ただのメモ。

いつか役に立つかもしれず、でもおそらくゴミ
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江口某 @eguchi2014

こういう観察力っていうのはやっぱり哲学者らしい資質を感じる。

2016-09-14 09:32:53
江口某 @eguchi2014

p.67 「幸福であることとそれを知ること(幸福だと思うこと)は、実在論的には切り離されます」はちょっとわかりにくい。

2016-09-14 16:07:52
江口某 @eguchi2014

Aを知ることとAであると思うことはちがうんちゃうかな。

2016-09-14 16:08:16
江口某 @eguchi2014

あれ、それを言ってるのかな。

2016-09-14 16:08:31
江口某 @eguchi2014

素直に「幸福であることと幸福だと思うことはちがう」だったらわかりやすかったか。

2016-09-14 16:09:29
江口某 @eguchi2014

実在論と観念論、っていう言葉に私がひっかかってるだけだな。

2016-09-14 16:10:40
江口某 @eguchi2014

「しあわせなら手をたたこう」 If you're happy and you know it, clap your hands.っていうのは別の解釈もできるかもしれないとは思う。

2016-09-14 16:12:32
江口某 @eguchi2014

青山先生はこのhappyを主観的なものじゃなくて、客観的なwell-beingに読んでるぽくて、それはそれでOKなんだけど。

2016-09-14 16:13:16
江口某 @eguchi2014

ヘイブロン先生なんかだとhappinessは endorsementとengagementとattunementの三つぐらいを内部に含んでる、みたいなことを言うわけで、まあ楽しい感じと熱中している感じと落ちついてる感じね。どれも感じ。

2016-09-14 16:14:11
江口某 @eguchi2014

んでengagement、心理学でいえばフローの状態みたいなときは、自分がその状態にいることを意識しないかもしれない。

2016-09-14 16:14:48
江口某 @eguchi2014

ここらへん難しいね。

2016-09-14 16:14:53
江口某 @eguchi2014

でもたとえばお祭とか、コンサートとかで没入しているときはわーってなってるけど自分がわーってなってることに注意が向いてないかもしれない。

2016-09-14 16:15:28
江口某 @eguchi2014

そんなときに、「君がハッピーで、それに気づいたら手を叩いてみな」って声をかけるのはいい感じのときもあるかもしれない。

2016-09-14 16:15:59
江口某 @eguchi2014

キヨシローが「愛しあってるかーい」って声かけたときにみんな愛しあってることを意識したりする、そういう感じ。

2016-09-14 16:16:29
江口某 @eguchi2014

まあふつうは「アナタハーシアワセーデスカ」って聞かれたらみんな幸せじゃなくなっちゃうけどね。

2016-09-14 16:17:35
江口某 @eguchi2014

まあこれは青山先生とは関係がない。

2016-09-14 16:18:46
江口某 @eguchi2014

p.70ぐらいからの議論はなかなか哲学している。

2016-09-14 16:19:18
江口某 @eguchi2014

幸福をある程度客観的状態としてとらえると、幸福かどうかというのは可能的な他の自分の状態といろいろ比較することになるので、(他の自分の可能性を想定するという意味で)かえって観念的になりますよ、みたいな感じかな。ここらへんの観念論/実在論、客観/主観の関係は私はうまく説明できない。

2016-09-14 16:21:00
江口某 @eguchi2014

私の感じだと幸福を論じるにしては大掛かりな仕掛けつかうなあ、みたいな感じだけど、やりたいことはわかるような気がする。

2016-09-14 16:23:02
江口某 @eguchi2014

まあ福利の問題として考える場合やっぱりそうならざるをえないとも思うし。

2016-09-14 16:23:37
江口某 @eguchi2014

「幸せだと知ることで幸せになれる」p.71がポイントだよなあ。本全体としてこれが青山先生の主張だと思う。

2016-09-14 16:25:43
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