2016年6月8日

SF小説に見るセックスと真理的愛情の哲学的論考「小川一水著・天冥の標Ⅳ 機械じかけの子息たち」より

小川一水氏のSF小説「天冥の標Ⅳ 機械じかけの子息たち」を読了し、哲学的とも少しばかりは言えそうな考察が捗ったのでついついまとめてしまいました。 ご意見、ご感想、ご反駁などあればぜひぜひどうぞ。
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きしばか。 @kishibaka4850

小川一水氏のSF作品シリーズ、天冥の標のⅣ巻を読了。 あまりにも受けた感銘が大きかったので、ツイートという形で残しておきます。 ブログでは絶対に上手くまとめられない気がしますし、 何より内容も……ある意味難しいので。

2016-06-07 23:23:11
きしばか。 @kishibaka4850

読むきっかけになったのは、ネットでオススメしてくれたSF好き諸氏のお陰でした。ありがとう、elonaスレのお兄ちゃんズ!四巻から買ってごめんね!きっと全巻読むから!

2016-06-07 23:24:18
きしばか。 @kishibaka4850

さて、「天冥の標Ⅳ 機械じかけの子息たち」の最大の命題は、『性愛それ自体が意味を持ちうるのか?』ということでした。明言はされていませんが、つまりはそういうことでしょう。繁殖行為から切り離された単一の性愛、それ自体が、果たして哲学的意義とも呼びうる本質を獲得することは可能なのか。

2016-06-07 23:26:25
きしばか。 @kishibaka4850

キリスト教の教義においては古くから、それこそ旧約の時代から過度の姦淫を禁じてきました。正確には「過度に」禁じてきたと言ってもいいほど、執拗にそれは罪・sinとして認定されています。

2016-06-07 23:27:54
きしばか。 @kishibaka4850

ソドムとゴモラは言うまでもなく。知恵の実を食べたアダムとイブは、羞恥を覚えると同時に明らかに性愛を引き起こしています。ヤハウェは二人が悪魔に唆されて知恵の果実を食したことに激怒しましたが、それは淫奔という、今で言うなら大罪の一つを犯す道に通じていたからではないでしょうか。

2016-06-07 23:30:40
きしばか。 @kishibaka4850

教義におけるキリスト教の立場はこうです。『生殖とは神が人に与えた恩寵である。故に、そのための機能を誤用し無意味な淫欲に耽ることは神の恩寵への冒涜である』 ……私はキリスト者ではないので完全に正しいという保障はできませんが、おおよそ間違ってはいないと思います。

2016-06-07 23:32:54
きしばか。 @kishibaka4850

これに対して、当書が持ち出したのはその正逆の概念。つまり『性愛そのものは果たして神性を持つことはできるのか?』です。

2016-06-07 23:34:30
きしばか。 @kishibaka4850

例えばこれは、古代ローマやギリシャの時代に繰り返し問われた命題ではありました。作中のSF世界と古代ローマの共通点、それはすなわち『生存に対する危急の恐れがない』ということです。

2016-06-07 23:35:31
きしばか。 @kishibaka4850

種の保存のため、少しでも種全体の存続の蓋然性を上げるために、繁殖を以ってその手段とする。これはあらゆる生物に共通の、遺伝子に組み込まれた本能でした。この枷を外す為には、まず生存本能を作動させる必要のない環境が必要になってきます。

2016-06-07 23:37:32
きしばか。 @kishibaka4850

古代ローマではそれが拡大し過ぎた版図と奴隷による労働行為からの解放であったように、作中世界では宇宙に拡散した膨大な人類人口と、アンドロイドを含む高度な科学技術でした。

2016-06-07 23:56:02
きしばか。 @kishibaka4850

作中世界においてこれらアンドロイドは、ごく自然に人と同等の知性を持ち、意識と感情を有しています。また本質には関係のない所ですが、«酸素いらず»と呼ばれる改造人類も存在し、宇宙空間での活動も可能なほど人類の力は増しています。

2016-06-07 23:57:46
きしばか。 @kishibaka4850

すなわち『生存を無視し、性愛そのものを単一的に切り離せる環境』『純粋に性愛を追及可能な知的存在』の二つの条件が、同時に揃っています。

2016-06-07 23:58:54
きしばか。 @kishibaka4850

今作の舞台であるHoneycomb・小惑星《ハニカム》は、かつて一人の創設者によって娼界とまで呼ばれる場所となっています。PPCISM・『無限階層増殖型支配型不老不死機械娼像』と呼ばれる有機アンドロイドの五千体を越える老若男女が、他天体から性欲のために訪れるゲストをもてなします。

