Lot.n歴史カフェ「弥太郎と栄一 無限の姿見」

Lot.n(ロットン:沼津市上土町)で毎月開催している歴史カフェ。2月は幕末から明治時代、日本経済の成長に大きな影響を与えた、岩崎弥太郎と渋沢栄一を取り上げます。若干間違ってるとこもあるかもしれないけど、そこはたぶん私の聞き間違い。
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リンク Wikipedia 岡本寧浦 岡本 寧浦(おかもと ねいほ、寛政元年(1789年) - 嘉永元年10月9日(1848年11月4日))は、幕末の土佐藩士、儒学者。名は惟密。通称は大年、退蔵。雄峰、除闇と号した。 土佐国安芸郡安田浦の浄土真宗乗光寺5世・弁翁の子。妻は小野慶蔵の長女・とき。 当初、上京して本願寺で仏典を学んでいたが、甥の立然に寺を譲って還俗し、京都や江戸で儒学を学ぶ一方、安積艮斎・佐藤一斎・篠崎小竹・大塩平八郎らと交流し、また大坂で儒学を教えた。 備後福山藩に藩儒として招かれるが、天保9年(1838年)土佐藩主・山内豊資に
Moka Hirata @mokaaan

奥宮慥斎、江戸に留学。弥太郎は同行を強く望んで、許可を得る。母・美和さんは田畑を売るなどして、資金を工面した。 えぇ母親や~ #かるのーと #歴史カフェ #日本史

2016-02-02 18:52:47
リンク Wikipedia 奥宮慥斎 奥宮 慥斎(おくのみや ぞうさい)は、幕末土佐藩の学者で、維新後高知藩、教部省官僚。 土佐藩士の家に生まれ、田内菜園に国学、江戸で佐藤一斎に陽明学を学び、幕末には藩校教授、山内豊範侍読を務め、土佐勤王党を支援した。明治維新後高知藩で板垣退助による藩政改革、教部省での大祓復活に関わったほか、愛国公党結成に参加し、今北洪川と両忘会を結成した。 文化8年(1811年)7月4日、土佐国土佐郡布師田村(高知県高知市布師田)に土佐藩士奥宮正樹の子として生まれた。15,6歳の時田内菜園に入門し、国学、和歌を学び、また弓
Moka Hirata @mokaaan

安積艮斎。昌平業(今の東大みたいなもん)の教授。弥太郎はここで学ぶことになった。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史

2016-02-02 18:53:45
リンク Wikipedia 安積艮斎 安積 艮斎(あさか ごんさい、寛政3年3月2日(1791年4月4日) - 万延元年11月21日(1861年1月1日))は、幕末の朱子学者。江戸で私塾を開き、岩崎弥太郎、小栗忠順、栗本鋤雲、清河八郎らが学んだ他、吉田松陰にも影響を与えたとされる。 寛政3年(1791年)3月2日、陸奥(後の岩代)二本松藩の郡山(福島県郡山市)にある安積国造神社の第55代宮司の安藤親重の三男として生まれる。名は重信、字は子順(思順)(しじゅん)、通称は祐助、別号は見山楼。 16歳で近くの村の里正である今泉家の婿となるも妻に嫌わ
Moka Hirata @mokaaan

そんなときに安政江戸地震が発生。弥太郎は塾生の救助などに江戸を走り回った。そして、回りから認められるようになった。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史

2016-02-02 18:54:39

栄一の生い立ち

Moka Hirata @mokaaan

栄一さんは埼玉県深谷市(血洗島)で生まれる。 スゴい地名だなw 栄一の祖先が原野を開墾した豪農の家だった。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史

2016-02-02 18:47:56
かるの @karunohumihito

@mokaaan 血洗島村には40軒ほどの家がある中で、17軒が渋沢さん。なので、宗家の東ノ家、栄一の居る中ノ家などの屋号で呼び合ってました。ちなみに喜作は新屋敷。

