かつての「柔道」とJudoの関係のようになった日本文学研究
- kasamashoin
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最近必要があってアメリカ・ヨーロッパの日本文学研究者の研究テーマを、ウェブで見ました。日本の研究者と大分違うことを、改めて実感しました。ミシガン大学の日本学シリーズにもそれが表れています。press.umich.edu/browse/series/…
2017-05-24 04:58:47思い返すと、日本文学研究では、先行論文の調べ方、批判の仕方、テキストの選定、用例の網羅による立論などを徹底的に訓練させられます。アメリカ・イギリスの研究と比べると禁欲的で、職人的です。アメリカ・イギリスの研究が、時に「遊び」に見えてしまうことさえあります。
2017-05-24 05:01:55しかし、今日、アメリカ・イギリスを始め、英語圏・ヨーロッパの日本文学研究者の数が相当に増えてきています。かつて、「日本人の日本文学研究こそ世界一だ」と言っていた時代があります。しかし、今やアメリカ・ヨーロッパの日本文学研究が「スタンダード」になりつつある情勢です。
2017-05-24 05:04:34多くの日本人研究者の知らないところで、西欧の日本文学研究者が日本文学について議論し、その中の価値観で評価が行われています。何かかつての「柔道」とJudoの関係のようになってきています。「柔道」に立てこもるでなく、Judoの末席に加えてもらうのでもない生き方を探す必要があります。
2017-05-24 05:12:58今、日本文学研究の国際化というと、西欧の研究者から、日本人の常識を覆してもらうという行き方になりがちです。私もそうでした。しかし、それは西欧から見て、遠い東方世界の中でのできごとに過ぎません。もっと違う道があるはずです。私たちが培ってきた職人的研究に誇りをもちながらの道が。
2017-05-24 05:20:16先日聴いた国際日本研究のシンポジウムでは、日本の研究方法でそのまま発信するのでは不十分で、世界の人文学の文脈に接続する必要があるというのはコンセンサスとして共有されていたと思う。(私の3年前の新書のポイントもそこにあった。)しかしどうそれを実現するかは、まだブラックボックスの中。
2017-05-24 09:37:48欧米圏の日本研究は、ただ日本(語)の事象を研究しているのではなく、自然に人文学と接続している。だからその文脈がわからなければ、論点が理解できず、例えば原典主義の立場からの批判で終わるようなことになってしまう。
2017-05-24 09:41:41ではどうするかというと、結局、欧米圏の人文学の文脈について学び続けて、それぞれでそこに接続する方法を見出すしかない。
2017-05-24 09:44:20日本の社会学なども同様。「欧米に先行研究がない」とか言ってるのは、単に外国語で読んでないか、学び方が悪いかのどちらかでしょうね。 twitter.com/shionkono/stat…
2017-05-24 09:51:26こうした二つの潮流の乖離の傾向は、おそらく世界的に観察可能なんだろうと読みながら思った。文学や思想テクストの研究をめぐって、フランスの大学で教える研究者からも同様の状況認識を聴くことがしばしばあるから。
2017-05-24 10:00:05下の小川氏と河野氏の主張の対比、 今朝明け方に読んで、いろいろ考えているところ。 河野氏の言及する国際日本研究のシンポは日文研のものだと思う。 酒井直樹氏に、あえて私がコメントせよ、とシンポ企画者が指名したように、対話が重要。私たちの研究会でも大事なテーマです。
2017-05-24 10:12:32小川氏のはもう少しツイートがあるのですが、すでにまとめもあるし、直接ご参照ください。 ちなみに、酒井氏との議論では、ネイティヴインフォーマント、が一つのキーワードになりました(しました)。これも研究会で河野氏が示唆したことでもあります。
2017-05-24 10:16:34私のは、柔道云々の記事に直接反応したものではありません、念のため。 twitter.com/kasamashoin/st…
2017-05-24 12:12:49「かつての「柔道」とJudoの関係のようになった日本文学研究」をトゥギャりました。 togetter.com/li/1113506
2017-05-24 12:03:47@kasamashoin 河野氏のコメントは、小川氏とは関係のないものです。私が勝手に結びつけただけ。と思います。
2017-05-24 12:15:07日文研の荒木氏のツイート。私のコメントは日文研で今月開催されたシンポジウム「なぜ国際日本研究なのか」に関するものです。基調報告は酒井直樹氏。そして私は荒木氏主催の共同研究会にも参加しているのですが、そちらも海外の日本研究とどう接続していけばいいのか、考える場になっています。 twitter.com/hiroark7/statu…
2017-05-24 15:48:48今朝のツイートに少し補足すると、私自身も小川氏の言うところの「違う道」を模索することには賛成。日本の研究の場にある研究の蓄積を犠牲にして欧米の人文学に「合わせる」べきとは思いません。だからこそ「接続」することが重要なのですが、そこには何か処方箋があるわけではないと思うのです。
2017-05-24 15:59:04ただ、これも前述のシンポジウムで出た話題ですが、ここ数年の「国際日本研究」という枠組み自体が、現在の日本の大学の置かれた諸々の外的要因の産物でもあるので、そこから学問的に生産的な何かが出てくるかは…関わる研究者次第だと思います。
2017-05-24 16:12:22@shionkono コメントありがとうございます。関連のツイートをしましたら、割合拡散してしまい、お騒がせしました。今後いい議論を重ねていきたいと思います。私も不勉強のままでお恥ずかしいです。今回は、酒井直樹氏、そしてジェームズ・ケテラー氏と、シカゴの先生方のレクチャーが続き、勉強になりました。
2017-05-24 16:20:48日本の日本文学研究者と欧米の日本文学研究者が、連繋してゆくための手がかりは、日本文学研究のめざすもの方向にあるかもしれません。「日本についての理解を深める」ということが、目標に置かれることが多いと思います。「世界を知るために日本を知ろう」というキャッチフレーズもよく目にします。
2017-05-25 04:58:56しかし、日本についての理解を深めて、その先どこに向かうのでしょうか。また、日本人が国内で日本の理解を深めるということは、容易ではありません。「世界を知る」前に、「日本」をなかなか捉えられないということになりがちで。そこで外国人の力を借りるということになってしまいます。
2017-05-25 05:03:18日本の研究者と欧米の研究者が「日本の理解」のために向き合うのではなく、互いに「日本」を通して、人間や文化についての新しい見方を発見してゆくという、会話しながら、並んで歩いてゆくような道があるのではないかと思います。
2017-05-25 05:06:05UCLAのマイケル・エメリックさんが、江戸時代の源氏物語受容の研究を通じて、replacementという面白い考え方を見つけています。原典が、その時その時に受容される、というのが今まで受容の考え方です。replacementは、原典が次々と別のものに置き換えられてゆくと見ます。
2017-05-25 05:09:38原典という固定したものを「受容」すると、というのではなく、置き換えられたものを原典のように感じる、というところが、江戸的で面白く思います。このreplacementは、日本文学だけでなく、世界の文学にも応用できます。日本文学から、普遍的な見方を汲み出した一例と思います。
2017-05-25 05:18:16私はエメリックさんに、replacementの概念を、文学理論の研究者にも発信してみてはどうかと言いました。しかし、アメリカの文学理論の研究者は英米文学研究者で、日本文学には興味がないで難しい、という答えでした。
2017-05-25 05:21:36確かに、日本語もわからず、源氏物語も知らないアメリカの英米文学者に、replacementの理論を伝えることは難しいでしょう。日本の日本文学研究者と、欧米の日本文学研究者の立ち位置は違います。彼らはあくまでも「外国文学」、それもアジアの文学の研究者なのです。
2017-05-25 05:24:05