- makawakami
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元の話をフォローしてないので別の話として言えば、TLから覗いて見えるかぎりでは建築家とか作品てことについて我々はずいぶん保守的な考え方に戻っているのかな。少なくともちょっと前、30年前ぐらいに言われていたこと考えたらずいぶん保守的。そんなに安定した着地点があるとは僕は思わないな。
2016-04-10 00:15:23ですよね。要は「仕事」なんだけど、その深度や質に応じて建主や周囲からの求められ方が変わり、呼ばれ方も変わる。大抵の場合自称する言葉じゃない。 twitter.com/naohikohino/st…
2016-04-10 00:28:31でも「作品」って変な言葉だよね。workならそういう変な混乱はない。そして建築家にattributeするしかないような独特の達成がそこにある場合があり、でもそれは私物化とかいうような変な連想には繋がらない。
2016-04-09 20:39:08他方、同業者やメディアから、"これがオマエの作品?"という批評に晒される覚悟も持って有名無名の建築家が臨んでいる。要はどうも他人の仕事を指す言葉なのではないか。
2016-04-10 00:29:50"作品"と自称した場合に鼻をつままれ、また自称か他称か不明な距離の人々に誤解を与えるのは、実は当たり前じゃないかと思う。
2016-04-10 00:34:45@kensuke_AISAKA むかし「作者の死」なんてコムツカシイ話がありましたけど、作品を作品として、作者を作者として、名指すのはその主体ではなくてそれを成り立たせてる外側にある(社会の)構造だってわけで、まぁまさにそういうことなんだなと思った次第。むしろ問題は責任ですよね。
2016-04-10 00:35:52@naohikohino 僕も「言葉の主体がどこにあるか?」という同じことを考えていて、連ツイしました。けれど、この言葉使いがかくも影響を及ぼすなら、僕ら自身が無関心なのはやはりいけないなと思いました。
2016-04-10 00:40:38@kensuke_AISAKA それと建築の場合、目に見えるものに限っても都市とか環境とかそれを成り立たせている前提がめちゃくちゃあるわけで、なんか単品完結みたいな感覚ってどうなのか。あらためて照らし合わせてみたら意外に肌感覚のギャップがあったんですねって感じです。
2016-04-10 00:47:40@naohikohino 結構な論客にも畑が違うとかなり浅い部分で誤解されてる。という事実を最初の二人が見つけてくれて、純粋に驚きつつ、まだまだ説明が必要そうだなぁと(先輩方は何をしてきたんだよと)思ったり
2016-04-10 00:58:04建築を「作品」と呼ぶか呼ばないかをめぐる議論はこれまでもさんざんやったけどよい答えが出たことはありません。だから今回も期待しません。ただし他の芸術との比較はあまり意味がないように思うので、建築が置かれている果たすべき問題を前提として論ずるべきでしょう。
2016-04-10 01:03:19