文化は「遊び」のなかに成立した――ホイジンガ著『ホモ・ルーデンス』(読書メモ)

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未発育都市 @mihatsuikutoshi

「ホモ・ルーデンス」でツイッター検索すると、「けものフレンズ」の話が出てくる謎。

2017-03-04 11:38:09
未発育都市 @mihatsuikutoshi

「けものフレンズ」は人類学という説もある。

2017-03-04 11:39:43
未発育都市 @mihatsuikutoshi

へぇ・・・。 twitter.com/Sankei_news/st…

2017-03-04 17:47:17
産経ニュース @Sankei_news

アニメ「けものフレンズ」 ファンは動物園にも集結 そして人気のセリフの誕生秘話がついに明らかに! sankei.com/entertainments… #けもフレ #けものフレンズ pic.twitter.com/hs8dAfi6Nq

2017-03-04 17:31:11

第1章「文化現象としての遊びの本質と意味」

未発育都市 @mihatsuikutoshi

ホイジンガ著『ホモ・ルーデンス』amazon.co.jp/dp/4122000254 を70ページまで読んで第1章「文化現象としての遊びの本質と意味」を読み終えた。ちなみに、この本は第12章まである。長すぎるだろ・・・。

2017-03-06 00:24:58
未発育都市 @mihatsuikutoshi

とは言え、この本の主旨が分かった。「遊び」(ルーデンス)とは何かという問いに対して、例えばそれは「本能である」と答えても何も説明したことにはならないし、また、心理学では「遊び」とは「代償的同一化である」等々と説明しているけど、それは疑似合理主義にすぎないとホイジンガは述べている。

2017-03-06 00:29:59
未発育都市 @mihatsuikutoshi

ホイジンガは「遊ぶという事実そのものが重要なのだ」と述べている。つまり、説明できないことを無理に説明しようとするのは止めようというわけである。そして、ホイジンガが着目したのが「遊び」の形式的特徴が祭祀、競技、神話、美学、詩などの人間の文化と同質性がある(似ている)という点である。

2017-03-06 00:33:50
未発育都市 @mihatsuikutoshi

「遊び」とは「本物でないものを本物と考えて、見せかけの現実化をすること」、祭祀などの人間の文化は「物事を形象化してイメージを創り出すことによって、現実にとって代わるものを生み出す行為である」。両者の形式はよく似ている。ちなみに、後者の「物事」とは植物界、動物界などの諸現象、(続く

2017-03-06 00:40:20
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)月や太陽や季節の変化など、更に、時間や空間などのことである。また、後者の「現実にとって代わるもの」の最も一般的な例は「言語」である。つまり、両者を合わせると、「言語」も「遊び」から生まれたのだと考えることができる。いずれにせよ、人間の文化は(続く

2017-03-06 00:42:37
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)「遊びの上に接木されたのだ。しかし、あくまでも根源にあるのは遊ぶというそのことである」。即ち、「遊び」とは「文化を動かすさまざまな大きな原動力の起源」なのである。今日の勉強、終わり。

2017-03-06 00:45:23
未発育都市 @mihatsuikutoshi

あと先日、この本のまえがきを読んで twitter.com/mihatsuikutosh… と私は読書感想ツイートをしたのだけど、第1章でも真面目/遊びの対比についてホイジンガは論じている。「われわれには、遊びと真面目の対比を一つの絶対的なものと見なす習慣がこびりついているのだ。(続く

2017-03-06 00:50:55
未発育都市 @mihatsuikutoshi

建築もますますクソ真面目なものになってきている。私は人間文化の本質である「遊び」を擁護しようと思う。ちなみに、真面目/遊びという分化が起きたのは近代以降のことである。建築から「遊び」を排除しようとする考え方も近代の産物なのである。

