丹生谷貴志ツイートまとめ(2016年2月)

丹生谷貴志さんの2016年2月のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

駄話。日本はかつて西欧の美味しいとこどりを試み、その背後に手に負えない魔があると「気づいて」懊悩し、しかしやがてその「魔」もタカが知れていると「気づき」、要はすべてタカの知れたニンゲンのやることだと透視しした気分になり、かくていたるところ天使だらけになりつつあるとかいう夢を見る

2016-02-02 11:51:38
nibuya @cbfn

ヴァカンスに備えパリではベストセラー本の要約を載せた冊子が出ることがある。小説から哲学、経済学、歴史等々まで網羅し、それで「本を読んだふり」をするスノッブに供するわけだ。ご丁寧に例えば「難解な著者は実は本人にも分かってないってわけさ」なんて軽口をソーカルあたりの引用で載せてある。

2016-02-02 15:18:25
nibuya @cbfn

「天使は開示するのではなく隠す。だから彼らは怪物に分類されることがなかった」という定義(?)を読んだ記憶があるのだがどこでだか覚えていない。怪物=モンスターの語源「見せる・暴露する・曝す」にかけた駄洒落に過ぎないのかもしれない。「天使は神と質量界の縁を羽根で覆う」これはボルヘス?

2016-02-02 15:29:37
nibuya @cbfn

ジョン・ケージのピアノ曲集を聞いていると、例えばチェコ・アニメ風の”さみしいセンチメンタリズム”、ずっと置き去りにされた子供が部屋をおもちゃの木琴のスティックで叩き続けて家と世界を楽器にしてしまった結果を聞いているような気分になるのだが、これがケージの本意だったのかは想像の外だ

2016-02-04 06:56:48
nibuya @cbfn

今更ハードとソフトの二元論もないだろうが、ハードの変化をソフトの変化でもあるかのように語る言説を聞くとソフトよりハードの方が語り易いからという以外の要因を探したくなる。これはソフトの変化に見切りをつけたニヒリズムの結果なのかとか、このニヒリズムは意志ではなく非思考の浸透水だ、とか

2016-02-04 07:39:45
nibuya @cbfn

もっとも、これは自分自身のことでもあって、と言うのも、「哲学の新展開」とかの付箋付きの新書を見ても自分が何かそれを「世界の取説更新」程度にしか感じなくなっているのを感じる。機械を、スイッチを入れて、不具合なら蹴っ飛ばせばいいと思う世代に属する僕は取説なんか捨ててしまうわけなのだ。

2016-02-04 08:04:57
nibuya @cbfn

誰もが知るように、人間機械論の問題点はそれを言明する者自身も機械であるという「事実」がカッコに括られてしまう点にある。或いはセルフ・リフェレンス・エンジンの問題? 或いは「自分以外のすべては人間機械であると想定し得る場合の言語の問題」つまりウィトゲンシュタイン的な?

2016-02-04 08:43:05
nibuya @cbfn

余談。一昨日の夜「だれか〜」と助けを呼ぶような女の子の声で窓を開けるとすぐ前を自転車で遠ざかって行く女性?が見えた。さてしかし、助けようと走り出すとして、この場合自分が追跡者になってしまう可能性に気づき思い留まることになる。しばらくして警官が蝟集したが、幸い大した事件ではなかった

2016-02-04 08:52:51
nibuya @cbfn

「晩年様式」というのがあって美術ではティツィーアーノやグレコ、レンブラント、ゴヤ、ルノワールが想起され、ターナーはどうするかということになるが、さて文学や哲学では何をそう呼ぶか。「晩年の感慨」の文学や哲学はあるだろうが、あくまでも「晩年様式」と考えた場合、どうか?

2016-02-04 09:19:32
nibuya @cbfn

ベケットの晩年の戯曲? フォークナーの『自動車泥棒』? 谷崎さん? 安部公房の『カンガルー・ノート』? 或いは年齢とは無関係に、三島さんの『三熊野詣』や『豊饒の海』? 石川淳さんの息継ぎなく書かれた最後の数作? それらは「様式」の「晩年性」とまで言えるか?

2016-02-04 09:24:20
nibuya @cbfn

ボードレール風に近代そのものを運命的老衰期とした場合「近代小説」自体が「晩年様式」であるとも言えるかもしれず例えば近代日本はそれを「若さの表現媒体」と「勘違い」したために「文学的」混乱を生んだと、まあ、乱暴に言ってしまえるか? ・・ニーチェはその全体が「晩年様式」だった・・とか?

