- Uroak_Miku
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旧制一高(今の東大教養学部)の入試問題を紹介します。明治30年。 pic.twitter.com/dVF2MnhYo8
2016-11-19 13:21:364)動詞の活用形という考え方は江戸時代に確立したものなので明治30年の入試で出題されていても別におかしくはないわけです。
2016-11-19 13:26:345)㈣は訳読問題。下線部分を口語に訳せとある。㈤は全文を口語訳せよ問題。 pic.twitter.com/q8VKoWSI4M
2016-11-19 13:27:496)「解釋スべシ」とあります。解釋(解釈)とはすなわち口語に訳せということです。そしてここでいう口語に訳せとは、他者に向かって説明してみろということです。 pic.twitter.com/mRMXUSk9Nw
2016-11-19 13:30:407)英語の問題も見てみましょう。「筆頭解釋」とあります。口語に訳せというのでしょう。 pic.twitter.com/ip2ZrMC5uo
2016-11-19 13:33:598)「口頭解釋」とは何だろう。想像ですがこの英文を読ませて試験官の前で口頭で和訳してみろということでしょう。懐かしいな某大学の医学部を成り行きで受けたとき、面接室に入る前に難解な英語長文を読まされて下線部を面接室で口頭和訳するのをやらされました。結果は秘密。 pic.twitter.com/N6EwWCrhAa
2016-11-19 13:37:1810)口語/文語の区分けは明治に生まれたものだとして、誰が発明したのだろう。言文一致運動との関係は?文献をあたらないと。
2016-11-19 13:42:2311)ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87… >明治末、文部省が口語体を主とするよう指導。山本夏彦によると、大正9年に三省堂の中学国語教科書がすべて現代文になり、これをきっかけに文語は急速に姿を消していく
2016-11-19 13:45:40CiNii 博士論文 - 近代日本における「国語」構築と「口語」概念の発生 ci.nii.ac.jp/naid/500000280… #CiNii
2016-11-19 13:51:04gensha.hit-u.ac.jp/research/these… >上田万年は「言文一致体」の完成が「国語」の確立に寄与すると認識していた。しかし文字に写すべきことばは、音声言語としての「標準語」でなければならなかった。
2016-11-19 13:57:36>こうして「雅語対俗語」に代わる「文語対口語」という対立軸が前景化し、「口語」の規範である「標準語」が「東京中流社会のことば」として定められる。
2016-11-19 13:58:14>明治30 年代には多くの口語文法が現われるが、それらは「口語」の制度的 整備と中国人留学生への対応という二つの方向が見られる。 面白い!魯迅がこんなところに顔をのぞかせる。
2016-11-19 14:00:1118) >国定教科書の国語読本は、改正の時期によって五期に分けられるが、著者は「口語」の基準にゆれが見られる第一期(1904~09)と第二期(1910~17)を中心にとりあげる。 うむ!
2016-11-19 14:01:2319) >第一期では「用語ハ主トシテ東京ノ中流社会ニ行ナハルルモノヲ取リカクテ国語ノ標準ヲ知ラシメ」と言い表わされているのと比べて、第二期では「口語ハ[略]東京語ヲ以テ標準語トセリ」と明言されていることからもわかるように
2016-11-19 14:02:0621) >第一期が字音表記での「棒引き仮名遣」の採用、大幅な漢字制限、発音矯正の重視など「言語主義、構成主義」的傾向をもつのに対し、
2016-11-19 14:03:0322) >第二期は「棒引き仮名遣」の廃止、多くの文学教材の採用など「文学読本」的傾向をもっており、このちがいは明治30 年代と40 年代の「国語」へのまなざしが変化したことの現われであると著者は見ている。
2016-11-19 14:03:3323) >植民地では生徒の母語ではない「国語=日本語」を普及せざるをえなかったため、「口語」に重点をおいた「国語」教育から始めなければならなかった。
2016-11-19 14:04:5324) >注目すべきことに、総督府教科書に見られる仮名遣は、戦後に実施された「現代かなづかい」とほぼ一致する。この点に関して著者は、戦後の「現代かなづかい」に実現した国語改革派の夢は、いちはやく植民地朝鮮で実現したと述べる。
2016-11-19 14:05:5225) >植民地朝鮮においては、日本語を母語としない朝鮮人児童に「国語教育」をおこなうと同時に、「普及」のためには「伝統」よりは「効率」を重視せざるをえず、結局のところ「国語」を装った「外国語教育」を進めざるをえないという矛盾が存在していたと著者は論じている。
2016-11-19 14:06:37