小五の国語教科書を読んでみよう

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1)小学校の国語教科書の分析を続けます。小五用のをここでは取り上げますね。光村図書。五年生から上下巻ではなく一巻になります。サイズはB5。 pic.twitter.com/MtaDXSwE2A

2016-04-06 08:00:53
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2)もくじです。ここから文法・語法を取り扱ったページに絞って取り上げていきます。 pic.twitter.com/iNeKhHTrMq

2016-04-06 08:02:17
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3)「国語」のなかにどこまで「日本語」の自覚が促されているか(いないか)を見極めたいから。 pic.twitter.com/KdlJaK549W

2016-04-06 08:04:27
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4)ここは文法・語法とは一見無関係なのですが pic.twitter.com/qdov9c3nuc

2016-04-06 08:05:47
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5)興味深い指摘がある。 >「―である。」「―ということもできる。」「―にちがいない。」など、文末に着目してみると、筆者の考えがとらえやすいね。 pic.twitter.com/zpqOKTa9Rm

2016-04-06 08:10:01
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6)この教科書の作成チームは意識していないと思うのですけど、語尾をこうやって工夫するのは「作者」を隠蔽または顕示するために明治に開発された技なのです。

2016-04-06 08:11:29
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7)だった、だったのだった、のである、だったのだ、だったのである…いろいろありますよね。これは〈作者〉の匂いを薄めたり、または濃くしたりするための技。西洋の近代自我なるゲームを日本語に持ち込む際に編み出された技です。

2016-04-06 08:13:22
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8)「私」をつくる――近代小説の試み (岩波新書) 安藤 宏 amazon.co.jp/dp/4004315727/ 詳しくはこの本がおすすめです。

2016-04-06 08:16:11
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9)それからこれ。 日本語の歴史 (岩波新書) 山口 仲美 amazon.co.jp/dp/4004310180 明治の言文一致運動は過去ではなく現在も続いている。なぜなら話し言葉と書き言葉の完全な融合なぞありえないのだから、その一致を目指す運動はけっして完成しない。

2016-04-06 08:17:48
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10)敬語について踏み込むはこの小五教科書からですか。 pic.twitter.com/gx7O7I0oIx

2016-04-06 08:19:33
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11)敬語も明治になって国家が整備したものです。詳しくは後日。 pic.twitter.com/VKNBOuXOmX

2016-04-06 08:21:00
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12)和語、漢語、外来語のお話。ことばは民族の移動(侵略とか)や交流によって大きく変化する。そこをもっと踏み込んで語っていいのではないか。 pic.twitter.com/gPvqKaTE7c

2016-04-06 08:23:17
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13)日本語の形容詞は二種類あります。「美しい」は和語系で「綺麗な」は漢語系。前者はイ形容詞、後者はナ形容詞といいます。後者は漢語系名詞に「な」をつけて形容詞化する用法で、平安期に生まれたとかなんとか。

2016-04-06 08:25:15
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14)和語には形容詞が足りなかったので、漢語から名詞を取り入れて「な」の威力で形容詞化してボキャブラリーを増やしたということです。日本が大中華帝国の辺境だったことがよくわかりますね。

2016-04-06 08:26:37
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15)同じことが16世紀の大英帝国にもあったそうです。大陸からボキャブラリーを大幅に取り入れた英語の世界で才能を炸裂させたのがシェイクスピア。

2016-04-06 08:28:50
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16)日本語を歴史や地政学の視点から学ぶと面白いです。これが入門書としてはおすすめ。 日本人の知らない日本語2 蛇蔵 amazon.co.jp/dp/4840131945/

2016-04-06 08:32:57
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17)どうして小学校の国語でもそういう視点をもっと取り入れないのだろう。子どもにこそ面白いのに。

2016-04-06 08:34:48
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18)これも教科書作成チームにどのくらい自覚があったのかわからないけれど、英語などのヨーロッパ系言語でいう関係代名詞のお話ですここ。 pic.twitter.com/7vL4SvALYa

2016-04-06 08:36:24
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19)「ぼくが植えた木が育った」を少しいじって「ぼくは植えた木が育った」にすると変てこに感じませんか。が→は の変化でこんなに変わってしまう。なぜなら「が」には英語でいう関係代名詞の機能があるから。「は」にはないのです。

2016-04-06 08:40:22
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20)まず「ぼくが」と来ると私たちはこう考える。「ふむ男性だな。そして『が』と続くから、ひょっとしたらこの文はひねり技で来るぞ」と。

2016-04-06 08:42:06
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21)次に「植えた」と来る。日本語では述語(動詞や形容詞)は最後に来るのが基本ですが「ぼくが植えた」だとなんだか締まりがよくない。何を植えたのか明示されていないから。それで私たちはこう思考する。「あ、これはきっと続きがあるぞ」

2016-04-06 08:44:33
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22)案の定「木が」と続く。「ぼくが植えた木が」まで今、文が進みました。私たちはこれで「ああやっぱり。この文の主役は『ぼく』ではなく『木』なんだな」と判断する。そしてこう考える。「木がどうしたんだ?」

2016-04-06 08:46:38
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23)「育った」と続く。「ぼくが植えた木が育った」。動詞や形容詞が最後にまわるのが日本語の基本だから「育った」で今度こそ文が完結する。

2016-04-06 08:47:52
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24)もし「ぼくは」で始まっていたら、そしてその次にいきなり「植えた」が来たら、もう文が続かない。

2016-04-06 08:49:47
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25)「ぼくが」だったら何かまだ続くと予想できるのに「ぼくは」ではできない。なぜかというと「が」には「この後何かひねり技でくるぞ」と予感させるサイン効果があるのに対し「は」には「この後ひねり技はないよ」のサインだからです。

2016-04-06 08:50:55