ジャズ談義: なぜ乏しい音感が、西欧音楽からの奴隷解放なのか
- sunamajiri
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昨今のピアノジャズは、管楽器では追いつけない。それは実は、そもそもピアノが管楽器に追いつけなかったからだ。そういう奴隷解放の物語の図。http://bit.ly/2jO2XTK
どちらかというと、ツイッター上での談義(対話)ではなく、FB上 http://bit.ly/2jRGQOp でなので、Togetterするには不向きなのだが、一つの話題のまとまりとして保存しておきます。
音感が乏しい人ほど、ジャズをしたがるが、それは正しいのか? 実は正しい。何故かと言うと、その乏しい、言い換えればシンプルな音感が、ジャズを西欧音楽のプラトニズムから、奴隷解放させる、重要なきっかけになっているからだ。@PiyoMegtan
2017-01-25 05:41:35意識が先走ってしまえば、死の病としての終末論なのだが、音楽的には終止形かもしれない。しかし実は人間の意識はそんなものに囚われてはおらず、もっと活力のある有能なものだ。それは何を意識化している時に、活性化されるのか。それが不明では挙動不審だろう。@PiyoMegtan
2017-01-25 05:24:20意識は何かを追い越して勝手に先走っている。そこではもはや記憶を想起するだけで精一杯で、明日どころか今日を過ごすのも這々の体だ。ところが実際には何ら先走りなど起こっていない。それは何を意識しているからか。そういう話をしたのはハイデガーがはじめてだろう。@PiyoMegtan
2017-01-25 05:21:24ところで、常にハイデガー読解の話と並行するのは、ハイデガーが図星でこの話題をするからだ。おそらく西欧の中で、はじめてこのことを言い始めたのはハイデガーだろう。それは意識は先走っていないという話なのだ。@PiyoMegtan
2017-01-25 05:19:42さしあたり纏めると、読譜=想起という音楽のプラトニズムから、生身の人間へと奴隷解放されるそのきっかけが、ミファとシドという、明確なターゲット=音感を獲得したことだったのだ。それが行き着くとドリアンになるのだが、この話はまた今度。@PiyoMegtan
2017-01-25 05:14:20チャーチ・モード→バッハ→モーツァルトによる三和音→機能和声だが、ジャズがそこからの奴隷解放のようになるのは、四和音による代理コードシステムが、チャーチ・モードの中のドリアンの優勢を聴き取ってしまったからだと、言えるかもしれない。@PiyoMegtan
2017-01-25 05:07:26チャーチ・モード=アベイラブルノートスケールというのは、あくまでも四和音の代理システムありきであって、グレゴリアンなだけでは、ドリアンが優勢になることで即興に専念できるジャズにはならない。@PiyoMegtan
2017-01-25 05:02:48バッハ以前にグレゴリアン・チャーチ・モードだったわけだが、ジャズではモードというよりは、こうした四和音システムによる代理関係による、ターゲティングの明確化がなされたので、即興に専念しやすくなった、と言ったほうがより体系的な説明といえるのだ。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:59:11より体系的に言うと、自然的なペンタトニックが、機能和声により終止形、ダイアトニックになるのだが、それに対してジャズ理論が、奴隷解放の具体的な理論といえるのは、四和音システムによって、2つの半音へのターゲティングになることで、即興を可能にする理論だからだ。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:56:20西欧和声学は三和音による機能和声(終止形)、ジャズ理論は四和音による代理の体系化だが、それを単純化するとこの2つの半音の違いに行き着くのだ。だからこそジャズマンは、複雑なコードでも、想像力の赴くままに歌えてしまう。これが奴隷解放だ。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:54:05この、ミファとシドの違いを聴き取れないと、意識が先走りしてしまい、音楽として調和しない。だからジャズマンは、このミファとシドの違いをターゲットにして、アドリブをしている。たとえばコードネームを見ると、全てこれに見えてしまうのだ。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:49:59音感というのは、厳密にはペンタトニックが聴き取れることなのだが、ミファとシドという半音を追加するとダイアトニックスケール(ドレミファソラシド)になる。つまり、俗に音感がないというのは、それを聴き取れていないことを言っているにすぎない。