映画『聲の形』徹底分析

4回観て、分析してみました。これは一つの仮説です。もし、ご興味を抱かれたとしたら、ぜひとも、もう一度映画をご覧になって確認してみてください。
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富崎学 @manaboo2009

これから新宿ピカデリーで映画『聲の形』3回目観ます。ピカデリーはもう少しドリンク販売の円滑化を図るべきだと思います(まだシアターに入れないw)。

2016-09-28 19:08:02
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』たった二回観ただけで、硝子の気持ちがわかるなんて言っていた自分が恥ずかしい…高校生になった将也と硝子の再会で、硝子が逃げた理由が将也のいじめの再現を恐れたなんてまるっきり嘘っぱちだった…言葉がないところで相手の気持ちを考えることにはもっと繊細な思考が必要なのだな・・・

2016-09-28 23:05:23
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』言葉がいらない訳ではない。そうじゃなかったら手話だっていらないことになってしまう。言葉のないところで相手の気持ちを考えることの難しさは耳が聞こえてたとしても変わらないということだ。僕の書いたことの何が間違っていたかはぜひ映画館で確認してもらいたい。

2016-09-28 23:10:09
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』とにかく僕が三回目で確認したかったことは、そういうことじゃなかったんだけど、いろいろしくじったツイートが発覚したので、もう赤面ものでした。TVの時は何十回と見直しているのでいろいろ自信をもって書けるけど、三回も観てまだ、あやふやなとこが出てきそうなのでまだまだだなあと。

2016-09-28 23:16:33
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』計画通り、将也と小学生時代の友達の4人の女の子たちの人物像に言及してみたい。そして、本当に悪いヤツがいるとしたら、それは誰なのか?についても考えてみたい。僕が確認したかったのは、将也と7人の仲間たちが、何をきっかけに、集まり、仲たがいし、再び絆を取り戻したのか、だ。

2016-09-28 23:24:41
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』高校時代の将也と硝子の手話教室での再会で、硝子は「昔のように笑うこともできず、かと言って、怒ってみせることもできず、どうしようもなくなってその場を逃げ出した」、に訂正させて頂きます。このシーンでの硝子の気持ちは観る人が自由に深く想像すべきだと思います。

2016-09-29 23:13:40
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』将也硝子の橋の上での二回目の再会時、ノートを追って川に飛び込んだ二人が小学生時代のあの池の事件を再現するという分析で、そのことに硝子が自覚的であったかどうかは不明であると訂正します。ですが、これが硝子に恋心を抱かせるに十分な挿話ではあった事は訂正するつもりはありません。

2016-09-29 23:29:11
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』まず硝子がなぜ告白を決意したのかから解決しよう。それは直前に何があったかを思い出せば明らかだ。横断歩道を挟んだ向こう側で植野と突然の再会を果たした将也。再び「共犯者」を演じようとする植野に態度を硬化させる将也。反発する植野。だがこれらは硝子にどう見えていただろうか?

2016-10-02 23:18:12
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』硝子には将也と植野が自転車に二人乗りして現れたように見えただろう。いきなりまた補聴器を取り上げる植野に戸惑いながらも(この時彼女の左耳が完全に聴覚を失ったことが判明)何を話していたか問うが将也は何も答えない。硝子は聴者である植野に将也を奪われるのではないかと考えたろう。

2016-10-02 23:32:08
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』将也は植野と何を話したか話したくはなかったろうが、聾者である彼女がそれをどうとらえるかについては無関心だった。植野をライバルと考えただろうからこそ、彼女はロングの植野に対抗するために(?)真逆のポニーテイルにしたのだろうし、あえて、手話ではなく声を出して話そうとする。

2016-10-02 23:38:24
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』その声を変と言われて涙ぐむ硝子。一世一代の告白は結局のところ宙ぶらりんのまま、彼女にとって転換点となる遊園地シークエンスへと突入していくことになる。さて、明日からいよいよ聾者の硝子に接した聴者としてのクラスメートたちの反応について考察をすすめていこうと思う。

2016-10-02 23:47:58
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』違うわ〜…硝子のポニーテールの意味は「耳を目に見えるようにする」ことだわ。補聴器は着けてなかったはず…隠さない…ありのまま…たぶんそういうこと。今閃いた。奥、深いわ。