2016-02-03 21:15:06
Moka Hirata @mokaaan

@karunohumihito 田舎の豪農って、今でも屋号で呼んでるとこ多いよねwww

2016-02-03 23:32:39
Moka Hirata @mokaaan

当時、関東甲信越に張り巡らされた道は、横浜につながっていて絹を運ぶために整備されていた。へぇ~、日本のシルクロードだ。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史

2016-02-02 18:49:43
かるの @karunohumihito

@mokaaan 町田駅の駅前に「絹の道」の碑が建ってます。

2016-02-03 21:16:59
Moka Hirata @mokaaan

@karunohumihito なっ、町田に住んでたことあるけど、当時はそんなこと知らなかったよ(´・ω・`)

2016-02-03 23:33:22
町田市の「絹の道」碑

「町田市社会福祉協議会 ここなび」より

Moka Hirata @mokaaan

栄一さんは、新五郎さんのとこに学問を学び、長七郎さんに剣術を学んだ。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史

2016-02-02 18:55:34

新五郎は栄一の義理の兄・尾高惇忠のこと。後に富岡製糸場の初代場長を務める人物。
長七郎は新五郎の弟にあたる。

リンク Wikipedia 尾高惇忠 (実業家) 尾高 惇忠(おだか あつただ(じゅんちゅう)、文政13年7月27日(1830年9月13日) - 明治34年(1901年)1月2日)は、日本の実業家。富岡製糸場の初代場長、第一国立銀行仙台支店支配人などを務めた。通称は新五郎、号は藍香。 武蔵国榛沢郡下手計村(現・埼玉県深谷市下手計)に名主の尾高勝五郎保孝の子として生まれた。惇忠は幼少時から学問に秀で、自宅に私塾の尾高塾を開き、17歳から幕末の頃まで近郷の子弟たちを集めて漢籍などの学問を教えた。惇忠に教えを受けた一人が渋沢栄一である。惇忠の母・やへが栄一の父
リンク fukapedia.com 尾高長七郎 - Fukapedia

Moka Hirata @mokaaan

そんな中で藍の買い付けなんかも手伝ってたみたい。渋沢家は藍の買い付けで儲かってたみたいね。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史

2016-02-02 18:56:21
Moka Hirata @mokaaan

栄一は藍の生産者に、肥料を良くしたりといったアドバイスをしたり、いい藍をつくる農家からは高く買い上げるなどの方策を考えたりしたらしい。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史

2016-02-02 18:57:23
Moka Hirata @mokaaan

渋沢家はお金持ちだったため、岡部藩から御用金500両の拠出をふっかけられたのを断っちゃう。なんやら、お姫様の輿入れの費用らしい。栄一は父親の代理として、その話を聞きに行ったが、父に相談するといい、すぐには受諾しなかった。代官激怒w #かるのーと #歴史カフェ #日本史

2016-02-02 19:04:56
Moka Hirata @mokaaan

これを機にお上への不信感がつのり、栄一は討幕運動に向かっていった。ちなみに御用金については、父親が結局出すことを決めている。栄一のつっぱり意味なしwww #かるのーと #歴史カフェ #日本史

2016-02-02 19:06:27
Moka Hirata @mokaaan

この頃、江戸では桜田門外の変が発生。栄一は、「田舎にいては時代に乗り遅れちゃう」と焦り、たびたび江戸に行ったりしている。東京では学問を海保塾、剣術を千葉道場で学んでいた。 #かるのーと #歴史カフェ #日本史

2016-02-02 19:08:29
リンク Wikipedia 海保漁村 海保 漁村(かいほ ぎょそん、寛政10年11月22日(1798年12月28日) - 慶応2年9月18日(1866年10月26日))は、徳川300年屈指の大儒と称されながら、庶民教育に徹した幕末の儒学者。考証学派。本名:海保元備、または紀之、通称は章之助、伝経廬の別号がある。 安房里見氏の血筋を引き、寛政10年11月22日、上総国武射郡北清水村(現・千葉県山武郡横芝光町北清水)の村方の医師海保修之の三男として生まれる。 22歳の時、学問で身をたてることを決意して江戸に出る。幕府御殿医・多紀桂山の内弟子などを
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