- chappiekun
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菅野栄子さん「原発事故で人間がともに生きるために大事なことを学んだ。本当の人間の幸せを探求した6年間だった。文化を根本から変えてしまう原発を経験したことは、生きることに向き合うこと」
2016-10-23 17:09:47IAEAは年間1ミリと決めてるが、飯舘は5ミリで我慢しようと帰村宣言した。孫が帰れないのに自分はどうするか。色んな意見がある。でも自分は、村に帰ることを決心した。黒いフレコンバッグの中に先祖から受け継いだものは全部入ってしまった。iitate-mother.com
2016-10-23 17:14:37長泥地区は原発から最も遠い帰宅困難区域。震災後の住民の方のニーズは、バラバラになったコミュニティをいかにつなぎとめるかだった。写真を撮り、様子を伝える地区報を発行。バリゲートの中で草刈りをして土地の手入れをしていて何をしてるんだと言われる。でもやるしかない。
2016-10-23 17:42:21長泥地区ではKEKの測定器を使いリアルタイムモニタリングをしている。溝口教授開発の気象条件との観測センサーも設置。個人線量計で生活空間の測定も行なっている。再生の会のモニタリング計画では、水源リスク隣接地の土壌測定と、浪江地区との境の尾根の測定も行う。
2016-10-23 17:46:31村役場「当初、年間50ミリを超えることからバリゲートを設置したが、除染に伴い困難区域の見直しを国にも申し出ている。しかしなかなか難しい。ただ地区内には1ミリ以下の場所もあり、コメの試験栽培でも基準値以下もある。国の枠組みの範囲内でやって行くが、11/6に今後の指針が出るとのこと」
2016-10-23 17:53:36これから5年の展望、それぞれの置かれておる状況が全く違うので、村全体というのは難しい。その上で、避難解除で帰村というのほど単純ではない。それよりもっと多くの人を戻す政策が必要。これは国とは違う村のレベルで取り組むべき。
2016-10-23 17:57:48次にコミュニティの再生は、知り合いだというだけでなく、生活の舞台を共有する人たちということ。これは住民が主体とならなければならず、トップダウンでは進まない。
2016-10-23 17:59:11さいごの農地再生は、やはり農地の再生がまずないとダメ。そうしないと息子が帰ってくる状態にならない。これは営農再開の前に集中して取り組まなければならない。
2016-10-23 18:00:24菅野クニさん。舅は山菜名人だった。戻って来て山菜が採れないのは絶望的。それができることを保障してあげたい。ICRPのダイアログで、コゴミが3300ベクレルだったのに、別の山菜がNDだったことを伝えた。自分が現実に測った経験がヒントになり、その後村民の測定器導入につながった
2016-10-23 18:05:16自宅の屋敷林が除染で伐採された時涙がこぼれた。夫が生まれた時に苗を植えた杉で、60年以上かけて育った木。いくら除染して綺麗になってもそこで失われたものはかけがえがない。
2016-10-23 18:07:16今この杉の木を使って自宅を建てた。結果は0.03mSv。データがあれば安心できる。知識は生活を楽しむことのできるもの。危ないという人にはこのデータを提示できる。そして人が集まり、世界に情報発信できる場所にしたい
2016-10-23 18:08:54宗夫さんのまとめ「村民が分断された状態が長く続いたが、これからはお互いの多様な気持ちを認め合い、分断を乗り越えて行くことが必要。までいな復興計画dwネットワーク型村づくりが提唱されているが、村民レベルではあまり進んでいない。これから恋流人口も含め力を合わせてやっていきたい」
2016-10-23 18:20:36