2016-02-04 09:54:24
nibuya @cbfn

或る段階では保守派の方が革新派より優れたものに見えるのは、保守派は崩壊するものの向うに広がる荒野の不気味さを「知っている」のに対し「革新派」は荒野を「自由の地」とするに急でその不気味さへの準備に欠ける場合が大部分だからだ。尤も、保守派は守りを固めるや荒野を忘れようとする。堂々巡り

2016-02-04 11:27:03
nibuya @cbfn

まさに余談。ベートーヴェン苦手感覚は弦楽四重奏やピアノソナタとかで解消されつつあるけれど、交響曲については第五はブーレーズ指揮でやや乗り越えたが第九は未だ駄目。前も書いたがこれは曲そのものではなく子供の頃の学校教育、それへの嫌悪から来るトラウマにまでなった偏見のせいなのだ・・・

2016-02-04 20:04:06
nibuya @cbfn

余談続き。繰り替えしますが私の音楽嫌い自体は生得のもので、今も音楽を愉しむ気はなくて、「資料」としてそれが「見える」ように出来るかの訓練みたいなもんで・・・相変わらず「可能なら全集主義」という癖が治らないために取り留めなくなってしまってます。最近はシマノフスキーとかを「観察中」。

2016-02-04 20:11:23
nibuya @cbfn

余談。小説でも映画でも場所の景色は記憶に残るが人物はあらかた忘れてしまう。で、不意にある場所の光景が幾つか鮮明に浮かび異様に懐かしくて確認しようとするのだが題名が思い出せない。それを思い出すだけのために無駄に昔の小説を買ってしまう。未だ確認できていない場所の光景は幾つもある。

2016-02-08 09:16:40
nibuya @cbfn

全く思念の外にある名が絡んでくることがあり今朝は亀井勝一郎という思い出す理由もない名。肉体を苦と捉え芸術をそこからの救済と捉え、しかし芸術も技術でしかない以上肉から逃れ得ずその袋小路の耐え忍びを生とするという間延びした文学的人生論をベストセラーにした人という曖昧な残滓しかない。

2016-02-08 14:53:47
nibuya @cbfn

如何なる普遍的価値も仮説され得ない時、センチメンタリズムが価値を装う」。さして鋭利でもない言葉だが、20世紀後半後の文化が大方センチメンタリズムにおいて運行しているのは確かに見える。普遍的価値というものが仮に哲学の「敵」であるとすれば、敵はセンチメンタリズムであるということになる

2016-02-10 01:12:00
nibuya @cbfn

もっとも、価値が精神の危機の根源的なカンフル剤であるのなら、センチメンタリズムはカンフル作用だけが価値崩壊から剥離して機能していることになり、逆に言えばこれがなければ人間は別の意味で真に発狂することになるのかもしれず、とすればセンチメンタリズムの機能性を見極める必要があるわけだ。

2016-02-10 01:19:32
nibuya @cbfn

因みに先ほどの、誰が言ってもいいような「平凡な」アフォリズムはマルローのものだから、「センチメンタリズム」という言葉の概念もフランス語におけるそれであって、日本語の「感傷性」と微妙に異なるのは言うまでもない・・・

2016-02-10 01:23:10
nibuya @cbfn

センチメンタリズムそのものはネガなものではない。例えばザ・バンドやら(?)は完全にセンチメンタルな音楽だがともかく魅惑に欠けていないのは、それが言わば「絶対的な空無」に皮膚を曝したプネウマを呼吸しているからなので、最悪のセンチメンタリズムは自身の空無への鈍感さに関わる訳だ・・・

2016-02-10 08:55:26
nibuya @cbfn

「本気の博愛主義者は果てしなく頑冥な者か果てしなく不幸な者か、どちらかの資質を本姓とする」・・・どちらかの? 頑冥さと不幸が’矛盾しない以上見分けは難しい。誰もが知るように、頑冥な人間は幸福なわけではないし不幸な人間は寛容であるわけでもない・・・

2016-02-10 09:26:13
nibuya @cbfn

余談。ボっとAmazonを見ながら何十年ぶりかでザ・バンドのサンプリングを聴きキザに言えば「憂愁」に襲われる。中学の時知人の兄が不意に『南十字星』のLPを持って来たことを感覚的に思い出す訳で彼は後日自殺した。この歳になって未だ知人の死亡原因が自殺を主とするのが鬱陶しくなる訳で・・

2016-02-10 09:50:02
nibuya @cbfn

・・・ダリも言うように(!)音楽はとりわけ「思い出」に寄生する傾向の強いのですが、「ポップス」には特にそれが強いと感じ、和学洋楽問わず聴かなくなった要因がそれだった。ザッパ好きはその反作用・・・のつもりだったのが、ザッパすら今となっては「感傷的に」聴こえてしまうのが鬱陶しい・・・

2016-02-10 10:03:31
nibuya @cbfn

以前も書いたが「アイデンティティ」という言葉(概念?)がやたら使われ始めたのは60年代末か、江藤淳か或いは米国社会心理学の影響でそこかしこで乱用され、そろそろ死語になってもいいのに未だこれは利便に乱用され、例えば学生さんのレポートを満たしたりする。そこで私は、果てしなくイラつのだ

2016-02-10 10:51:13
nibuya @cbfn

有吉佐和子『恍惚の人』は72年、恍惚ブームが起きた。恍惚は認知症老人の意、テレビやらは間断なく「老いの無残」をドラマ化し或いは特集した。私は半ば冗談にこれは誰ぞの社会心理学的陰謀!だろうと推察したのだった。人生を薄っすらした恐怖と徒労感で塗りこめることで「人民を沈黙させる」!!!

2016-02-10 22:41:55