- imperealism
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娯楽映画なら厭戦だろうが反戦だろうがどうでもいいんだけど。日本で第二次大戦を舞台に戦争映画を作るなら、加害者としての歴史を踏まえて、厭戦だけではなく反戦も表現することを期待されるのよね(誰によって?)。
2016-11-18 22:12:00そこを、反戦を切り落として厭戦だけにフォーカスを当てた映画として受容されているのが。少なくとも原作はギリギリそういう漫画ではなかったけど、もしかしたら映画はそういう受容ができる映画だっただろうか。
2016-11-18 22:14:07ネタバレ注意!「この世界の片隅に」片渕監督SPインタビュー【後編】 | WebNewtype webnewtype.com/report/article…
2016-11-18 23:00:59>あのシーンは終戦を迎えた日本人がなぜ泣いたのか、こうのさんが「実は自分の感情では理解できない」って言われたことがきっかけなんです。それで実際にはどうだったのかを色々と調べてみたのですが、当時の人の日記を見てみると、本当に皆さん泣いているんですよ。
2016-11-18 23:01:15>それから、終戦直後に進駐軍がやってきて日本人の意識調査をやっているんですね。いろんな町でいろんな階層の人にどう思っているのかを聞いているのですが、ほとんどの人がどうも大義とか正義で負けたとは思ってなくて、単純に科学力と物量で負けたっていう悔しさがあるとしかいっていなくて……。
2016-11-18 23:01:27>もしそうなら、あのシーンですずさんは日本という国をいきなり背負わなくてもいいんじゃないか?と思ったんです。彼女の身のうちのことで、同じように悔しいという思う理由を考え出せないかと考えたんですね。
2016-11-18 23:01:39思った通りだな、意図的な改悪というより、原作にあった「不自然」なものを「自然」なものに置き換えたことによって、「不自然」な「正義」が消えてしまった。作り手に悪意はない。悪意はないが、正義もない。
2016-11-18 23:03:14正義、すなわち加害者性を書かねばならないと書いてみたものの、なんだか不自然だ、という原作と、じゃあ自然にするにはどうしたら、とやってみたら加害者性が消えました、という映画。
2016-11-18 23:06:09うーん、太極旗の意味合いも、反射的に思った異民族支配の反省的な意味合いではなく、「異民族の協力が得られないならば、いくさが継続できぬ」に変えていると思うと、悪意のあるなしは置いて、あれやなあ。もうほんとうにただのリアルな戦中日本人の映画やな。なるほど。
2016-11-18 23:42:17俺は理解が遅いのだが、あの片淵監督の太極旗あたりの改変理由、あれかなり危ういことをやっているのではないかと思い始めてきた。 mikeshima.hatenablog.com/entry/2013/02/…
2016-11-19 18:41:45原作は言わずもがな、すずさんが太極旗をみて、強権的な植民地支配の現実に気付く流れになっている。強引ではあるが、「日本に正義がなかった」から負けた、と。
2016-11-19 18:43:07>終戦直後に進駐軍がやってきて日本人の意識調査をやっているんですね。いろんな町でいろんな階層の人にどう思っているのかを聞いているのですが、ほとんどの人がどうも大義とか正義で負けたとは思ってなくて、単純に科学力と物量で負けたっていう悔しさがあるとしかいっていなくて……。
2016-11-19 18:46:59正義がないだの大義がないだのという噓の反省ではなく、真実の日本人がとった態度であるところの「科学力と物量で負けただけだ」という感情をこめさせようとしたのが、あのシーンということになる。
2016-11-19 18:49:54監督はすずさんから反省の契機を奪った。太極旗をみたときのすずさんのセリフの意味は、「物量不足で負けた。食料自給できないから負けた」になる。
2016-11-19 19:10:52これけっこうすごい改変だと思うんだよな。「総力戦の前に朝鮮人が日本であることをやめたから負けた」と書いているようなものだろう。それが当時の日本人の真実だと。さすがに「真実」を描こうとしたとはいえ、直球でそう書くのが憚られたから、ああいう言い回しになったのだろうけど、
2016-11-19 19:15:05これは真実をどうとらえるか、という話になる。原作は、すずさんの目からみた真実としての生活を描きながら、「わたしは本当にここにいていいのだろうか」と彼女に思わせるようないろんな不安を配している。妻としても、家族としても、被害者としても、壊されて直しての繰り返しを経験する。
2016-11-19 19:37:33言ってみれば原作のすずさんは見た目よりも大人だ。作者が「嫁に来た時には大人の女性として描いている」という所以であろう。原作は、すずさんが周りが隠したりみすごしたりしている本当のことに気付いていく、蒙を啓いていく話にも、なっているところがある。それにしたって最後のは強引だが…
2016-11-19 19:46:41映画は、おおむね原作に忠実ではあるのだが、そういうすずさんの聡いところ、啓蒙的なところ、頭を使うところをカットしている。作者が映画のすずさんを評して「少女と大人の境目の印象が強い」としているのも、その辺の変更の帰結を暗に指摘しているのだと思う、
2016-11-19 19:52:00原作は「いいひとばかりの懐かしい戦中生活とその破壊の活写」であるだけではなく、すずさんの人生が因習や偶然との微妙なバランスの上にあることを彼女の視点から描き出す啓蒙性を持っていた。だからこそ、風景の美化、被害者意識の側面を映画同様に孕みながらも、より読ませるものになっている。
2016-11-19 20:13:18片淵監督のいう敗戦時のリアルな感情の反映であるところの、徹底抗戦を叫ぶも早々と朝鮮人が「私は日本人じゃないので」と自国の旗を揚げてるのを見て「ああこれでは勝てない」って諦めるの、文字通りのおつむの足りない軍国主義少女だよなあ。原作のすずさんはそこまでおばかじゃないんだよなあ
2016-11-20 02:45:54さすがにそうストレートに書けないのか、映画本編では旗を出したうえでぼかしたセリフになってるの、つまりあれたしかに、「棚上げ」なんだろなあ。うん。「旗は出す。旗は出すが、深く考えさせるとは言ってない」という。ここは旗を出したことに免じて勘弁してスルーしてね、ってことなんだよな。
2016-11-20 02:49:15原作では、爆撃に打ちのめされた時期を乗り越えて「米軍の暴力には絶対に負けない」と気を張っていたからところに「降伏します」なので「なんでだまだ負けてない!」「日本から正義が飛び去って行く」なんだよな。そこに見慣れない旗を見て、自分も他人を暴力で押さえることに加担していた、と気づく。
2016-11-20 03:02:09