徳川秀忠と豊臣秀頼~2人の「二代目」論/大坂の陣は、誰に責任があり、誰が主導権を握ったか?(「真田丸」を受けて)

「真田丸」は人気作だけあってまとめも多く、一部重複や繰り返しがあるかもですがすいません。 大坂の陣直前を描くドラマの展開を見た歴史クラスタの議論の中で、「大坂の陣を、誰が積極的に望み、誰が回避しようとしていたのか」「どうすれば戦を回避し、豊臣家は存続できたのか?」という議論に興味をひかれました。 そしてその話題は、必然的に「徳川秀忠」「豊臣秀頼」という二人の二代目貴公子に焦点が当たります。作劇上の都合や伝説によってぼかされたり歪められるることも多い、ふたりの人物像とは?
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丸島和洋 @kazumaru_cf

この時期の豊臣家というのは、「そして、誰もいなくなった」状態を、徳川にも仕えている外交通片桐且元が支えていたものでした。したがって彼が外れると、徳川としても秀頼との意思疎通が難しくなり、秀頼方は「井の中の蛙」状態になっている。ばかりか、自家の財政を把握出来ていたのかも怪しい。

2016-10-09 22:08:55
アギラ㌠ @capsule_agila

秀忠の「ワシら凡人には父ちゃんみたいに有能じゃないもん。自信無いから秀頼死んでもらうわ」の言い訳無いと分かりづらい。 #徳川家康

2016-10-09 22:09:53
丸島和洋 @kazumaru_cf

だから徳川方のほうも、「どうしてこうなった」という人が多かったと思われます。家康自身、軟着陸を望んでいた気配が濃厚ですが、自分の生前に秀頼を服属させたかったのかも知れません。

2016-10-09 22:11:01
丸島和洋 @kazumaru_cf

淀殿の呼称。ドラマでは秀頼誕生後のある段階から、「おかみ様」に統一しました。これは室町幕府将軍御台所にも使われた敬称で、淀殿にも血いられました。史料上では「上様」で、「うえさま」と読めば将軍、「かみさま」と読めば御台所となりややこしい。「かみさま」は守護クラスの正室にも使用。

2016-10-09 22:14:23
丸島和洋 @kazumaru_cf

史料上、淀殿の通称は「おふくろさま」(幕府方であれば「おふくろ」)が一番多いのですが、「おふくろさま」「おかみさま」の両案を提示して、ご検討いただいた結果、「おかみさま」に落ち着きました。信繁は関ヶ原前は「おかみさま」と読んでいたのに、且元との会話で?となっている演出が流石。

2016-10-09 22:16:37
179@擁護派 @yougoha

家康「こうして火種を投げ込みじわじわと豊臣を追い込み服属させてやるぞクックックッ……あれ?燃え広がるの早くないちょっと?あれあれ?」 秀忠「よっしゃ」

2016-10-09 22:28:49
丸島和洋 @kazumaru_cf

@urakkun26 本丸衆というのは、豊臣秀頼の側近の総称に過ぎません。「家宰」というのは、筆頭家老であって、室町幕府であれば「管領」に値するものです。考証担当者は、双方の合意のもとで定めるので、合意がない以上相手とみなされません。この後は大野治長に移行します。

2016-10-09 22:31:00
丸島和洋 @kazumaru_cf

@koikera 近年の研究では関係は良好で、関ヶ原後も、北政所は豊臣のために淀殿と協力して尽力していたことが明らかになっています。ただ、隠居生活の立場から、という形ですが。

2016-10-09 22:32:59
丸島和洋 @kazumaru_cf

大名間外交の取次役を理由もなく処刑・追放することが開戦のきっかけになる戦国期の慣習。現代風にたとえていえば、派遣していた大使を引き上げて後任も任命せずに大使を空席にし、召し返した大使をスパイ容疑で銃殺するような感じでしょうか。

2016-10-09 22:45:30
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

大名間外交の要である取次役は、交渉相手国より「取次役給」ともいえる知行を与えられた。また取次役を処罰することは、交渉相手国への宣戦を意味した。こうした実態は、丸島和洋『戦国大名武田氏の権力構造』、『戦国大名の外交』で体系化されるまでほとんどわからなかったことです。

2016-10-09 22:50:30
丸島和洋 @kazumaru_cf

実際には、本多正純・金地院崇伝と駆け引きを続けていたようです。曽根さんのご見解では、「家康に会えなかった」のではなく、「家康に会わなかった」のではないかと。家康の意向は正純に聞けばわかりますし、「会えなかった」と示して秀頼に事態の切迫を印象づけようとしたという説です。 twitter.com/mahalacafe/sta…

2016-10-09 22:52:15
Mahala @mahalacafe

@kazumaru_cf いつも本丸後の詳細な解説ありがとうございます。それほど重要な役目なら家康が且元に会わず一ヶ月も放置しておきながら大蔵卿には会ったことが不思議にも思えます。

2016-10-09 22:46:58
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

@HIRAYAMAYUUKAIN それ以前は、例えば穴山信友(甲斐武田一族、梅雪の父)が、今川義元から知行を与えられていたことを、今川氏に通じていたとか、北条氏より小山田、向山、飯富氏らが知行を与えられていたことを、戦国大名の知行制や主従制の根幹を揺るがすことなので、考えられない

