物語論・キャラクター論に関する一連の論考
- nycity1022
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@no_num ただこの辺りってほんとにいろんな議論が込み入っているので、「おれにはよくわからん」という確認に終わりそうな気もしますが……。いちばんややこしいのは「物語」という用語がさす意味内容が重なりつつ異なる複数の意味を含み持っていることだと思うんですよね。
2011-02-20 23:52:04@no_num イデオロギーや社会的な理念や理想といった意味での「大きな物語」と、小説その他の物語メディアで物語られる起承転結のストーリーという意味での物語ですよね。大塚が言う「物語消費」における「物語」はどちらなのか。動ポモP79のまとめを見ると、「大きな物語」でいいのかな?
2011-02-20 23:58:36@helpline はい、議論をしたことがないので建設的にできるかわかりませんし、長い間小説しか読んでこなかったので知識もかなり足りないと思いますが、付き合っていただけると嬉しいです。
2011-02-20 23:59:54@no_num で、オタク(読者)たちは、小説やアニメといった物語メディアの商品のコンテンツを消費することで、実はその背後にある「大きな物語」をモダンの時期には、「大きな非物語(=データベース)をポストモダンの時代には消費しているのだと。
2011-02-21 00:06:24@helpline 大塚英志の「物語」は「大きな物語」についてなのだと思いますが、それはイデオロギーなどを指す「大きな物語」とは定義が違って「物語の表面には現れない「設定」や「世界観」を意味する」(動ポp50)つまり東のいうデータベース「大きな非物語」なのではないでしょうか。
2011-02-21 00:09:40@no_num 問題はここから先なんですが、いや、うーん、ちょっと話の進め方を悩みます……。そうですね、まずはライトノベルにおけるデータベース消費的な作品の話ですかね。ラノベでも「大きな非物語/データベース」にアクセスすることに主眼がある作品がけっこう人気を得てますよね。
2011-02-21 00:12:25@no_num 今人気がある「僕は友達が少ない」「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「生徒会の一存」はキャラ重視であり、かつそのキャラもデータベース消費的で、ツンデレとか眼鏡っ娘とかいった類のデータベースにアクセスしていると。顕在化したのはハルヒですけど、その前からもあった。
2011-02-21 00:17:50@helpline ライトノベルをあまり読んだことがないのでまず質問を。データベースにアクセスすることを意識して書かれているだろう作品というのはあるのでしょうか?読者が作品をデータベース的に消費する、あるいはデータベースを基に創作された作品があって読者がそのように消費しているのか
2011-02-21 00:20:58@no_num でもまあ仰るとおり、一方でラノベは物語勝負なものも多いわけで、新城カズマはラノベの特徴は脱ジャンル性で、「ラノベの作者はみんなおもしろい話を書きたいとしか思っていない」と言う。ぼくも中高時代は何より物語をむさぼるように読むために読んでいた記憶があります。
2011-02-21 00:22:52@helpline あ、以前虚構新聞で「あるライトノベルの作者が受賞後自動筆記によるものだった」という記事がありました(該当ページを見つけられませんでした)。それはつまり意識して書かれたものがあるうるということになりますね。たぶん現実でもおこなわれてる。
2011-02-21 00:26:06@helpline ただしそういった小説は稀で、基本的にやはり物語をもっていると思うんです。「とらドラ!」も「ハルヒ」も物語として読むことだって可能だった。というより物語としてもなかなか優れている作品なのではないかと僕は思っています。
2011-02-21 00:27:38@no_num うーん、東浩紀が言ってるのは、眼鏡っ娘、巫女、ツンデレ、ツインテール、触覚といった要素を、オタクたちがみんなで日々開発して、消費しつつ新たに付け加えることでキャラ作りをし、またそれを消費するというサイクルが出来上がってるということですよね。
2011-02-21 00:28:53@no_num ですから、「とらドラ!」や「ハルヒ」が物語として優れているというときの「物語」がさすものについての議論ですよね。ここがおそらく大塚英志がやってることでわかりにくい部分だと思うんですが……ちょっとぼくが考えてきたことを続けますね。
2011-02-21 00:33:26miraiさんも誘いましたが、よろしければ参加くださいw @nycity1022 なにやら興味深い会話をしておりますね. @no_num
2011-02-21 00:34:55うーん、難しい議論ですね。ただ僕も基本的にはno_numさんに賛成ではあります。僕らは当然ラノベの物語=ストーリーを楽しんでいるわけであって、背後のデータベースを楽しんでいるわけじゃないですからね、意識的には。 @helpline @no_num
2011-02-21 00:36:45あ、no_numさんにご挨拶忘れてました。s_miraiと申します。よろしくお願いします。 / それはさておき、その背後で、無意識的にデータベースにアクセスしている面はあって、あずまんが指摘してるのは多分そこだと思うんですよね。 @helpline @no_num
2011-02-21 00:38:12@no_num それでこの話をしてると、どうも80年代以来の大塚英志の仕事に遡るなあという印象があるんですよね。彼の仕事は多岐にわたっていて、それぞれすごく興味深く、また後世に与えた影響も大きいけれど、体系化されておらず、総体として理解しにくいし矛盾しているようにも感じられる。
2011-02-21 00:38:18ただ、テンプレ的に似たものが再生産され続けているというのはよく言われていることですし、そういう意味では、キャラやストーリーもまた要素をツギハギしたものだと言われることはあってもおかしくないはずです。ただ、表面化しにくいところですが。 @helpline @no_num
2011-02-21 00:39:48あー、ええい、まとまらん。基本的には僕もラノベは面白く読んでるし、別に似たようなものがたくさんあってもいいじゃなイカと思っているけど、データベース消費のモデルを否定する材料がない……。あれは表面化されないものを言っているわけで、データベース消費は消費の対象そのものではないと思う。
2011-02-21 00:42:08多分ですが、僕らはベタに「物語」=ストーリーを楽しんでいるはずです。しかし無意識下でデータベースにアクセスしている。なので、データベース消費それ自体が目的になることは、普通はないはずです。その点で僕はno_numさんに賛同かなと。 @helpline @no_num
2011-02-21 00:43:20@no_num 大塚の仕事をいくつか挙げてみると、1・物語消費論(ビックリマンチョコはシールの背後の物語設定を消費する)、2・「少女民俗学」「人身御供論」における通過儀礼によって人は成熟する、3・プロップの構造主義的物語論(ハリウッド・春樹・駿は昔話的な物語類型を用いている)
2011-02-21 00:43:31あれ、俺絶対タイミングミスってるな、恥ずかしい……。でもちょっとだけ疑問が氷解した気がする。多分違うレベルの話なのにそれを分けずに考えていたからいけないんだな。
2011-02-21 00:45:00@no_num 4・マンガ身体論(手塚マンガはマンガのキャラクター死なない身体に死/成熟を与えた。伊藤剛のキャラ/キャラクターの区別に繋がる)。最低でもこれだけ重要な仕事があるわけですけど、問題は現在の大塚が3の構造主義的物語論を用いて、創作ワークショップを行ってますよね。
2011-02-21 00:46:48@no_num それでおそらく大塚はラノベ(=昔話)と捉えているところがあり、昔話の類型に従って物語を書かせることで、生徒は書くことで治癒効果があり何らかの成熟をするし、また読者もそうした物語を読むことである種の成熟をするということを考えているようなんですよね。
2011-02-21 00:50:44