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:46:35この正しい志向意識、正しい音感の志向というのが、ジャズ教育で言うターゲティングという概念なのだが、それはたとえば、ダイアトニックには2つの半音(ミファとシド)があり、その違いだけを常に意識する、というようなものだ。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:42:55想起=読譜から、想像力になるとは、意識とは常に志向意識だが、もし間違った志向対象を抱けば、その意識は先走って、音楽的には決して調和しない。それに対して、音楽的に正しい志向対象を把捉していると、意識は極めて自然に音楽を表現してしまう。それが例の音感の問題だ。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:38:40では、どうすれば音楽を、プラトニズム(記憶想起)=読譜から、即興=想像力に、文字通り奴隷解放することができるのだろう? 実はこれこそが、西欧哲学では最も難問とされる想像力論なのだが、ジャズメンにはそんなことは言葉にするまでもないことなのだ。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:31:26ジャズが奴隷解放の音楽と言われるのは、音楽を記憶であること、つまりプラトニズムから、想像力に転換するような営みなのだ。ところが、ある程度こなすためには、西欧からの解放というよりは、どちらかというと西欧化、音楽教育というような話になる。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:26:23これらはいずれも西欧文明の特徴なのだ。それは音楽は記憶だという思想だといってもよい。しかし、西欧化とは何であろう? 教育にせよ技術にせよ、それを習得した人には、ある程度こなせるようになるが、そうでなければ奴隷の身分だろう。そこから解放される音楽。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:24:22更に困ったことに、録音技術によって、音楽の記憶=保存は、譜面と録音に分断してしまった。録音は再生できるが、譜面は再生できない。それが音楽教育の一つの課題になってしまったといえるかもしれない。しかし、いずれにせよ、それでは音楽は記憶でしかない。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:22:29音楽を書き留める技術の発明で、作曲家と演奏家は分業体制になる。演奏家は書き留められた記憶としての音楽の想起屋さんだ。作曲家は想像した音楽を忘れないうちに書き留める職業だ。このように、書き留めることで、音楽が想像力という活力を喪失してしまったわけだ。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:18:04想起ではなく想像力だ、というのが現代哲学で文字通りの主題になるのだが、それは音楽とは記憶であり、それは書き留めておき、それを読み出す作業だ、とした近代の音楽教育に対する批判性としてあるからなのだ。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:09:43プラトンというとイデア論だが、それは近代以後は、人間は記憶を想起しているだけだ、という説。それに対してアリストテレスは、人間は想起しているのではなく、想像力が想起をも含め人間の主要な活力だ、というような説。このことは音楽には非常に大きな問題になる。@PiyoMegtan
2017-01-25 04:08:10じつはこれが、プラトン以来の西欧哲学の問いなのだ。人間は記憶を想起しているだけなのか? もしそうなら忘れないうちに外部記憶装置であるノートでもHDDでも書き留めておき、それを読み出すスキルだけを問題にすれば良い。しかし、人間は暗記だけが仕事ではない。@PiyoMegtan
2017-01-25 03:57:21音楽は記憶なのか、記憶でないのか。記憶であるなら書き留めて置かなければ、掻き消えてしまうだろう。だから西欧的な音楽教育では読譜のメソッドになっているのだ。読譜ができれば暗譜する必要がない。なぜなら音楽は記憶だからだ。しかし果たしてそうなのだろうか?@PiyoMegtan
2017-01-25 03:54:44この西欧音楽は書くことをやめられないというは、具体的には昨日話した、初見で読譜できる能力のある人はじつは暗譜が苦手という話なのだ。twitter.com/sunamajiri/sta… つまり音楽を書くというのは、音楽を記憶だと解釈しているということだ。@PiyoMegtan
2017-01-25 03:52:39つまり、譜面というのは覚えきれないことを書き留めておく、というだけのものなので、本当に譜面が読める人、つまり譜面通りに初見で吹ける人は、じつは暗譜するのが非常に苦手だったりするのだ。もし暗譜できてしまえるなら、むしろ譜読みの練習が不完全といわれるほど。@PiyoMegtan
2017-01-24 04:28:10