経済生産≠物質的豊かさ ―脱成長は文化的衰退をもたらす

文化財や文化的サービスは経済生産として基礎づけられているので、経済政策の失敗は文化的退廃の原因になるし、文化の隆盛には経済の成功が助けになる。
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望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

脱成長という言葉が「物質的な豊かさからの解放」的な文脈で語られることには極めて強い違和感がある。 というのも、最近の経済生産のうち、物質的な豊かさと呼べるもののウェイトはどんどん小さくなり、娯楽やサービスのような、どちらかというと精神的な財やサービスの生産が伸びているからだ。

2016-10-29 14:02:28
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

わかりやすい例えとして、農家と演奏家を考えてみよう。農業生産が極めて非効率な状況なら、演奏家も農業に従事しなければ糊口を凌げまい。しかし、農業生産が効率化したら、演奏家は芸能を披露し、農家からおひねりをもらうことで生活できる。これは定義的には生産(付加価値)の増大となっている。

2016-10-29 14:05:34
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

もちろん、演奏家の演奏は物質的には何も産み出していないから、虚業であり、農家に寄生していると言ってみても全くの間違いとは言えない。しかし、農家がその演奏を楽しむ限りにおいて、一体何の問題があるのだろう? 演奏家が「虚業」によって生活を送ることの何が悪いというのだ。

2016-10-29 14:08:09
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

仮に衣(医)食住を基礎であると仮定して、それに(間接的にも)関わらない産業を仮に「虚業」とし、「虚業」が非物質的生産によって、衣食住のような物質的生産財をいくらか分配されるという関係にあったとしよう。 そのような寄生関係は、所謂精神的豊かさとか、文化的豊かさではないだろうか。

2016-10-29 14:12:12
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

そしてそれは、経済生産拡大、経済成長として発現することになる。(GDPがそういった経済成長を十全に表現できる指標かどうかはさておくとして) 文化的精神的豊かさの生産者とて、霞を食って生きるわけにはいかないのだから、それらが経済というシステムの中で生産されるのは妥当であろう。

2016-10-29 14:14:45
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

NBAプレーヤーやプロボクサーの「経済生産」は、実のところ基本的には物質的な豊かさをもたらすものではないが、それでもなお社会経済は、彼らに贅沢の権利を与えている。そしてそれは「経済生産拡大」として描写される。 それ自体はおかしいことでもなんでもない。

2016-10-29 14:20:00
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

仮に通貨流通を促し、「経済成長」を達成するとき、少なからず先述のような虚業が生まれてくるだろう。それが生存に必要な基礎的な財(衣食住など)の需要を過度に逼迫するようなら当然問題だが、そうでないなら、虚業は隆盛すべきだし、そうした形で雇用は創出されるべきである。

2016-10-29 14:21:59
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

逆に、通貨流通の過小によって経済が縮小するとき、真っ先に淘汰されるのは「虚業」の範囲であろう。 「成果が未確定な基礎研究」もその範囲に入るかもしれない。 マクロ経済の不調が最初にもたらしがちなのは、そうした文化的豊かさの破綻である。大学などは特にその影響を強く受けている。

2016-10-29 14:26:24
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

生存用財の逼迫がない(むしろその逆に余裕がある)にも関わらず、「虚業」への分配を奪う(奪わざるを得なくなる)ような緊縮的な経済政策がもたらすのは、文化的精神的な豊かさから最も遠ざかり、最低限の衣食住に集中するような貧しい経済である。所謂「デフレの優等生」企業はまさにそうだった。

2016-10-29 14:29:27
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

生産拡大や経済成長を希求する考えは、物質的な豊かさを渇望する貧しさとは全く正反対で、むしろ文化的精神的な豊かさを実現する最も妥当な思想である。 「虚業」による経済成長こそ、大いに望むところなのである。(もちろん、物質的にも成長するに越したことはないのではあるが)

2016-10-29 14:32:59
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

前述では、虚業と生存用財生産の関係のみを記述したが、当然のことながら、虚業同士の交換もあり得るだろう。音楽を聞かせる代わりに劇を見せてもらう(ライブで得た収入で映画を見る)というような経済活動は十分あり得るし、現実に起こっていることだ。それも当然ながら経済生産であり成長である。

2016-10-29 14:54:26
まりんらいなー @malineliner

日本”だけ”で据え置きゲーム機がここまで衰退したのは、国内メーカーの開発力衰退も勿論だけど、それ以上に「家庭あるいは自室でモニターの前に座ることが出来る時間や環境」が日本で大幅に失われてしまった背景も少なからずあるんだよね。なぜか日本のゲーム系メディアはこのことに触れないけど。

2014-06-15 19:23:58
おりた @toronei

テレビ、据え置きゲーム、プロ野球、お酒、この10年から20年ぐらいで国内市場が一気に縮小したと言われてるものたち、夕方や夜に大人が自由に使える時間がなくなったことに由来しているものばかりよな。 twitter.com/malineliner/st…

2016-10-28 09:09:19
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

>RT まさに、さっきの連ツイtwitter.com/motidukinoyoru…と関連してくる話。 不況は(物質的な財よりも)文化的な財の生産や消費を抑制していくという典型例。 ちなみに余暇の減少は、雇用縮小→所得低下を通じた(負の)所得効果と労働者の地位悪化の双方が絡む。

2016-10-29 15:21:02
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

雇用縮小による労働者の地位悪化が長時間労働をもたらすというのは当たり前の退屈な議論だから省略するとして、余暇の所得効果というのは「単位時間あたり所得が増える→ある程度の所得が得られたらあとは休みたくなるので余暇が増える」というもので、所得が減ったら当然逆のことが起こる。

2016-10-29 15:22:51
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

経済生産≠物質的豊かさという一連のツイートを行ったが、この話は裏を返せば、(広い意味での)文化財すらも市場経済に取り込めることを反映している。市場経済は、それに留まらずありとあらゆるもの、交換材料にすべきでないものすら交換可能にする twitter.com/motidukinoyoru…

2016-11-01 15:09:09
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

市場経済が本当に恐ろしいのは、それが物質的豊かさしか実現できないような無力なものだからではない。 そうではなく、人間社会のありとあらゆるものを市場経済に併呑できるという性質を持っているから恐ろしいのである。 人々は精神的文化的豊かさのために、それを利用したり、拒否したりできる。

2016-11-01 15:11:52