北田暁大『責任と正義』読書メモ集

北田暁大『責任と正義――リベラリズムの居場所』(勁草書房、2003)の読書メモをまとめました。
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荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

私にとってリベラリズムとは、私が本質的なものと理解した問いに対する次善の回答でしかない(したがって私は、井上達夫のいう「正義の基底性」という価値に無条件にコミットすることはできない)。by北田暁大『責任と正義』

2016-06-30 16:08:13
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

私は自分がリベラリストであるかどうかいまだ確信を抱けてはいない。ただ「少なくとも公的な次元ではリベラルな価値が支配する世界の方が、そうでない世界よりも好ましい」とは思う。その意味では、リベラリストなのだろう。by北田暁大『責任と正義』

2016-06-30 16:10:47
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「こうしたことは、(言語)行為単位のアプリオリな自己同一性を認める理論的スタンスが、「合理性」を行為者自身に備わった能力へと還元する傾向を持つことを示している」(北田暁大『責任と正義』)。難しい日本語だな。

2016-06-30 16:44:05
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

行為をコミュニケーションにおいて構成される観察対象へと(分析上)格下げすることで初めて、「つねに・すでに問われうるにもかかわらず、社会全域的に適用されることはありえない」道徳のヤヌスの双顔が見えてくるはずである。by北田暁大『責任と正義』

2016-06-30 16:52:54
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「責任阻却の《規準》をめぐる論争は、まさしく百家争鳴といった観を呈している」(北田暁大『責任と正義』)。この四字熟語いつかどこかで使う。

2016-07-02 12:33:13
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

ウェーバーから丸山眞男にいたるまで繰り返し参照されてきた「結果責任を引き受ける強い自己」とは、あくまで結果の責任ーー「したこと」の意図せざる結果ーーを主体的に引き受ける自己なのであって、己で行為記述を画定する意志と特権を与えられていたといいえるのである。by北田暁大『責任と正義』

2016-07-02 12:54:32
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

もし責任を、行為者が引き受けようが/引き受けまいが生じてしまうものとして捉えるなら、かかる「強い自己」は、勝手に自分の行為を記述し、その「意図せざる結果」への英雄的な対処のあり方に自己陶酔する、誠に身勝手-無責任な主体であるとはいえないだろうか。by北田暁大『責任と正義』

2016-07-02 12:59:34
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「何をしたことになっているのか」の定義権を行為解釈者に委ねることによって、水銀をたれ流す企業の行為責任の剔出に成功した「強い」理論は、一方で、指を動かし料理をしただけで「世界の秩序を乱した」ことにされてしまう魔女たちの責任をも承認してしまうのであった。by北田暁大『責任と正義』

2016-07-02 13:03:01
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

サルトルが『ユダヤ人』で鋭く指摘したように、すべての「悪しき」結果の原因をユダヤ人の行為に見いたす反ユダヤ主義の論理は、原因の除去という「善行」に専心することを鼓舞し、みずからの行為責任への反省を曇らせることとなる。by北田暁大『責任と正義』

2016-07-02 13:04:00
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

テレビの討論番組で「なぜ人を殺してはならないのか」と問うた少年は、ごく普通に日常生活を送ることができているはずであり、その意味で、実際に殺害行為に及んだ「殺す経験をしてみたかった」少年よりはるかにラディカルな懐疑者だったのである。by北田暁大『責任と正義』

2016-07-03 10:48:35
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「なぜ人を殺してはならないのか」と問うた少年が、もしローティの本を読んだとしたなら、むしろ自分を説得しようとする大人が皆本気でないことー自分の説得を所詮方便=レトリックにすぎないと思っていることーを知り、ますます懐疑心を深めるばかりなのではなかろうか。by北田暁大『責任と正義』

2016-07-03 11:42:44
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「永井均のような畏るべき物好きだけが、そうした煩わしさを引き受けていればよいのだ」(北田暁大『責任と正義』)。爆笑した。

2016-07-03 12:27:52
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

自由主義の臨界を真摯に受け止めない者に、自由主義の希望を語る資格はない。by北田暁大『責任と正義』

2016-07-04 12:20:39
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

虚心坦懐に自由なるものを考えるなら、「積極的自由/消極的自由という区別を外部観察者=理論家が提示し、国家が保護すべき基本的な自由を画定することができる」などという不遜な野望を潔く捨て去るべきなのだby北田暁大『責任と正義』

2016-07-04 12:56:20
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

我々のリベラリズムは、自由を享受することの困難さを真摯に受け止め、可能なかぎりその困難の除去に努めるーー徹底して非人間主義な態度をもって。by北田暁大『責任と正義』

2016-07-04 13:04:33
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「「なぜなぜリベラリスト」が親族につきまとって「なぜなぜ」攻撃を繰り返すなら、殴られて追い返されるのが関の山というものだろう」(北田暁大『責任と正義』)。なぜなぜ撃退法=殴って追い返す。

2016-07-04 13:46:45
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

《正義》は、《システム》的責任処理様式において自明化されている《行為/その結果》の区別、およびその区別を成り立たせているシステム内の公的ルールを相対化するコミュニケーション様式なのである。by北田暁大『責任と正義』

2016-07-04 16:28:52
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

《正義》による責任処理の様式は、乾ききった《システム》的な責任処理とウェットな《道徳》的責任処理とのあいだ(in-between)に位置するものと言うこともできるかもしれない。by北田暁大『責任と正義』

2016-07-04 16:32:03
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

「責任は私がとる!」という英雄的な結果責任への意志が、その実、「結果」を惹起させる(ことができる)主体=主役としての自己像を前提としたナルシスティックなものにすぎないこと。by北田暁大『責任と正義』

2016-07-04 16:59:34
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

北田暁大『責任と正義』読了。とても面白かった。何より北田さんの文章でこんなにスルスル読めるとは思わなかった。いつもはイコールとか二重山括弧とかハイフンとか使い過ぎて、最終的に混乱したまま終わるけど、今回は(いや使ってはいるんだけど)そんなことない。すごい! ところどころ笑えるし。

2016-07-04 17:29:23
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

面白いこと請け合いなのだが、徹頭徹尾批判なので、ポジティブななにかを引き出せるかっていうと、どうなんだろうか…あえていえば悪口が上手くなる…とか? まあ、「逞しきリベラリスト」(井上達夫)から「女々しいリベラスト」くらいにはなれるかも(なりたいか?って話はあるけど)。

2016-07-04 17:34:36
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

あと、レヴィナス他者論には一貫して批判的だからその観点では得るものが多かった。参照すべき文献⇒稲葉振一郎『リベラリズムの存在証明』、川本他編『応用倫理学の転換』、大庭健『他者とは誰のことか』『権力とはどんな力か』『自分であるとはどんなことか』、永井均諸作。

2016-07-04 17:47:03
荒木優太(新しい本が出たよ) @arishima_takeo

しかし、『責任と正義』読みつつ、希望は(中)間にある!って結論っていい加減使いすぎなんじゃね?とか思わなくもなかった。千葉雅也のドゥルーズ論とか入不二基義の運命論とかもそんなふうなエンディングでしょ。いや、勿論、そこで言われてる「中間」なるものの内実って全然違うんだけどさ。

2016-07-04 18:03:35