私は、奈良県などに行くと、対外的に、自分の出身地を「三重県」と答えるのですが、伊勢志摩地方だけを指して「三重県からお客さんが来られました」と言ってしまうことも多く、境目の国衆としてふらふらした立場にあります。
2017-02-09 23:03:03@SystemPhilsophy 南北朝時代の北畠顕家ほどに!…とは言いませんが、普通にすごい大名だと思います。(私が知らないだけかもしれませんが)大和や紀伊はほとんど触れられないので、今回の地図作製で一番名を挙げたのは北畠氏だったかもしれませんね(笑)
2017-03-25 20:56:53@SystemPhilsophy 私も北畠は専門外なのではっきりとは言えませんが、元々幕府から伊勢(+志摩)と大和国宇陀郡守護に任じられていたそうです。北畠具教先代の晴具が大和吉野郡に進出し制圧したそうです(ただしいくつかの豪族とは敵対関係になったそうですが)
2017-03-25 21:09:27@Fransisco1530 北畠氏、戦国モノの小説だと信長に下手すると一行で瞬殺されますよね……。あるいは物語開始時点で既に制圧されてたり。これは再評価されてもよいのでは。
2017-03-25 20:36:05@SystemPhilsophy 天文年間とだけあって、具体的な時期は示されていないのですが、江口の戦いなどの京都の動乱に乗じて進出したのかもしれませんね
2017-03-25 21:30:52@Fransisco1530 謎のエリアだった吉野郡を北畠が支配していたのは驚きました。一方で、ありがたさを感じましたw 今度は、九州三国志なんかも見てみたいですね。
2017-03-25 17:04:49戦国時代に北畠家が築いた伊賀の「我山城」からの眺めです。信長に本国伊勢を乗っ取られた後、還俗した遺児がここで挙兵したとされます。 pic.twitter.com/eMCwyojpbw
2016-10-27 12:53:56@fushunia 我山=和歌山=阿我山 「われ」は「あれ」とも発音するように、発音が通じていました。和歌山の名称は、「御殿山」と呼ばれるこの城に連歌師が来訪し、その景観をめでた(『伊賀名所記』)ことに由来するようです。 ※和歌山県とは関係が無いです。
2016-10-27 12:56:01その当時、「「武田家滅亡」はウソ」とブログを書いたのですが、伊東先生の著作『武田家滅亡』のことだと誤解されてはいけないと思い、タイトルを「勝頼滅亡」に変更したことがあります(笑)江戸時代の『伊乱記』に「北畠具教は武田勝頼の滅亡から何も学ばなかった」とあるのですが、滅亡順が逆なので twitter.com/jun_ito_info/s…
2017-01-15 14:40:29拙著『武田家滅亡』は小説ですが、平山優先生の『武田氏滅亡』は歴史研究本です。 twitter.com/nyyotsuba/stat…
2017-01-15 13:54:19この御殿山(我山城)は伝承上、「北畠の城=天武天皇の陣営跡=古代の伊賀のヒメの斎の場」でもあり、当時の人々は古代も中世と同じように山城で戦っていたと思っていたので、どんどん伝説が生まれたようです
伊賀国の場合、中世の山城跡に、「古代の天皇の戦争伝説」の伝承が形成されている場所が複数あるので、興味深く思っています。 北畠氏とか幾つかの大名・武将の城跡は、古代の天皇が戦争のために陣取った山だということになっています。
2016-11-16 23:23:26東国、西国の境界区分
いわゆる東国、西国の境界問題。東海道、中山道、北陸道、北海道が東国。山陰道、山陽道、南海道、西海道が西国。でよくないですか?当時は畿内が首都なわけですし、当時の人の主観的にはこの区分がよさそうかと
2017-03-31 14:53:00@Fransisco1530 「西国三十三所」だと、岐阜県が西国に入っているみたいです。三十三のお寺の名前を読み上げる「御詠歌」を、祖母や祖父の葬儀のあと毎晩歌ったことがあります。
2017-03-31 22:55:17@fushunia おそらく江戸時代になって、関東が政治の中心になってからの事かもしれませんね。でも、岐阜も西国という認識は確かにあるようですね。興味深いです!
2017-03-31 23:24:42@Fransisco1530 平宗盛が「畿内近国」の惣官になったときは、この近国の中に、伊賀と伊勢も入っているそうです。ところで、私の経験ですが、滋賀県の日本古代史専攻の同級生から、「伊賀は関西じゃない」と言われたことが、一番のショックでした。
2017-03-31 23:27:58@fushunia 伊賀、伊勢が関西地方とする場合と、中部地方とする場合がありますよね。たぶん、山口が中国地方か九州地方よりも難しい議論だと思います笑
2017-03-31 23:53:25伊賀のヤマト人、伊勢に侵攻す
@senryusai 県内の古墳の分布や、『日本書紀』、『風土記』逸文などの文献から、古代の伊賀と伊勢は戦争をしていて、ヤマトからの援軍(伊賀へヤマト勢力が入植)を得て伊勢へと侵攻していったようです。征服後、かなり後になって伊勢の地位が向上し、後の「伊勢神宮」へつながるようでした
2016-06-03 02:48:38三重県の古墳ランキングだと、1位~3位がすべて「伊賀」にある前方後円墳です。3位が石山古墳。