「トリックよりロジック」を思索する(「虚構」と「現実」、そして「バブル」との関係性)

都筑道夫さんの「トリックよりロジック」を深読みすると、「ロジック」は「トリック」の代用品ではないことが分かる。「ロジックのためのロジック」が「トリックのためのトリック」をなぞるばかりではなく、作り手と受け手の間のグレー・ゾーンを担保する機能を持っていることを再認識したい。
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じねん @jinensai

思索に耽溺する人間なので、不定期にミステリについての考察も進めているのだが、最近ふと思ったのは、かつて「トリック」に発動した自壊プログラムが今日では「論理」に発動しているのではという「予想」だ。これは「トリックよりロジック」という都筑道夫さんの主張を額面通りに受け取るなら(続

2016-08-09 07:55:12
じねん @jinensai

承)「それのどこがおかしい?」という反発も受け兼ねないが「トリック」が「論理」に置換されただけの様相を都筑さんがまだ生きていたと仮定して、すんなり受け入れるとは到底思えない。「論理のための論理」は「トリックのためのトリック」と本質的に何も変わらないからだ。

2016-08-09 07:56:36
じねん @jinensai

なぜ「トリックよりロジック」なのかの思考を伴うことがまず第一歩かと思うのだが。

2016-08-09 07:59:03
じねん @jinensai

マッサージチェアで首を揉んでた間考えてたことだが、「構文」と「表現」から考えると「シン・ゴジラ」は「人物が描けていない~」云々から「新本格」に擬されているけど、むしろコレ「社会派」じゃねーの? という疑念。故・佐野洋氏が太鼓判を押すくらいの。(続

2016-08-11 21:48:12
じねん @jinensai

承)「虚構」が綿密な取材で裏打ちされた「現実」のフレーム上を走り、突出したいわゆる「名探偵」が活躍するのではなく、「組織」が問題解決する。人物の内面をいちいち吐露させず行動と発言と表情で「表現」するのは「社会派」というより「ハードボイルド」の手法に近い。(続

2016-08-11 21:48:36
じねん @jinensai

承)そもそも「面白くない」ものが大流行するはずがない。「社会派」全盛時代、それは時代背景や思潮の影響ばかりではなく「虚構」が「現実」との境目なくグレー・ゾーンに混在する「面白い」コンテンツだったはずなのだ。(続

2016-08-11 21:48:57
じねん @jinensai

承)それが「現実」の可能性が見えてしまい、しらけて力を失うことで、「虚構」を「虚構」で支えざるを得ない状況へと移行する。「新本格」が力の及ぶ範囲をクローズド・サークルに限定しがちなのも「警察」の排除より「虚構」を支える力とのバランスによるのだろう。(続

2016-08-11 21:49:22
じねん @jinensai

承)なぜ今頃になって「シン・ゴジラ」に限らず「社会派」の亡霊が復活しつつあるのかは継続的に観察しなければならないだろう。一つ考えられる仮説としては、もはやしらけてるばかりではなく「現実」を直視せざるを得ない世間の絶望感が極点にきたということなのかも知れないのだが。

2016-08-11 21:49:53
じねん @jinensai

先日から考え続けているが、都筑さんによる「トリック無用は暴論か」に始まる論の展開が「トリックよりロジック」のよって立つベースなのは明らかなのだが「なぜ」まで考えると必ずしも歯切れの良いものでもない。論旨が荒唐無稽な「トリックのためのトリック」批判を出ていないからだ。(続

2016-08-12 08:13:34
じねん @jinensai

承)換言すると「トリック」が「出しておけばミステリだ」という必要最低限の「要素」の体(てい)に堕していることへの不満なわけで、「それならいらないよ」という一種の「荒療治」なのだと思う。つまり「要素」より「機能」を重視しての発言が「トリック無用」論の本質だと思う。(続

2016-08-12 08:15:12
じねん @jinensai

承)深読みすれば「ロジック」は「トリック」を紐付けるもので「トリック」の代用品ではないということ。それが「トリック」が出尽くした感のあった当時の創作界隈には絶好の「避難経路」あるいは「福音」に思えてしまったのは都筑さんにとってもミステリ界隈にとっても不幸な巡り合わせだった。(続

2016-08-12 08:17:33
じねん @jinensai

承)「殺人」や「ロジック」が「出しておけばミステリだ」という「要素」に堕していく展開が都筑さんには「予測」できたのかも知れない。「ロジック」は「トリック」を始めとする「虚構」を現実につなぎ止め、読者との間のグレーゾーンを担保する「機能」として捉え直さなければならないだろう。

