『ぼのぼの』のおかしみはポストモダン論では語れない論

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uroak_miku @Uroak_Miku

1)うーんこの『ぼのぼの』論はやはり変に感じる。『テヅカ・イズ・デッド』(伊藤剛)からの引用です。またです。 pic.twitter.com/ywuXFBdkFa

2016-11-23 11:08:19
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2)四コマ(この場合は八コマですが)まんがのおかしみは、コマが縦に並んでいるところから生まれると私は考えます。

2016-11-23 11:09:14
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3)もし横並びだったら、ひとつひとつのコマは同じでもおかしみが生まれなかったはずです。

2016-11-23 11:11:03
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4)横並びだと、絵巻物的になるんですよ。『風の谷のナウシカ』OPでタペストリーが出てきますよね。左から右に目を動かしていくと、そのまま大河ドラマになっていて、青い服を着た鳥人間が出てくるところでナウシカのグライダーがオーバーラップで画面が切り替わる。ああいう感じ。

2016-11-23 11:13:40
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5)縦で、そしてカメラ構図が変わらない。それゆえにシュールなおかしみが生まれてくる。 pic.twitter.com/0yqtu14eN4

2016-11-23 11:15:47
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6)舞台劇のテレビ中継では、カット割りが生じます。ある俳優の顔のアップから、舞台全体に切り替わったりする。生で観劇する人間も、目を左右させズームにしたりして楽しんでいる。

2016-11-23 11:17:30
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7)もし舞台劇を、不動のカメラ目線で中継したりしたらすごくシュールになるはずです。「大のおとなが大きな台の上でなにやってんだろ」みたいな感覚。

2016-11-23 11:18:38
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8)このまんがのシュールさは、それに通じる。だからおかしみがある。 pic.twitter.com/w4hCE6PPNx

2016-11-23 11:19:13
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9)『ぼのぼの』分析に限らず、この本における伊藤の思考はどうも身体性に欠ける気がします。頭だけでうんうんひねり出している。まんが実作の経験がある方なのにどうしてだろう。

2016-11-23 11:20:27
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10)横並びはパノラマ的で、縦並びは重力的・落下的。そういう分析を入れるべきでした。それをしないでポストモダンとかまんがジャンルの越境とか理屈をこねるので読んでいて疲れる。

2016-11-23 11:22:06
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11)舞台劇と四コマまんがの混濁によるシュールさをうまく語れていない。まんが以外のメディアとの越境について、映画しか基本的に想定していない。そこが解せない。

2016-11-23 11:23:33

以下は続きです。

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1)で、この第一章からもうテーマ(コンセプトというべきか)が入り乱れていて読むほうを振り回してくれる。 pic.twitter.com/5g82fvzksh

2016-11-24 10:07:46
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2)村上知彦らがはじめた「ぼくら」主語のまんが評論を腐すからその系の話が続くのかと思ったら『ぼのぼの』が時とともに笑いの質が変わっていく様をくどく比較検証して、じゃあ四コマ(8ですか)まんが論に進むのかと思ったらモダン/ポストモダン論に流れが曲がって、それも途中でうやむやにされる

2016-11-24 10:11:58
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3)書きながら考えを深めていくことは私もよくやるし(今まさにその狙いでつぶやいているぐらいだから)ありがちな旧来の評論パターンに陥らない(またはそのパターンで読解されないようにする)ために論をあえて着地させずにうにゃうにゃと続けていきたくなる気持ちも理解はできるけれど

2016-11-24 10:14:32
uroak_miku @Uroak_Miku

4)編集さんはどうして食い下がらなかったのだろう。あの植草氏ですよね担当したのは。私なら「伊藤さん、これってつまりこういうことですか?」とか「この書き方だと読む側がブレス(息継ぎ)できないから歌えませんよ」とかしつこく問い返すのに。嫌われるのは覚悟。

2016-11-24 10:16:40
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5)測量は、複数回行って全体の地図を作ることもあれば、空から撮影してそれをもとに一気に全体地図をこしらえることもあります。前者の場合、どうしても誤差が積み重なっていく。

2016-11-24 10:18:55
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6)伊能忠敬は日本列島の海岸線をこつこつ歩き回って測量し、日本列島地図を作り上げた。ところが北と南でどうしても誤差が出ることに気が付いた。地面は球体であることを計算にいれないで地図を描いたからです。 pic.twitter.com/EQdgJWAUe0

2016-11-24 10:22:47
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7)伊藤の論にも同じものを感じる。ガウスの定理を使うか、人工衛星からの撮影データを使うかすれば「なあんだ」で疑問が氷解するのに、平面測量の発想から脱しきれず、矛盾が生じるとポストモダンとかなんとか理屈をこねてつじつま合わせを繰り返す印象。

2016-11-24 10:33:54
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8)『ぼのぼの』と『あずまんが大王』を並べて紹介するのはいいとして、この二つの作品の笑いがどこは共通していてどこは異なっているのか、結局分析されない。

2016-11-24 10:43:02
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9)思うのですが『あずまんが』のおかしみは、この女子高生たちの「キャラ」(伊藤の用語をここでは踏襲します)を読者が再確認するところから生まれる。「ああ大阪さんはこういう子だよねー」「榊さんらしいよねー」「この二人が絡むとこうなるよねー」と。 pic.twitter.com/slk8zNIWz1

2016-11-24 10:45:34
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10)『ぼのぼの』と違って『あずまんが』の場合、本編が別にあって、この四コマはその番外編として描かれている感じがする。本編のない番外編。

2016-11-24 10:46:48
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11)「本編」での大阪さんは「キャラクター」で、この四コマ「番外編」での大阪さんは「キャラ」である。どうして伊藤はこういう風に論じなかったのだろう。

2016-11-24 10:48:00
uroak_miku @Uroak_Miku

12)キャラ/キャラクターの区分法じたいを私はしょせん近似値的理論と考えていますがここでは伊藤の主張にそってあえて使っています。

2016-11-24 10:49:07