「その先ちょこっと論文」問題まとめ
- minaokukita
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@ytb_at_twt 私のポイントは、学会でちょこっと論文ばかりが目立つことへの寂しさ、もうちょいパラダイム崩すような論文書いてよ!、という気持ちですね。「つまらない」かどうかは、また別の論点(まさに世の中につまらないものがあるのかどうか)が絡むので、簡単には言えませんよね。
2016-05-09 19:32:36>「英語圏の論文をちゃんと読んでみて、その先でちょこっと応用問題やってみました」的な発表」も悪くはないと思うが、それだけだと続けられないのではという気もする。研究を。二十年三十年と。
2016-05-09 20:16:43@sukuitohananika それなら話はわかります。失礼いたしました。 ただし、もちろん分野にも寄りますが、例えば哲学的論理学とかでは、真に革命的な論文は、つつましく、大言壮語せずに、細かく技術的で、一見「ちょこっと」論文にしか見えないモノである、っていう先入観があります。
2016-05-09 20:53:25@ytb_at_twt そうですね。ただ革命的な論文は、一見ちょこっと論文みたいに見えるとしても、その著者の目指すところはパラダイムの底を撃ち抜くような地点であることが多いのではないでしょうか。(本人に革命的な意図がなかったのに、出版したら革命的になってしまった例は少ないのでは)
2016-05-09 21:02:05@sukuitohananika 数学的な面が強い論文の場合、ある定理が思ってもみない多くの帰結を生み出す、みたいなことは時々あるようにもいます。ゲティアみたいなパラドックスの提示もそういう要素が強そうです ただし哲学は多くの場面では狙って書かないと革命的にはならなさそうですね
2016-05-09 21:44:47「ちょっと付け加える」とは何なのか? あるパラダイムがパラダイムであることは、その外部の地平(=コンテクスト)が切り開かれない限り分からない。体制化した分析哲学の論文がダメなのは、内部の論理的整合性志向で、探究の方向が逆だからです。 twitter.com/MasahiroKitano…
2016-05-09 23:21:41議論の枠組みに「ちょっと付け加える」のではなく「ちょっと違うことを言う」のが重なって全然違う景色が見えるようになる。メアリー問題でもマイノング主義でもクオリアでもアートワールド論でも。 twitter.com/charis1756/sta…
2016-05-09 22:08:49@ytb_at_twt それはそれでとても大切ですが、必ずしも「先」とばかりは言い切れないと私は思います。整合性を保ちギャップがなく誇張がないことばかり気にしていては何も言えないので。ときには「臆病な真理よりも大胆な誤謬」が必要だと思います。
2016-05-10 00:01:17@ytb_at_twt それはそれでとても大切ですが、必ずしも「先」とばかりは言い切れないと私は思います。整合性を保ちギャップがなく誇張がないことばかり気にしていては何も言えないので。ときには「臆病な真理よりも大胆な誤謬」が必要だと思います。
2016-05-10 00:01:17それはそれでとても大切ですが、必ずしも「先」とばかりは言い切れないと私は思います。整合性を保ちギャップがなく誇張がないことばかり気にしていては何も言えないので。ときには「臆病な真理よりも大胆な誤謬」が必要になると私は思います。 twitter.com/ytb_at_twt/sta…
2016-05-10 00:07:08まず整合性を保ちギャップがなく誇張がないことを気にする方が先ではないかと思います。 twitter.com/hitoshinagai1/…
2016-05-09 12:38:56元の森岡正博さんのツイートでは、おそらく、既にある程度できあがっている研究分野や研究手法からのみ自分の研究を始めるのではなく、若手には(?)自身で新たに切りひらく事にも挑戦して欲しい、という意味かと思うので、ytbさんの仰る、 twitter.com/ytb_at_twt/sta…
2016-05-10 00:19:20森岡先生の「現代日本の哲学をつまらなくしている三つの症候群について」には「その先ちょこっと」的な哲学論文の問題点が具体的かつ説得的に剔抉されている。
2016-05-10 00:26:47従来のパラダイムに従ってちょこっと何かを付け加えるにせよ,それを批判し別なパラダイムを提示するにせよ,どちらも従来のパラダイムを十分に理解して初めて出来ることで,私はそもそも大抵の哲学の議論におけるパラダイムがいまいち理解できないので,どっちのタイプの論文も書けない.