2016-10-03 11:15:19
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』一般論として健常者は障害者に対してある種のオブセッションを抱いている。何か「助けて」あげなければならない。健常であることの罪悪感、負い目、差別者であると思われたくない。同一化に対する嫌悪…とにかく普通にはつきあえないと思うことが正直なところだろう。それをまず前提とする。

2016-10-04 00:02:27
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』それを前提として、川合みき、佐原みよこ、植野直花の西宮硝子への対応をそれぞれ分析し、考察してみたい。というところで、もう寝る時間ですwまた明日。

2016-10-04 00:09:32
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』あのザ・フーのイントロからして植野が将也を意識していたのは明らかだった。硝子の初登場時も将也の反応を横目で伺っている。硝子をからかいつつもノートをとってやるなど一番面倒見の良さを発揮していたのは彼女だった。硝子がそれに甘えるカットがある。川井はそれを傍観するだけだった。

2016-10-06 23:31:13
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』本来その仕事は委員長キャラである川井の役目であり、そこに一種の転倒がある。植野の不公平感は強くなろう。しかも教師には不当に扱われ、挙句は筆談よりも手話の方が良いと言われる。彼女の好意は全く評価されない。硝子に対し距離を置こうとすることは無理もないかもしれない、のだが…

2016-10-06 23:55:00
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』あの観覧車で硝子に告げるように植野は彼女との距離を取ろうとする行為に過ぎなかったつもりであったのだが、将也との共犯関係をとる植野の行為は客観的には「イジメ」に過ぎなかった。だからと言って硝子に責任があるとも言いきれない。彼女が持つ鉢植えのシクラメンの花言葉を考えよう。

2016-10-07 00:06:33
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』手話を覚えますと言って突如登場する佐原。自分にもできることは何かを考えてのことか、好奇心からか、そこは判然とはしないが彼女は植野からの反感を買うことになる。最終的に彼女は転校することになるが、それは植野の圧力から逃げることだったのか、当の硝子から逃げることだったのか。

2016-10-07 23:35:45
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』川井さんはやっぱり常に傍観者だったと思う。硝子の前の席に居ながら、声は掛けたりするんだけど、ノートは取らないとか。聞こえないのをいいことにした植野の悪口をフォローしたりするけど、イジメは笑って加担しつつも止めはしないという。だけど、ちょっと極端なところがあるんだよね。

2016-10-10 22:44:29
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』いよいよイジメが発覚したHRで名指しされた将也が共犯者として川井の名を挙げるんだけど、彼女は自分はやってないとヒステリーを起こす。自分に火の粉がかかると保身に走る子というのは確かにいるし、彼女は高校生になってもそこは変わらないわけだけど彼女だけを責めることはできない…

2016-10-10 22:59:35
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』なぜならこのクラスで障害者を迫害した罪を逃れようとしたのは告発に来た校長先生(?)以外全員だから。そこには担任の竹内も含まれよう。自分のクラスに事件が起きたのだから当然責任が問われる。だから彼は黒板を叩いてみせて将也を名指しした。将也は全てのスケープゴートにされたのだ。

2016-10-10 23:11:34
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』将也を全員で排除することが自らが加担した硝子へのイジメの罪から逃れること、ましてや共犯者の一人として将也から名指しされた島田一旗にとっては将也を排除することが、彼と一番近い存在であったからこそ、重要な課題となっただろう。それを徹底すればするほど陰湿なものへとなっていく。

2016-10-10 23:35:08
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』担任の竹内が将也という標的を示し、島田がそれを実行した。かくして二人は責任を逃れることになる。実はこの二人にはある共通する象徴的行為がある。それは「口を隠してしゃべること」だ。口を隠す行為は聾者(西宮を含む)に唇を読まれないようにする最も卑怯な行為と映るだろう。

2016-10-10 23:48:10
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』映画に対する私の分析はただの仮説の一つに過ぎません。もう一度映画館に足を運んでぜひ自分なりの解釈を幾通りも発見してほしい。本作はそれに充分堪えうる作品だと思います。

2016-10-11 11:36:45
富崎学 @manaboo2009

『聲の形』島田一旗はその後、植野を通じて最終的に将也の命を助けることになる。となると、本作の悪の象徴は竹内先生なのか?だが、現在の学校教育の現場を考えると彼一人を悪者にはできないことになる。ノートの筆記をはじめ子供達だけで障害者のクラスメイトの介助にあたることは大きな重荷となり…

2016-10-11 22:46:14
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