2016-10-09 22:53:02
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

@HIRAYAMAYUUKAIN っていっていた時代があったんですから。まぁ、今もその思考が抜けない年上の研究者がいますけどね。ちゃんと研究ぐらい把握しないといけないよね。学生にだって、そのように教えてきたはずでは?いずれにせよ、取次役研究を踏まえれば、片桐且元を処罰すれば、

2016-10-09 22:55:44
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

@HIRAYAMAYUUKAIN どうなるかがわかるはずです。秀頼は、極端にいえばおぼっちゃまで、裸の王様だったんですよ。世間を知らなかったんですな。伊達政宗が、秀頼を大坂に置いておけば、彼を担ぎ出すいたずらものが出てくるだろうから注意が必要だと主張していたのは慧眼だったんです

2016-10-09 22:57:57
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

@HIRAYAMAYUUKAIN ということで、丸ちゃん先生の『戦国大名の外交』はぜひ読みましょう。ここ数年に出た中世史の著作では、本当に名著ですよ。年下ながら、凄い実力の持ち主だなと感嘆します。

2016-10-09 22:59:51
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

念のため、ここに書いておきますね。真田信繁は、「幸村」と名乗った事実はありません。大坂入城時に改名したんだ、と信じるのは自由です。史実はどうなのか?と問われれば、それはないとしかいえないのです。

2016-10-09 23:07:42
丸島和洋 @kazumaru_cf

ご説明がちょっと通じていないようで。カウンターパートになり得る人が取次に選ばれるのはそうなのですが、家老クラスと側近でペアを組むことが多いです。だから大野治長でもまったく問題ない。問題なのは、合意された取次を外交問題を理由に勝手に罷免・処刑した場合で、片桐且元はそれにあたります。 twitter.com/mahalacafe/sta…

2016-10-09 23:13:19
Mahala @mahalacafe

@kazumaru_cf 早々の回答ありがとうございます。当方が質問した直後に外交に擬えた説明がありましたが、現在の外交折衝でも自分と同じランク〜カウンターパートと会うのが基本ですものね。納得です。

2016-10-09 23:02:02
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

@mayaya_jujitsu その辺の研究はしっかりと把握していないのです。戦国期は、複数の外交ルート(手筋)が存在し、多様なコネクションを使って交渉を行うのが通例でした。それを、単一ルートに収斂させていく(それでも外交が十分成立する)のが戦乱終結後の外交ということかも。

2016-10-09 23:22:04
丸島和洋 @kazumaru_cf

補足。且元の交渉が上手くいかなかった理由のひとつは秀頼で、家康は開眼供養と大仏殿の堂供養を同じ日にするのはスケジュール的に無理があるので、堂供養は十七回忌なのだから秀吉命日に移せといったところ、秀頼が秀吉命日は「臨時之祭」があるからできないと拒絶してしまっている。

2016-10-09 23:22:54
こう @ef_Alato

片桐且元追放について、丸島先生のツイートの「大名間外交の取次役を理由もなく処刑・追放することが開戦のきっかけになる戦国期の慣習。」というのが無くても、交渉中にその窓口担当を勝手に無くしたらそりゃ「もうあなたと話すことは何もない」と取られても仕方ないのはなんとなくわかる。 #真田丸

2016-10-09 23:23:08
丸島和洋 @kazumaru_cf

他にも家康の修正提案をことごとく秀頼が蹴っでおり、そのなかで「国家安康」が出てくる。家康は五山の禅僧に諮問をしているが、実はあまり批判するような回答は得られていない。同時に、文英清韓が本当に高僧なのかという履歴調査も指示する等、家康はかなり真剣に取り組んでいる。

2016-10-09 23:25:56
丸島和洋 @kazumaru_cf

ようするに家康は難癖をつけたというよりは、主観的には真面目な疑問をぶつけたわけで、秀頼が事態を理解できなかったといえる。且元の苦労もここにあるわけで。ただ「国家安康」の件は、西国発の新興儀礼に東国の家康が古典復興の観点からノーを突きつけた感じで、豊臣方の混乱も致し方ないかも。

2016-10-09 23:29:51
丸島和洋 @kazumaru_cf

史実では「嘘をいった」わけではないのです。「幕府サイドから秀頼に異心のないことを形で示せと言われたので、自分で考えた私案を提示したところ、秀頼サイドが激高した」という流れです。 twitter.com/Kamimura_Maki/…

2016-10-09 23:40:24
創作文芸サークル時の輪@通販受付中 @Kamimura_Maki

@kazumaru_cf 片桐が徳川方との交渉内容について嘘を言っていたから、というのは処断の理由にならないんでしょうか? 片桐は徳川方にも不信を持たれてしかるべきかと思うのですが。

2016-10-09 23:30:18
丸島和洋 @kazumaru_cf

はい。秀忠は豊臣家滅亡を検討しています。その意味でも、家康は生前に決着させて、遠国へ移して一大名にしてしまいたかったのでしょう。 twitter.com/doyoubidoyoubi…

2016-10-09 23:42:44
どようびどようび~ @doyoubidoyoubi

@kazumaru_cf 秀忠サイドは豊臣家に対して厳しいのかどうか気になりますね。家康サイドが軟着陸考えても秀忠サイドが強硬であれば上手く行かないような気がします

2016-10-09 23:39:31
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN

@kazumaru_cf そうそう、家康より秀忠の方がなぜか対豊臣強硬派なんだよね。家康はぎりぎりまで、秀頼を説得しようとしている。通説とはかなり違う。

2016-10-09 23:44:44
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