2016-05-10 03:59:34そうかもしれません。私は応用哲学会の大会に出てないので、報告を聞いていないので本当にその程度の「ちょこっと論文」系だったのかについては、何も言えないわけですが・・・いずれにしても、私は脚注の脚注でよいと思っている派?です。 twitter.com/reiju21jp/stat…
2016-05-10 06:20:58@gunma_jirou 「その先ちょこっと論文」というのがその程度ものなら,掲載基準の厳しい哲学ジャーナルにはたぶん掲載されないでしょう.群馬さんあたりがとりあえず目指してるゴールを批判した指摘じゃなさそうですね.
2016-05-09 14:37:01先のツィートに反応してしまったのは、ちょこっとの下りのほかに、「英語圏の論文」「若手」などのありがちキーワードが目に付いたからかもしれない。英語圏以外のものでも、紹介に徹してきたものを書いてきた上の世代がいるし(っていうか、そういう人めちゃくちゃ多いじゃない)・・・などと。
2016-05-10 06:27:15英語の論文をきちんと読む、それにレビューを加えて、前提にチャレンジするというのは、普通に奨励されてよいと思う。チャレンジがないのは問題だけど、その大きい小さいはなんというか問題共有に左右されるので、あんましツッコミどころじゃない気が。また、大きな問題は本レベルでやればよいのでは?
2016-05-10 06:28:59もっとも森岡先生なりのコンテクストがあることもなんとなくわかってきた。私とはコンテクストが違う。むしろ問いの「貧弱さ」みたいなんでケチをつけて、「今の若い研究者は」みたいなの、散々聞かされてゲンナリしてきたから。留学したら、そういうのとは無縁だった、ってのが、いまの自分を形成。
2016-05-10 06:32:55だから論理的整合性をつつくことを大事にしてきた。問いの重みなんて、わからないことの方が多い。いまは「くだらない」とか「小さい」とか思えることが、あとで「大きい」と判明することだってある。それだけどんな優秀な研究者であれ、バイアスにさいなまれている。カーネマンが教えてくれること。
2016-05-10 06:36:06パラダイムシフトが合理的に説明できないのは、そういうことでしょう?あ、もうそろそろ、締め切り(もうすぎた・・・すんません)論文に戻りますです。
2016-05-10 06:37:32marginal contributionを明確にしない知的全体論に堕するよりは「その先ちょこっと論文」の方が遥かに良いのではあるが,「この理論をこの設定で(ただ)やってみました」論文に価値が無いのはそうだと思われる.正しければ何でも載せられるってわけじゃない.
2016-05-10 06:41:44私はこういう話になると、経済学者やポリサイ系の方々と認識を共有することが多い。哲学・倫理学だけど、「英語圏」に留学したことがある「若手」だからかね(繰り返すがまだ41w)?
2016-05-10 06:48:06哲学領域で、「輸入学問・横のものを縦にする学問やめようや」という問題意識が一因となって応用哲学会が立ち上がったのに、そこでまた英語圏の分析哲学の輸入学問に従事してよしとするのをやめようや、というのが私の中核メッセージ。私は生命倫理学(バイオエシックス)がそうなるのを見てきたので。
2016-05-10 08:08:20(承前)これを言われると、腹が立つ人も多いだろうし、刺される人も多いだろうし、そういう着実な作業から新展開は生まれると言いたくなるだろうけど、少なくともいまのところそれらの反論は「輸入学問こそが哲学!」という日本的伝統の言い訳として機能することが多いのではないか。
2016-05-10 08:14:14@hitoshinagai1 「大胆な誤謬」が役に立つのは地道な「ちょっとだけ論文」の蓄積の上でこそではないかとも思われます。 また、もちろん「大胆な誤謬」も時には必要ですが、多くの場合、「大胆な誤謬」の名の下にあまりに多くの単なる電波が出版されてきたように思えてなりません。
2016-05-10 08:16:06(承前)と同時に、現在、哲学は英語論文での一元化が急速に進んでおり、そういう意味では英語学術誌のヒエラルキーに沿って形成されるノーマルサイエンスとして樹立されていく可能性は高いし、私はそれはそれで価値のあることだと思ってる。それを分かったうえで、あえて一連のツイートをしている。
2016-05-10 08:19:05