三浦つとむ崇拝者の信仰告白

三浦つとむ(1911-1989)という学者についての自分のつぶやきを集めておく。
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ふかくさ @fukaxa

まあ理系の人が自分の専門分野の中だけでは解決できない問題にぶち当たって手当たり次第に文系の学問や宗教や評論を渉猟するのは昔からよくみられた風景なのであろう。三浦つとむ師匠もそういった状況をよく描写している。

2011-02-03 20:19:10
ふかくさ @fukaxa

まあ僕は今後も大した甲斐もなくくたばるんじゃないかなと思うんですけれども、その場合、三浦つとむ先生の顕彰が不充分だったことだけが心残りです。後はどうでもいいです。

2011-02-03 23:54:52
ふかくさ @fukaxa

本来なら清水幾太郎氏や橋爪大三郎氏がもっと三浦つとむ師匠を顕彰してしかるべきなんですが……。

2011-02-04 22:40:33
ふかくさ @fukaxa

廣松渉氏の『世界の共同主観的存在構造』に対する三浦つとむ視点での瑕疵について宮田和保氏が指摘したところは僕もその指摘を知る以前から気がついていたので、かなり本質的なポイントだと思ったのだが、あれを何とか上手く解釈したいものだ。

2011-02-07 17:45:55
ふかくさ @fukaxa

脱三浦つとむ派の橋爪大三郎氏は故小室直樹氏を支持する。小室氏は学際的に数理的な方法を重視し明確に反マルクス主義だけれども、この数理的な方法論の重視がガチガチのマルクス主義の三浦つとむ派からすると不充分だと言いたくなる。が、そこは批判をヨリ具体化しないと説得も貢献もできないだろう。

2011-02-07 18:22:29
ふかくさ @fukaxa

ソシュール派の言語学では言語、すなわちラングは差異の体系として提示されるが、これが主に名詞を念頭においた語彙の集まりが想定されていて、三浦つとむ言語論で言うところの「主体的表現」が考察から切り落とされていることには解釈が必要だろう。

2011-02-09 21:58:07
ふかくさ @fukaxa

梅本克己氏の三浦つとむ批判読みたいな。

2011-02-09 23:24:32
ふかくさ @fukaxa

ソシュール派の言語構成説では非属人的表現は可能だが、時枝誠記=三浦つとむの言語過程説においては「表現」はすべて属人的である。したがって辞書の見出し語は構成説では「言語(=ラング)」だが、過程説では「言語(=言語表現)」ではないと解釈する。

2011-02-11 00:29:11
ふかくさ @fukaxa

そう考えると三浦つとむ派はそもそも「言語」を常に属人的な言語表現であると規定するので、「私的言語」も可能である。ただし言語規範に媒介されているために純粋に私的なわけではないし、私的な部分はそれが看守されて他の表現者に真似され、記号化するとただちに私的ではなくなる。

2011-02-11 03:19:06
ふかくさ @fukaxa

三浦つとむは文脈主義か? というのも微妙な問題で、或る意味ではそうなのだがそれは意味論的な話としてそうなのであって、統語論的な意味ではないと思う。一方、ここでは文字通りの「文脈」以外(非言語的状況)も「文脈」に含めていて、それは三浦つとむにおいては比喩でしかない。

2011-02-11 04:03:20
ふかくさ @fukaxa

表現において本質的なことは内容的関係(意味論的関係)なのであって、形式的関係(統語論的関係)なのではない、というのが三浦つとむ師匠の大きなドクトリンとしてある。

2011-02-11 04:09:08
ふかくさ @fukaxa

「絵にしろ、写真にしろ、フィルムの断片にしろ、そこにはかならず作者があります。……作者なしにそれらの表現はありえません」(p.36, [三浦つとむ1976])。

2011-02-11 04:23:53
ふかくさ @fukaxa

「A君が『わたし』と書き、またB君も『わたし』と書いたとしても、それらはちがった書き手が別々にペンを持って別の言語をつくりだしたものですし、その書き手がとらえた相手もちがっています。この二つはちがった言語として扱われなければならないはずです」(p.36, [三浦つとむ1976])

2011-02-11 04:26:50
ふかくさ @fukaxa

「言語は個々の人間によって語られ書かれた表現としてしか存在しませんし、音声の存在する瞬間の寿命あるいは書かれた文字が保存される期間の寿命を持つにすぎません」(p.38, [三浦つとむ1976])。

2011-02-11 04:39:54
ふかくさ @fukaxa

「言語は個々の人間によって語られ書かれた表現としてしか存在しませんし、音声の存在する瞬間の寿命あるいは書かれた文字が保存される期間の寿命を持つにすぎません」(p.38, [三浦つとむ1976])。

2011-02-11 04:39:54
ふかくさ @fukaxa

三浦つとむ師匠は真理は常に条件付きであるとよく書いている。私なりの表現で言い直せば、理論的な言葉は常に現実とのむすびつきを点検されなければならないということであろう。単に言葉の上だけ・文字の上だけ・形式の上だけを確認していても不充分で、意味論的妥当性が検証されるべきである。

2011-02-15 04:05:00
ふかくさ @fukaxa

三浦つとむ派としては、データベースとシミュラークルとか言われても「モンタージュ論の復活」にしかみえないのが正直なところである。

2011-02-20 03:40:20
ふかくさ @fukaxa

コミュニケーションに対する困難は私に正反対の二つの方向に突き動かしている。一つは三浦つとむ師匠への崇拝であり、形式主義に対して何らかのカウンターをかけたいという方向で、もう一つは形式主義を徹底的に推し進めてあらゆるレトリックを分析し尽くし、網羅し尽くしてしまえという方向である。

2011-02-20 04:26:55
ふかくさ @fukaxa

本居宣長→鈴木朖→時枝誠記→三浦つとむという日本語論の継承があることはあまり知られていない。

2011-02-20 20:45:23
ふかくさ @fukaxa

三浦つとむ著作リストで自分がこれまでの人生で通読したものをチェックしている。

2011-02-28 05:56:49
ふかくさ @fukaxa

三浦つとむ派の言語学とソシュール派の言語学との違いは正確に言うと何でどちらが正しいのか。ディシプリンが違うだけなのか。そうだとしてそれは「三浦つとむのディシプリンなど結局マルクス主義の枠内でしか成り立たない」かつ「マルクス主義は終わった」なのか。

2011-02-28 06:27:59
ふかくさ @fukaxa

「三浦つとむのディシプリンなど結局マルクス主義の枠内でしか成り立たない」と「マルクス主義は終わった」について言えば、私自身は良くも悪くもマルクス主義者ではないので、後者については場合によっては同意可能だが、前者についてはどうにかして否定したい。

2011-02-28 06:29:20
ふかくさ @fukaxa

有名人の下手なサインや決まり文句の書き入れにはどうして価値が感じられるのか、言語過程説の方が説明がつけやすい気がした。

2011-02-28 08:36:10
ふかくさ @fukaxa

まあそもそも自然言語では意味論的な曖昧さは避けられないという点から検討しないといけないんだろうなきっと。

2011-02-28 08:37:39