『柄谷行人インタヴューズ1977‐2001』読書メモ集
- arishima_takeo
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「やっぱり愛想が悪い奴は嫌われるんですよ。何人であろうが。スマイルするのも言語表現ですよ。テープで聞いたようなものの言い方をして、コミュニケーションできるわけがない」(『柄谷行人インタビューズ1977‐2011』)。みもふたもない。
2016-06-30 11:01:07「初めから英語ができて、しゃべれて、しかし、内容がないというような奴は国際人でも何でもない。そういう連中にはもともと国際人と呼ぶ以前に、別のカテゴリーが必要なんじゃないですか、たとえばアホとか」(『柄谷行人インタビューズ1977‐2011』)。笑った。
2016-06-30 11:03:01「「まんま」と言ったときの「まんま」は、「欲しい」と言ってるわけです。「ママ」というときでも、「来て」というふうな意味なんだ。単語でも名詞でもない。それで立派な文章なわけですよ。決して不完全じゃない」(『柄谷行人インタビューズ1977‐2011』)。いいこと言うじゃん。
2016-06-30 11:04:43「田中康夫は「平和憲法擁護」を積極的に唱えたけれども、全共闘とかそういう連中はそんなことは言えない」(『柄谷行人インタヴューズ1977‐2011』)。あれ? 田中康夫っていま改憲派じゃなかったっけ。元々護憲だったのか。
2016-06-30 11:07:03僕は「友人」はいるが、仲間はいない。たとえば、中上健次は僕の友人だけど、仲間じゃない。たぶん僕の「友人」になるのはしんどいですよ。これを党派性と思う人は、自分が党派的なだけです。というより、ノスタルジックなだけです。by『柄谷行人インタヴューズ1977‐2011』
2016-06-30 11:09:22「一行を直しても売れ行きに関係することはない、にもかかわらずその一行を直すという意識の中には、永遠性という理念が働いていると思うんです」(『柄谷行人インタヴューズ1977‐2001』)。いいこと言うな。こういうこと言ってくれるからなんやかんやで好き。
2016-06-30 18:21:24「実は当初構想していた「トランスクリティーク」の最後は、「資本主義というものは乗り越えられない。しかし闘うぞ、ジャンジャン」(笑)というようなものです」(『柄谷行人インタヴューズ1977‐2001』)。オレたちの戦いはこれからだ!
2016-07-01 17:23:09「ぼくは若いころ、友人が夫婦で呉服屋をやっていて、それを株式会社にするというので、頼まれて専務になったことがある。そいつが社長、奥さんが従業員で、ぼくは専務、なにもセンム(笑)」(『柄谷行人インタヴューズ1977‐2001』)。お、おう…!
2016-07-01 17:23:43『柄谷行人インタヴューズ1977‐2001』読了。英語教育を語る、初期の「英語ができないはありえない」が貴重。一時期すごい真面目だけど、現在に近づくと茶目っ気が強い気がするが、時代のせいかそれともインタビュアーのせいか…。
2016-07-01 17:31:58