- super_haka
- 26822
- 75
- 5
- 21
産経の記事が波紋を呼んでいるが、この問題を情緒的なレベルで議論しようとするとただただ不毛になるばかりだと思う。目についたなかでは佐々木浩久監督(@hirobay1998)の一連のツイートが参考になるし姿勢として圧倒的に正しい。状況の遷移と現状の分析からしか正当な論は生まれえない。
2016-04-11 13:32:46産経の記事でアダムさんが問題視していた「製作委員会方式」についても80年代以降の映画ジャーナリズムのなかで折にふれ議論され続けてきた。そして、これに対する回答は決して「監督の映画」をよしとする作家主義復興の是認ではない。この問題を正確に理解するには五社体制の崩壊、角川旋風(続く)
2016-04-11 14:07:57(承前)さらにディレカンやアルゴの失敗、松竹奥山体制の崩壊、シネカノンの台頭と衰退など、状況を点で見るのではなく、長いスパンでの変遷を線でとらえる批評眼が必要となる。TV局関係者や広告代理店など単純な「悪」に還元してすませられる問題でもない(無論それぞれに批判すべき点はあるが)。
2016-04-11 14:13:39映画評論家が「だめな映画をだめと言わない」という認識は、僕からみれば実態を単純化しすぎている。むしろ日本の映画ジャーナリズムは、南部圭之助らが先導的存在だった戦前戦中期より「だめな映画をだめ」と言い続けてきた。そうした個人的印象論あるいは文学批評の応用にもとづく映画批評に(続く)
2016-04-11 14:32:55(承前)反旗を翻したのがシネマ69世代の批評家(蓮實重彦、山根貞男、山田宏一ら)だった(その一方で、日本の映画批評は淀川長治という唯一無二の例外的な批評家をもっていた)。そして彼らの問題意識は、90年代以降の映画秘宝に代表される「表層批評以降の映画批評」とも実は通底している。
2016-04-11 14:38:11このあたりの変遷については、以前連投ツイートしたので、以下のまとめをご参照いただきたい。→togetter.com/li/862310 そして、こうした紆余曲折のなかで、日本の映画批評は「だめな映画をだめ」と言うだけの、つまり良い悪いを判定するだけの段階から進歩を遂げてきた。
2016-04-11 14:42:12つまり、現在の映画批評に求められるのは、産経の記者が言うような「だめな映画をだめ」と言うだけの「点」的な評価主義ではなく(個々の作品に対する生産的な批評はそれはそれでおこなわれるべきだが)、なぜだめなのかを精緻に、体系的に検証してゆくための「線」的、複眼的な姿勢ではないだろうか。
2016-04-11 14:51:15うちのばあちゃんに 実写映画が大抵コケるって話したら、 料理の下手な人が参考書を無視して 独自の要素を入れたがるのと同じ って言って、なんか納得した。
2016-04-05 15:19:14低予算で味噌汁の自炊までして頑張ってつくったつまらない映画を、スタッフのことを気遣って無理に視聴して当たり障りの無い感想を述べ合う観客、我慢大国日本の美しい姿
2016-04-11 14:26:18今の日本映画を嫌うのはもちろん自由だが、この20年で興行収入が1.5倍になり、10年前に洋画と邦画のシェアが逆転してそのまま維持されているという事実は覆らないので。eiren.org/toukei/data.ht…
2016-04-11 12:01:59うちの親戚の会社が今 シ◎・ゴ◎◎を作ってるらしいけど 海外の予算と比べられると困る ギリギリの零戦を作ってるのは間違いなく 予算はないけど勝てっていう。 戦中と変わらない事を 現場にやらせる体質なんだと思う。 日本の企業はどこもね。
2016-04-11 08:11:10