建築は競争ではないのか
- tsujitakuma
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1990年代の「フラット」世代と2010年代の「パラレル」世代の特徴は、100人が若いときに壇上に上がる経験をしてプチマニフェストをすることでネットワークが形成され全体的な底上げがなされる効果と、なんとなく共通認識が働きすぎて結果的に多様性がなくなる弊害と、両方あると思う。
2016-12-30 02:47:32というわけでオーガナイザーの辻・川勝は大変だっただろうが、彼らの尽力でプラットフォームができたことに参加者たちは感謝するとよいだろう。全体が緩くなるリスクを回避するには、今回参加しそびれた市川紘司や連勇太朗あたりが疎外感をバネに噛みつくことで世代として伸びていくのはないか。
2016-12-30 02:53:46「閉じこもっていないで外へ見よ」は原則賛成なのだが建築家同士で議論して自分のテーマを整理し、議論の基礎体力つけないと外へ出て行っても主張が見えないし、客の注文に従うばかりになる可能性もある。外で闘うのは必要だが、そのあとで戻ってくる「ホーム」が大事だと思う今日この頃。
2016-12-30 03:11:26今月の新建築はスターシステムに対する論考があるようで読んでみようかな。想起したのは後はスターシステムでもない匿名性というなのウラシステムのような存在。藤村さんがいうように後はスターシステムを否定してもスターシステムに依るメディアとそれを欲する人々の存在。
2016-12-30 11:06:47「競争じゃない」はよく分かる。事業は競争じゃない。その提供先には、ユーザーが中心にいるから。一方で、我々は提供者としてどう振る舞うか。競争で生まれるサービスの向上は避けられないから。どの立場で語るのかによって変わる当たり前のこと。
2016-12-30 18:15:47なぜ設計するのか。誰のために設計するのか。誰と設計するのか。ブレークポイントは境界に発生する、拡張が中心から周縁へ広がっていく。中心の構造あっての拡張。拡張を踏まえた中心の再構造化。
2016-12-30 18:23:14「建築は競争ではない」が話題だけど、身の周りにある競争やバイアスを見直してみるのはいいかもなと思った。競争は無くならないが、階層や構造や質、方向性は確実に変化しているし、競争やバイアスがもたらす、もたらした影響は、あるタイミングで評価、総括はされた方がよい。
2016-12-31 03:48:31建築業界内の競争によって高い質が保たれている面はあるので否定されるべきものではないけれど、ものすごく優秀な人たちが小さなコンペに無償で取り組むようなのを横目にしょうもないビルが山ほど立っている。つまり否定すべきなのは競争ではなく、競争のやり方・範囲・相手。
2016-12-31 10:10:20会社(設計事務所)が小さいときに無理に競争する必要はない。設計の中でも自分が勝てるフィールドはあるはずだし、そのなかで第一人者のポジションを取る方がスモールビジネスとしては健全だなと感じますよ。まずはニッチビジネス。建築を深化させてきた健全な議論と競争はまた別の次元だよね。
2016-12-31 10:57:08昨日「パラレル・プロジェクションズ世代が共感を目指すのは否定しないが建築界という小さな器の中だけで展開したのでは意味がない」と述べたところ、小さな器をつくったのは既存メディアで、器の拡張努力を怠った上にそこで育った世代を批判するとは何事かという反論をいただいた。(連01)
2016-12-31 22:03:16しょせん専門誌という業界の器なので器の拡張があり得たのかといえばそれはない。焦点がぼけてしまう。起こり得たことはパラダイムシフトだけである。僕の理解では「新建築」ではそごう事件の後にそれが起きている。その後は起きていない。そしてこのパラダイムシフトは重要な意味を持った。(連02)
2016-12-31 22:03:28器の拡張やパラダイムシフトは新規メディアが登場することでも起きる。もっとも優れた例は「都市住宅」の創刊だが最初のテンションは数年しか続かなかった。(連03)
2016-12-31 22:03:41パラダイムシフトは結果的に何を生み出すのか。それは藤村さんも触れているように、スターシステムを否定した人間をスターシステムに回収し、従来のシステムが再起動するということだ。そのシステムの本質こそが問題である。(連04)
2016-12-31 22:03:52だから「新建築」を堕したメディアだと否定して建築界が総力を挙げて潰したところで、その後に何が待っているのかは想像に難くない。フラットを標榜する新しいメディアが生まれ、わずかな時を経て第二の「新建築」(的なもの)となるだけである。(連05)
2016-12-31 22:04:04これはみなさんがいかに否定しようとも人類の歴史が証明してしまっているので、異論を待たない。人間はそれほど利口ではない。そのことは「新建築」を始めとする既存メディアの本質が何かということを的確に理解している人はみなわかっていると思う。つまりこの話は建設的にはならないのだ。(連06)
2016-12-31 22:04:18なので僕は、この方向に振られた反論にことの本質はないと思う。僕が昨日問うたのは、従来の建築論の足元である。どういった歴史観、つまり人類は建築で何をなし得てきたか、に基づいて建築というものの本質を共有し、語り合っているのか、それは開き得たのではないか、ということである。(連07)
2016-12-31 22:04:27建築にはかたちが大事だということも否定はしない。しかし、何を実現させるためのかたちなのか、それは本当に多くの人が共有可能なのか、という議論が尽くされいなくては、ただのかたちのための議論となってしまうし、それを業界内だけでやっているだけでは不十分ではないかと疑問を呈した。(連08)
2016-12-31 22:04:38建築の背景が複雑化していて既存の紙メディアで伝えるのは困難になってはいるのはそりゃそーなんだけど、歴史を遡行して集中して読んで行けばきちんと言語化しようとしている人は居て、そういう意思を受け取り創作する行為が批評的と言えるんだと思います。
2016-12-31 22:40:14あと辻川勝論考について気になっているのは、仕掛け人の建築学会です。建築ワークショップ→21世紀建築会議→アーキTVと、世代交流企画は本来学生対象だったんだけど、なぜ建築学会が30代の横連携に口出すのかということについてモヤモヤしている。
2016-12-31 22:52:31私は、建築のいわゆる「閉じた狭い世界で交わされる高い文脈依存の仲間内の議論」はそれはそれであっていいと思うし、そういう場でしか鍛えられない思考もあると思う。皆が皆、意識高い物分りの良い社会派になっちゃったら何だか惜しい。素人が口出しできない場所を維持して欲しい。
2017-01-02 00:28:43辻川勝論考に、多くのご意見をいただき、感謝します。まとめる形になり恐縮ですが、お返事をします。まず前提として、この論考はパラレルプロジェクションズという建築に携わる1980年代生まれの人材を139名集めて開催されたイベントの特集記事内の論考だ。
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