2016-06-08 00:06:59
きしばか。 @kishibaka4850

……一つ謝罪を忘れていました。十分な論考を重ねるために、ある種の著作権侵害ともなりうる量の情報を書くことになるかもしれません。専門Wikiすら存在する以上今更な心配だとは思いますが、このツイートが誰かに見られることが、満足よりもマーケティング的効力を発揮してくれることを願います。

2016-06-08 00:09:36
きしばか。 @kishibaka4850

さて、彼女らピピに生殖能力はありません。ですが、感情としての性愛を人間と同等に感じることはできます。存在意義が性欲の充足と奉仕である以上、人類への直接的反抗とセックスと断絶した生き方は選べないものの、それ以外は人間とほぼ同質です。

2016-06-08 00:12:38
きしばか。 @kishibaka4850

多様性を求める上では問題のある指向性ですが、性愛を哲学として論ずる上では支障はないものと考えていいでしょう。特に今回は性愛に対する忌避や嫌悪ではなく、むしろ論理的な肯定を結論として仮定していますので。

2016-06-08 00:14:08
きしばか。 @kishibaka4850

簡単にあらすじを追うと、「不慮の事故から《ハニカム》の少女達に保護された主人公が、やがて一人のアンドロイドに友愛、そして性愛を抱き、《ハニカム》を襲う窮地と戦い勝利する。」最短にまで縮めるとおおよそこうなります。

2016-06-08 00:17:37
きしばか。 @kishibaka4850

ですが作品を論ずる上でも、その筋書きは最も重要な点ではありません。事実、「退けるべき脅威」として設定された敵対者は政治的陰謀によって投入された破壊困難な試作戦闘アンドロイド、というどこにでもあるマクガフィンでした。

2016-06-08 00:19:26
きしばか。 @kishibaka4850

この作品の本質的意義は、次の一点に尽きます。すなわち『性愛の極地とは何か?』です。大義的なテーマが性愛の意味を問うものだとするなら、内部的な命題は、その到達点を探るものに他なりません。

2016-06-08 00:20:58
きしばか。 @kishibaka4850

到達しきった問いの解答が、どのような出発点を持とうと真理に辿り着き得るというのは珍しい説ではありません。全にして一、一にして全一つのことを究めれば、それはすなわち宇宙そのものの真理にも近い答えとなる。

2016-06-08 00:22:36
きしばか。 @kishibaka4850

性愛の究極的な到達点が、愛そのものの到達点となることも、何らおかしなことではないでしょう。その過程にどれだけの偏執や狂気や異常性、否定的要素が混じっていようと、結局最後に辿り着くのは「対象の絶対的肯定」です。

2016-06-08 00:24:09
きしばか。 @kishibaka4850

和辻哲郎の批判したジンメル風に言うなら『二人共同体』、ブーバーで表すなら『わたし-きみ』関係、でしょうか。客体的認識を完全に全存在的関係に置換し、絶対本質と呼びうる根源的関係。それが「対象の絶対的肯定」です。

2016-06-08 00:31:50
きしばか。 @kishibaka4850

まあ倫理学の講義はそこまで真面目に受けていた訳ではないのであまり知ったようなことを言うつもりもないのですが、しかしやはり、あらゆる状況、環境を通じて互いを完全に受け入れた関係性は、愛の究極刑であると言って差し支えないでしょう。

2016-06-08 00:33:16
きしばか。 @kishibaka4850

ちなみに結局、作中で主人公は実は自らが一度死亡し、彼女らと同じアンドロイドに体を移し替えられていることを知ります。つまり二つの純粋な実験的性質を持った個体が、実証実験を通じて性愛の到達点を探る、という構図になるわけです。SFらしい、実に哲学的な純粋環境の整備であると言えます。

2016-06-08 00:35:43
きしばか。 @kishibaka4850

作中での性愛の究極系である『混璽(マージ)』の探究は、記憶を封印・偽装するHSKゲートの催眠と舞台装置によって状況設定を自由に作成する<シーン>を通して行われます。

2016-06-08 00:42:31
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