2017-03-02 13:27:00
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)しかしどう見ても、それでは事の底の底まで降り立って考えてことにはならない」とホイジンガは述べている。ホイジンガはその一例として、哲学者のプラトンの一節を引用しつつ、古代ギリシャでは「遊び」と聖事(神聖なるもの)の同一性は無条件に認められる既定の事実であったことを論じている。

2017-03-06 00:54:23
未発育都市 @mihatsuikutoshi

というわけで、第2章以降はぼちぼち読むけど、この本のエッセンスは第1章に既にほとんど書かれていると思われる。目次を見ると、第2章以降は「遊び」と祭祀、競技、法律、戦争、知識、詩、神話、哲学、芸術、音楽などなどの様々な人間の文化の同質性を丁寧に一つずつ論じているっぽい。(続く

2017-03-06 00:57:54
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)そして、最終的には全ての人間の文化は「遊び」から生まれたのだという結論に達すると思われる。というわけで、もうこの本を読み終えたのと同じである(そんなわけないw

2017-03-06 01:00:17
未発育都市 @mihatsuikutoshi

いつもの。/【再掲】「現代版サツキとメイの家」を描いてみた - Togetterまとめ togetter.com/li/1021252 これが21世紀の建築です。

2017-03-06 01:01:42

第2章「遊び概念の発想とその言語表現」

未発育都市 @mihatsuikutoshi

ホイジンガ著『ホモ・ルーデンス』amazon.co.jp/dp/4122000254 を110ページまで読んで第2章「遊び概念の発想とその言語表現」を読み終えた。さくさくと読書のスピードを上げることにした。もう誰にも止められない…。(何

2017-03-07 00:33:27
未発育都市 @mihatsuikutoshi

第2章では章題にあるように、世界各地の「遊び」の概念とその言語表現について細かく論じている。日本語における「遊び」の表現についても論じていて、ホイジンガによると、日本語は中国語とは対照的だが、現代西洋語とよく似ているとのこと。例えば、機械の部品の接合部などに設けられた隙間や(続く

2017-03-07 00:38:41
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)緩みなどを日本語では「遊び」と呼んでいるが、これはオランダ語やドイツ語や英語でも同様であるとのことです。…と言った具合に、この章では言語の細かい話が延々と続くのです^^。(一応、ホイジンガさんは筋金入りの歴史家です。→ ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8…

2017-03-07 00:44:10

(「ヨハン・ホイジンガ」 → Wikipedia

未発育都市 @mihatsuikutoshi

あと、第2章では前の章に続いて「真面目/遊び」の対比をその言語表現から更に細かく論じている。結論部分を引用すると、「遊び―真面目の対立をもう少し詳しく観察すると、この二つの語がけっして等価ではないことが分かる。遊びは正(ボジティヴ)であるが、真面目は負(ネガティヴ)である。(続く

2017-03-07 00:50:44
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)真面目の意味内容は遊びの否定であると規定できるし、実際それに尽きている。「真面目」とは単に「遊びではないもの」であって、それ以外のものではない。これに反して遊びの意味内容は、けっして「真面目ではないもの」とは定義できないし、それに尽きるものでもない。(続く

2017-03-07 00:52:34
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)つまり、遊びというのは何か独自の、固有のものなのだ。遊びという概念そのものが、真面目よりも上の序列に位置している。真面目は遊びを閉め出そうとするのに、遊びは真面目をも内包したところでいっこう差支えないからである」(P.109)とのことです。今日の勉強、終わり。

2017-03-07 00:54:55
未発育都市 @mihatsuikutoshi

次の第3章は文化の創造と「遊び」の関係についてなのだが、この章は長いので絶望している。というか、この本のような“歴史的名著”の定番中の定番は、学生時代に一通り読んでおくべきだったと反省している。It is no use crying over spilt coffee...

2017-03-07 00:58:02
未発育都市 @mihatsuikutoshi

大学の建築学科では環境工学や構造力学の本よりも『ホモ・ルーデンス』を読ませるべきですね!(何w

2017-03-07 00:59:39
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