ポジャギ・フォーク・ストーリー

松谷みよ子『日本の神話』のら書店 http://amzn.to/2ayAWzr の『古事記』を離れたテキスト群の出典をしらべてみる。  個人的に違和感のあった部分しか調べていないので、挙げてない部分や、『古事記』にも提示されている部分もあるかも?
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ほおづきン @kagachi_ecm

結局、松谷のいう「出雲系」というのが何を意味するのか、だんだん解らなくなってくる。単にオホクニヌシの活躍する物語を「出雲系」というか、もっと広く、スサノヲの子孫が活躍する物語が「出雲系」なのだろうか?

2016-08-16 15:04:26
ほおづきン @kagachi_ecm

しかし、やはり『播磨国風土記』を眺めれば、在地の〈王〉としてオホクニヌシがいたというより、もっと、オホクニヌシという集合名詞を使った瞬間に、中央の地域支配としての物語という側面が強いのではないだろうか?

2016-08-16 15:05:07
ほおづきン @kagachi_ecm

個人的に、この体感から導きだされるのが、風土記の成立が、もう少し遅ければ、オホクニヌシの物語は、あるいはアマテラスや、ニニギといった、新しい神話体系の集合名詞に変わっていたのではないか?という疑問。

2016-08-16 15:06:14
ほおづきン @kagachi_ecm

現に、播磨国のオホクニヌシは、播磨国にとどまり、より出雲に近い但馬国の出石へアメノヒボコを追いやる。「出雲系」といわれるには出雲国という地域に根ざしてなく、しかも、その職能は地域の〈王〉というより、中央の為政者を思わせるのは、個人的な色眼鏡だけなのだろうか?

2016-08-16 15:06:52
ほおづきン @kagachi_ecm

その中で、注目されるというか、オホクニヌシより明確な属性をしめすのが、アメノヒボコが「新羅国」からやってきたということだ。『風土記』や『古事記』が作られた当時性を考えれば、新羅国という属性は、日本国の建国に関するリアルな先代の旧事で、地政学的なリアルでもあったのだろう。

2016-08-16 15:07:54
ほおづきン @kagachi_ecm

松谷にとって、あるいは松谷の『日本の神話』が語られるときに、新羅国の属性がなにを意味するかは、今の我々の立ち位置とも違うのではないか? 構造的に具体的な見通しをしめすことは、やめて、もうすこし、このことについては我々も冷静に考える必要がある。

2016-08-16 15:08:40

松谷『日本の神話』解説より

ほおづきン @kagachi_ecm

【松谷『日本の神話』解説より】 「この巻におさめた「日本の神話」は、あらましの流れを「古事記」上巻、神代(かみよ)の巻(まき)によっております。しかしそれだけではなく、「日本書紀」「風土記」の中からも選び、構成しました。」181頁

2016-08-14 15:45:37
ほおづきン @kagachi_ecm

「また現在、その土地で語られていることがらによっている点もあります」181頁

2016-08-14 15:46:02
ほおづきン @kagachi_ecm

【解説より】 「なぜかといいますと、(1)「古事記」にはないが、「日本書紀」に語られている話があること、(2)「古事記」「日本書紀」が大和朝廷(やまとちょうてい)の手で書かれたものであるため、出雲系(いずもけい)の神々の国づくりが、あまり書かれていないこと、」181頁

2016-08-14 15:50:07
ほおづきン @kagachi_ecm

「(3)また古事記におけるアメノヒボコのように、時期がひどくずれたところへ、とつぜん出てくる話があること、それらの点から、出雲系の神々の話を「風土記」からとり、天と地と、高天原(たかまがはら)と葦原(あしはら)の中(なか)つ国(くに)と、対比させてすすめてみました。」181頁

2016-08-14 15:54:15
ほおづきン @kagachi_ecm

【解説より】 「わたしは日本の神話がすきです。けれども、わたしが育った時代には、神話は、動かすことのできない歴史として教えられてきました。その思い出は戦争につながり、ある時期、わたしは神話を拒否しました。」182頁

2016-08-14 15:57:11
ほおづきン @kagachi_ecm

【解説より】 「わたしは、日本の神話と歴史を混同することなく、むかし話をたいせつに思う心と同じ心で、たいせつにしたいと思うのです」182頁

2016-08-14 15:59:36

古事記物語という書名

ほおづきン @kagachi_ecm

松谷の『日本の神話』は「日本の神話」だが、70〜80年代の子供むけの日本古典文学全集などには、福永・鈴木を筆頭に『古事記物語』と題される『古事記』の子供むけの現代語訳が散見される。

2016-08-21 08:13:33
ほおづきン @kagachi_ecm

なんの気なしに古事記の解説書という意味で『古事記物語』というタイトルを享受する人は少なくないだろうが、この『古事記』に付加された〈物語〉という言葉は、実際になにを意味するのか?

2016-08-21 08:14:05
ほおづきン @kagachi_ecm

ともすれば、子供にとっては、『古事記物語』の「物語」は、ノイズでしかないのではないだろうか?現に子供の頃に『古事記物語』よりは『古事記』を読んでみたいと思った(と思う)個人の私論を展開する。

2016-08-21 08:14:20
ほおづきン @kagachi_ecm

どうも個人的に最初に小学生の頃に読んだ『古事記』は大久保正の訳だったようである。(古い記憶は容易に改編されるので当時の記録があるわけではないので、おぼつかない。『古事記』というタイトルと臙脂?の表紙でヒットするの大久保本だったという帰結)

2016-08-21 08:14:41
ほおづきン @kagachi_ecm

まあ、僕の読んだ最初の『古事記』が、大久保のものであるとすると、図書室の読者にフィットした司書活動に敬意をはらわざるにはいられない。今となっては解説と地の文との境界線がはっきりしないなど難点はあるが、当時の子供むけ『古事記』の最高水準のモノなのでは?

2016-08-21 08:15:08
ほおづきン @kagachi_ecm

こういう本が、たまたま図書の流通の過程で小学校の図書室に架蔵されたのではなく、僕の個人的な指向が図書室の配本に影響を与えているのでは? これは、現在の公立図書館でも、初期値としての図書数より市民からのリクエストによる架蔵の増加の方が重要な意味を持っているのでは?

2016-08-21 08:15:37
ほおづきン @kagachi_ecm

なんか話が明後日いった。そうそう『古事記物語』の「物語」は、あるいは、1つには『今昔物語集』『宇治拾遺物語』など、日本の説話集の影響で、物語で終わらない古典に語彙を整えるような意味で『古事記物語』とされているのかもしれない。

2016-08-21 08:16:08
ほおづきン @kagachi_ecm

しかし、この場合は、子供むけの古典文学全集の一覧でも、たとえば『太平記』や『太閤記』など「記」で終わる古典については「物語」は付加していないので、この説明にも不十分なところがある。

2016-08-21 08:16:31
ほおづきン @kagachi_ecm

2つ目に、たとえば『聖書物語』のように、原著に権威があったり、原著にそくした翻訳では、それでもなお読みづらいために、説話風の抄訳をした場合などに「物語」がつくのではないだろうか?

2016-08-21 08:16:55
ほおづきン @kagachi_ecm

この場合でも、福永の『古事記物語』などは、陵墓や続柄は欠くが、古事記の、ほぼすべての逸話を収録する、いわば完訳で、福永によるリアレンジという意味では、必ずしも翻訳の効果が発揮されているとはいいづらい。

2016-08-21 08:17:33