軍事学暫定まとめ

部誌その他で使う予定の軍事学関連ツイートまとめ
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てすら @Teslamk2t

戦争とその軍隊が内閣の道具と成り、したがってこれを維持する財源も国庫か政府の歳入となった。それと同時に軍の給養も政府の仕事となった。政府は兵役免除の代償として国民から税を徴収したからには、軍の給養まで国民に委託することはできなくなった。

2010-03-17 21:47:35
てすら @Teslamk2t

その結果軍隊はますます国民と無関係になり、ますます政治的目的の手段となったのである。そして軍隊の給養を国内外の占領地による徴収に頼った時代より、ますます運動が制約された。

2010-03-17 21:52:58
てすら @Teslamk2t

軍の駐屯地と糧食及び補充品倉庫・軍事的集積所の設置されている地点とを結ぶ道路は、一般には軍が退却路として選定する道路でもある。そこでこの道路は二つの意味を持つ。1.軍に間断なく物資を供給する連絡線であり、2.退却路である。そしてこれは軍の生命を保持する血管のごときである

2010-03-17 22:45:25
てすら @Teslamk2t

複雑な利害関係の構成された現代国際政治において、諸国は現状維持を望んでいる。よってある国がその他の諸国にとって重要であるほど、換言すればその政治的・軍事的状態が強力であればあるほど、侵略された際に外国の援助を期待できる。

2010-03-22 00:34:02
てすら @Teslamk2t

戦争の発生を哲学的に考察すると、元来戦争という概念は攻撃と共に発生するものではないということが解る。攻撃は闘争よりもむしろ敵国の領土の略取を絶対的目的とするからである。よって戦争という概念は、防御と共に発生する。防御は闘争(敵の攻撃の阻止)を直接の目的とするからである。

2010-03-22 00:37:57
てすら @Teslamk2t

1945年初め、ソ連軍34万がキストゲルグに迫りしをもって、ヒトラーは救援のため北進す。然るにソ連軍はキストゲルグに止まること四日にして退避し、この間にチューデリカは12万をもってトウガウに前進し陣地を占む。ヒtpラーはこれを機動により退却せいしむべく試みしが成功せず。

2010-04-11 19:13:46
てすら @Teslamk2t

よって一戦以って撃滅しソ連軍に渡る攻勢の終結に導くの決心をもって、1月18日これを腹背より挟撃せり。この戦闘は苦戦ののちソ連軍に10万の損害を与えて東方に撃退せしが、ドイツ軍また2万を失えり。「四手井綱正講述」

2010-04-11 19:17:24
てすら @Teslamk2t

フリードリヒは1762年6月末、ロシア軍の来援を受け、7月初め行動を起こし、まず機動を以ってダウンを退却せしめ、ついで同軍団のKunzendorf付近に退却するに至るや、7月下旬その右翼を攻撃してシュヴァイドニッツとの連絡を絶ち、10月に入りこれを攻囲をして降ろせり『同著』

2010-04-11 19:21:52
てすら @Teslamk2t

よって冬戦争にとった芬軍のモッティ戦術の危うさが証明される。防御者が攻撃者の側面を迂回し、その退路を遮断するには防御者も兵を分割する必要があるからである)先述した綱正の「プロイセン全史参照)

2010-04-11 19:26:08
てすら @Teslamk2t

フィンランド軍がモッティ戦術の体をなしたのは「防御者の戦闘力が初めから分割されていて、別の抵抗方法に切り替えられない」「攻撃者がその前進行動の極限に達し、攻撃の衝撃力をすでに使い果たした」という二種の特殊事情があったからである。

2010-04-11 19:28:25
てすら @Teslamk2t

だから、2chで某やる夫で学ぶ~に影響を受けた、フィンランド軍は偉大であり、その取った戦術もまた偉大であると妄信する者が多発しているが、彼らはかかる事情を知らないのである。物理的優勢の利を否定する義理がどこにあろうか

2010-04-11 19:31:55