個人的に読むためのメモ Misaki @bonchan1 さんのツイートから古代日本の民族的成り立ちなど 2016/3/2

個人的なメモ Y染色体ハプログループにみる日本原住民の遺伝的系統 古代神話とも関連した夏王朝から後漢にかけての中華王朝と古代日本の成立過程 初期天皇と後漢皇帝の諡号の対応関係 その他
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凡人のつぶやき @bonchan1

「面土国」王の帥升との戦いでの滅亡を何とか逃れた「奴国」も、後に文・漢人が秦人と連合し倭国大乱を引き起こした時には、遂に滅び去ってしまった。奴国王は志賀島に金印を隠し、再起を期したが遂にその時が来ることはなかった。海の中道に逃れて志賀島に渡ったらしい。

2017-03-02 22:02:50
凡人のつぶやき @bonchan1

海の中道に逃れ志賀島に渡ったらしいが、海の中道は文・漢人の不弥国に含まれていなかったから、倭国大乱以前に不弥国は宗像郡の海岸線のみを領域としていたはずだ。伊都国や筑後の秦氏諸国が北上し、南北から挟み撃ちされて奴国王は海の中に逃れた。阿曇だ。

2017-03-02 22:06:38
凡人のつぶやき @bonchan1

宇賀に居を定めた文・漢人の越・大国主は、周辺の先住者から圧力を加えられた。→大国主は庶兄弟に迫害されたという表現が「神代記」で為されている。が、鬼道という宗教・医術などの先進文化の魅力で出雲を統一し、その後しきりに東方へ進出。→稲葉の八上比売を婚(よばい)し高志の沼河比売を婚う。

2017-03-02 22:12:46
凡人のつぶやき @bonchan1

越人の大国主によばいをかけられた因幡の八上比売や高志の沼河比売は勿論、秦人豪族の娘達でしょう。やがて文・漢が衰えたこの出雲氏族は、より良い豊かな場所を求めて東進した。

2017-03-02 22:16:21
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