2016-08-12 08:19:22
じねん @jinensai

「ロジックのためのロジック」という暴走は長期的にジャンルの先細りを招き兼ねない。

2016-08-12 08:21:55
じねん @jinensai

うん、これじゃ『十角館の殺人』(1987年9月5日)に出て来ないのは仕方ないのう。→「NTTにとって初めての携帯電話サービスが開始されたのは、1987年4月のことです。」 history-s.nttdocomo.co.jp/list_mobile.ht…

2016-08-14 17:05:17
じねん @jinensai

「虚構」と「現実」の力関係に加え「仮想現実」についても考えていたが、前駆となるゲームブック、PCゲーム、それらが一般化していく上でファミコンや携帯電話が果たした役割は大きい。「虚構」が「虚構」を支える上でベースとなる「世界観」のイニシアティヴはもはや「小説」にとどまらない。(続

2016-08-14 19:50:41
じねん @jinensai

承)現象としてのそれらを数え上げるのはたやすいが、「現実」の「虚構」への大胆な歩み寄りの原動力は何かざっくり考えると、やはり「バブル」の影響は外せない。建物は建て替えられ、リゾート開発で思わぬ場所に金が投入され、スキー場には人が溢れかえる。「現実」が「虚構」化していた。(続

2016-08-14 19:51:49
じねん @jinensai

承)これでは「現実」をベースにしたところでリアリティーは望むべくもない。「高度経済成長期」の、「虚構」がスピーディーに「現実」化していく面白さ(が社会派の隆盛を招来する)とは逆のベクトルが生じていた。「現実」をベースにするほど「嘘」にしか見えない状況となっていた。(続

2016-08-14 19:53:15
じねん @jinensai

承)この間に「しらけ世代」がモラトリアム期間として挟まる構造なのだが、頭打ちになった「現実」に代わる「面白さ」を求めての活動としてなら、冒険小説の台頭や異様な海外翻訳ブーム(エルモア・レナードとか)も、ここではないどこか、即ち身近な「異世界」への跳躍として腑に落ちる。(続

2016-08-14 19:54:18
じねん @jinensai

承)携帯電話と直接関連の無い『十角館の殺人』が登場する背景は科学技術による「虚構」の「現実」化というより実体を持たない泡が膨らんでいく不安感と裏腹な「現実」の「虚構」化がそのハードルを低くしていたと考える方が理に適っている。「現実」を描こうとしても「嘘」にしかならないのなら。(続

2016-08-14 19:59:15
じねん @jinensai

承)そうした「虚構」を「虚構」として楽しむスタンスは角川システムによる横溝作品の再評価や島田荘司さんの登場などによって既に先鞭はつけられていたわけで、唐突なものではない。弊害となる「現実」と「虚構」とのグレーゾーンの狭さをどう克服するかは書き手各々の課題となっていくだろうけれど。

2016-08-14 19:59:56
じねん @jinensai

「虚構」と「現実」のグレー・ゾーンを担保するものは作り手と受け手が共有できるもの。ミステリでは「トリック」「科学」「論理」などがそれにあたるだろう。いうなれば彼我で「検証可能」なものだ。納得や腑に落ちる感覚は受け手の意識的・無意識的な検証・反芻を経ている。(続

2016-08-15 11:11:07
じねん @jinensai

承)受け手側の個別の知識や他者の思考を受け入れる資質はもちろん重要だが、そのベーシックな部分はやはりその時々の社会状況、権威者や水先案内人の誘導による部分が大きい。「トリックのためのトリック」や「ロジックのためのロジック」という作り手側の暴走も受容されれば成立はする。(続

2016-08-15 11:12:12
じねん @jinensai

承)現状この危うい彼我の「共犯関係」は比較的良好に推移しているが、社会状況の変化によって、バランスは簡単に崩れてしまう。好例がいわゆる「社会派」であろう。普遍性を重視するなら「検証可能」なものの見直しが必要になる。(続

2016-08-15 11:13:27
じねん @jinensai

承)舞台が異世界であろうとそれが「検証可能」で作り手と受け手がキャッチ・ボールできているのであれば、それは成立する。「トリックのためのトリック」や「ロジックのためのロジック」という一人相撲をどう回避するかが課題だろう。ミステリには(彼我ともに)「相手」がいるのだから。(続

2016-08-15 11:14:06