- mihatsuikutoshi
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昨夜つぶやいたことがたくさんRTされて驚いている。補足だが、セーフティネットがなぜ必要かという質問に対して私やコーディネーターの方や他の参加者などが答えたことは大意、経済効率系、財政効率系、正義系、国民助け合い系など多数の議論が既にあり、お好きな論拠を選べるほど、と。
2016-06-03 21:53:32そして、自分の努力や意欲だけでここまで来たかのように感じている人も、実は家庭や様々な社会制度に支えられてきたのであり、またそうした努力や意欲を支える条件が欠如した状態に追い込まれてしまっている人々がたくさん存在することも改めて説明した。どこまで考えを変えてもらえたかはわからない。
2016-06-03 22:09:08第7章「不平等ルネサンス(2)」
稲葉振一郎著『不平等との闘い ルソーからピケティまで』 amazon.co.jp/dp/4166610783 の第7章「不平等ルネサンス(2)」を読んだ。「生産と分配」の理論モデルについて。理論モデルとは現実を抽象したモデルのことだが、それによって有益な結論を得ることができる。(続く
2016-06-07 00:19:01続き)とは言え、この章ではその理論モデルがとても丁寧かつ詳細に書かれているので、その感想をツイッターで呟くのはたいへん難儀である(^_^;。僕は前に小島寛之氏の本をよく読んでいたので、この章は決して平易ではないが、それなりに理解できたと思う(経済学の基礎用語はわかる的な意味で)。
2016-06-07 00:23:06というわけで、その理論モデルの最も“醍醐味”的なところは割愛して結論のみ呟く。理論モデルに「技術革新」を組み込んだ「内生的成長」モデルでは、初期設定によって要する時間の差はあるが、「最終的には格差はなくなる」ことが確認できる。となると、(先週ツイートした)クズネッツの(続く
2016-06-07 00:29:21続き)クズネッツ曲線 twitter.com/mihatsuikutosh… は案外、正しいのではないかという話にもなるが、90年代以降の「不平等ルネサンス」の経済学では、統計的実証研究によって、80年代から先進国では格差が拡大していることが既に分かっているので、この理論モデルは(続く
2016-06-07 00:34:05続き)むしろ当時のアメリカの歴史観(マルクス主義批判)そのものであった。クズネッツ曲線とは「不平等は経済発展とともにどんどん拡大していくが、しかしそのペースはいずれゆるやかになり、ついには逆転する」(グラフでは逆U字曲線になる)というもので80年代までは割と信じられていた。(続く
2016-06-03 00:02:28続き)間違っているということになる。言うまでもなく「現実と理論とがずれていたら、修正すべきは理論の方です」なのですね。理論モデルとは「現実を抽象したモデル」であるとさっきツイートしたけど、その現実の抽象の際に何かを見落としていた可能性が高い。それは何か。「人的資本」である。(続く
2016-06-07 00:39:02第8章「不平等ルネサンス(3)」
稲葉振一郎著『不平等との闘い ルソーからピケティまで』 amazon.co.jp/dp/4166610783 の第8章「不平等ルネサンス(3)」を読んだ。この章の副題は「資本市場の完成か、再分配か」。昨日ツイートした理論モデルによると、資本市場が完成(効率化)されていればいるほど(続く
2016-06-08 00:32:00続き)より早く「格差はなくなる」ということになる。よって、格差を解消するには、財の再分配を公共政策で行うのは市場を歪めるので悪手であるが、それよりも資本市場をより完成(効率化)させたほうが良いという答えに至る。しかし、資本市場を完成させるなんてことは本当に可能なのだろうか。(続く
2016-06-08 00:36:11続き)結論は、不可能である。なぜなら、「人的資本」は資本市場になじまないからである。その理由については、専門用語では「市場の失敗」「市場の不完全性」「不確実性」「外部性」などなどと呼ばれているのだが、ツイッターでの説明は割愛しておく^^(もちろん、この本には詳しく書かれている)。
2016-06-08 00:40:51よって、資本市場の完成(効率化)を目指しても格差はなくならない、再分配政策が必要なのであるという答えに至る。更に興味深いのは、90年代以降の「不平等ルネサンス」の理論家たちは「分配の平等化がむしろ成長にとってプラスである」とも主張している点である。その理論の正否については(続く
2016-06-08 00:50:00続き)まだ不確かであるのだが、統計的実証研究においては「格差が成長を低下させる」ことは既に判明している。というわけで、第8章はここまで。今日の連投、終わり。
2016-06-08 00:54:10まぁ、正直に言うとw、この本の第6章~第8章の「不平等ルネサンス」の(1)~(3)を読み終えてみて、90年代以降の経済学は、えっ、そういうことだったのか、といった感嘆があると同時に、何とも言えぬ肩透かしを食らった感もなくはない(^_^;
2016-06-08 01:10:18続き)と同時に、というか逆に、このあと登場する経済学者のトマ・ピケティがなぜ凄いのか、何が“革命的”であったのかがよく分かる話の流れになっている。というわけで、次の第9章は「ピケティ『21世紀の資本』」です。第8章まではピケティのための前座だったのかも知れないな(それはないw
2016-06-08 01:15:52「不可能である」とまでは言ってません。あるいは「理論的には不可能ではないがしかし実際には略」ってところかな twitter.com/mihatsuikutosh…
2016-06-08 01:30:21さっき twitter.com/mihatsuikutosh… とツイートしたのだけど、これは、再分配政策によって資本市場をより完成(効率化)させることができる、と言い換えられる。よって、再分配政策によってより高い成長をもたらしうる。(P196)
2016-06-08 01:39:17まぁ、「生産と分配」のどっちやねんみたいなところはある。というか、どっちからでも読めるようにしているのが90年代以降の経済学の特徴。
2016-06-08 01:46:48