ポジャギ・フォーク・ストーリー

松谷みよ子『日本の神話』のら書店 http://amzn.to/2ayAWzr の『古事記』を離れたテキスト群の出典をしらべてみる。  個人的に違和感のあった部分しか調べていないので、挙げてない部分や、『古事記』にも提示されている部分もあるかも?
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ほおづきン @kagachi_ecm

んで、松谷の『日本の神話』を〈現代の神話〉として読み解くときに、たとえば『古事記』の、どこを削って、どういう内容のモノを、どこに挿入したのかが、注目されるべきなのでは?

2016-08-12 12:15:32
ほおづきン @kagachi_ecm

まあ『古事記』を底に置くところに、現代の神話研究の限界というか、純然なテキストを『古事記』に想定するところ、比較対象がなければ〈差異〉も、存在しないのは当然だが、純然なテキストとの異同としてしか『日本の神話』の特徴を記述できないのは、限界なんだと思う。

2016-08-12 12:16:11
ほおづきン @kagachi_ecm

まあ、出順で順番に潰していくのが、手っ取り早いので、異同一覧を参照しながら、異同の神話の構造と、挿入の意図について考察したい。

2016-08-12 12:16:54

 うけもちの神

ほおづきン @kagachi_ecm

底:29頁。「うけもちの神」 五穀の起源を語るのは農耕民族にとっては重要な起源神話の1つとみなされるだろう。 『古事記』にも、同様な物語があるにもかかわらず、差しかえがなされている。

2016-08-12 12:32:35
ほおづきン @kagachi_ecm

つまり、物語の主人公をスサノヲからツクヨミに書きかえることに重要な意味があったと考えられよう。まあ、ぶっちゃけ、『古事記』ではキャラクタリゼーションが不完全であったツクヨミに、この逸話を挿入することで、印象を持たせたかったのでは?

2016-08-12 12:33:24
ほおづきン @kagachi_ecm

ツクヨミというと、現代の神道学や神話学でも、十分な検討がされているのか疑問もある(『ツクヨミ』という著作はあるのか)し、『熱田の深秘』の「ちはやぶる」の起源のように、丹生大明神として女性の戦神という側面も興味深い。

2016-08-12 12:34:24

 材木の縁起

ほおづきン @kagachi_ecm

底:55頁。「材木の縁起」 樹種の比定と、なにの木が、どのような用材として有用なのかは、論理的な口伝えが重要。スサノヲの毛の種類によって、樹種が比定され、それぞれの用途が指定される。無文字時代には論理的な説明より意識しやすい説話の方が合理的だったのでは?

2016-08-15 14:28:30

 国引き神話

ほおづきン @kagachi_ecm

底:59頁。「国引き神話」 出雲国意宇郡のドメスティックな縁起説話だが、その環日本海的な視点や、国土を引きよせるという力強さが『古事記』にも負けない、アナザストーリーとして、重要な位置をしめている。

2016-08-15 14:36:12
ほおづきン @kagachi_ecm

『古事記』の神々と『風土記』の神々を神名の共通性から牽強付会的に結びつけるのは、ある種の危なっかしいダイナミックさを要するが、挿入個所、内容ともに、おさまりがいいのでは?

2016-08-15 14:36:54

 アメノヒボコ

ほおづきン @kagachi_ecm

底:95頁〜。「アメノヒボコ」 『播磨国風土記』『古事記』中巻を軸に、出石の地域の伝承をもとに構成されている。挿話の取捨選択、配置順番が秀逸で、古典として〈アメノヒボコ〉という物語があるように錯覚してしまう。

2016-08-15 14:50:16
ほおづきン @kagachi_ecm

アメノヒボコに対するのがオホクニヌシで、松谷は「出雲系」を念頭にしているのかもしれないが、現在の兵庫県が瀬戸内海と日本海を持つように、『播磨国風土記』に、但馬国のような環日本海的な世界が隣接しているとしても、『播磨国風土記』をダイレクトに「出雲系」と個人的に言い切れない。

2016-08-15 14:51:03
ほおづきン @kagachi_ecm

『播磨国風土記』には火明命など、近畿だけでなく、東海でも重要と目されるような神の異話を伝えており、また、オホクニヌシのような集合名詞的な神は、時として神名がゆらぐので注意が必要。

2016-08-15 14:51:36

 スクナビコナ

ほおづきン @kagachi_ecm

底:114頁・116頁。「スクナビコナ」 『古事記』のオホクニヌシの逸話の中で注目されるのは、スクナビコナと大物主だろう。松谷は大物主を無視するかわりに、スクナビコナの物語を補強している。

2016-08-15 15:28:09
ほおづきン @kagachi_ecm

オホクニヌシにも言えることかもしれないが、スクナビコナの特長は、そのコミカルさなのではないだろうか? コミカルさという点で、この2つの挿話は的確である。

2016-08-15 15:28:47
ほおづきン @kagachi_ecm

また、大物主は、奈良・大神神社の祭神で、崇神記など『古事記』中巻の伏線にもなる重要な神の1つと思われるが、松谷は一切ふれない。あるいは、近畿からの出雲系神話の侵食と考えたのかもしれない。

2016-08-15 15:29:30
ほおづきン @kagachi_ecm

個人的に『播磨国風土記』などをみるに、持統天皇や元正天皇を意識して、アマテラスが最高神とされる前に、汎日本的にオホクニヌシが最高神の時代があったのかもしれない。それはオホクニヌシを「出雲系」の征服された王朝とみるより、汎日本人の古層にオホクニヌシが内在されているのでは?

2016-08-15 15:30:45
ほおづきン @kagachi_ecm

(あるいはオホクニヌシという集合名詞には、たとえば蘇我氏のような実在のモデルがいて、地域での中央の業績を中心に、地名の縁起や特筆される過去の業績などのクロニクルが多層的に付加されているのでは?)

2016-08-15 15:31:35
ほおづきン @kagachi_ecm

また、個人的に『釈日本紀』に引用される『風土記』が、いわゆる古風土記の逸文かどうかは、疑問を持っている。スクナビコナについても、キャラとして的確にもかかわらず伯耆である必然性に乏しい。(郡名や里名でなくピンポイントの地名の縁起である)

2016-08-15 15:32:22
ほおづきン @kagachi_ecm

たとえば備後国の「蘇民将来譚」にしても、牛頭天王は祇園の祭神で、平野家と祇園とのパワーポリティクスのなかで、平野家が神道の家としての正統性をしめす資料にしたのかもしれないし、後出の物語との齟齬も異様に少ない。

2016-08-15 15:33:08

 出雲系と新羅国