜作は新屋敷。
2016-02-03 21:15:06当時、関東甲信越に張り巡らされた道は、横浜につながっていて絹を運ぶために整備されていた。へぇ~、日本のシルクロードだ。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史
2016-02-02 18:49:43新五郎は栄一の義理の兄・尾高惇忠のこと。後に富岡製糸場の初代場長を務める人物。
長七郎は新五郎の弟にあたる。
そんな中で藍の買い付けなんかも手伝ってたみたい。渋沢家は藍の買い付けで儲かってたみたいね。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史
2016-02-02 18:56:21栄一は藍の生産者に、肥料を良くしたりといったアドバイスをしたり、いい藍をつくる農家からは高く買い上げるなどの方策を考えたりしたらしい。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史
2016-02-02 18:57:23渋沢家はお金持ちだったため、岡部藩から御用金500両の拠出をふっかけられたのを断っちゃう。なんやら、お姫様の輿入れの費用らしい。栄一は父親の代理として、その話を聞きに行ったが、父に相談するといい、すぐには受諾しなかった。代官激怒w #かるのーと #歴史カフェ #日本史
2016-02-02 19:04:56これを機にお上への不信感がつのり、栄一は討幕運動に向かっていった。ちなみに御用金については、父親が結局出すことを決めている。栄一のつっぱり意味なしwww #かるのーと #歴史カフェ #日本史
2016-02-02 19:06:27この頃、江戸では桜田門外の変が発生。栄一は、「田舎にいては時代に乗り遅れちゃう」と焦り、たびたび江戸に行ったりしている。東京では学問を海保塾、剣術を千葉道場で学んでいた。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史
2016-02-02 19:08:29