科学思想史研究者の金森修先生(1954-2016)が逝去されて1年が過ぎた。金森先生は2014年夏にご病気が発覚して以来、2年近くにわたって闘病生活を続けられていた。その間にも、授業や校務をなさり、数多くの著書・論文を刊行され、社会に対する発言を続けられてきたが、2016年5月26日の午後、61歳の若さで世を去られた。没後1年間の先生に言及したツイートをまとめる。
折しも、金森先生が最後の入院生活を送られていた頃、金森先生と広井良典先生、小松美彦先生による鼎談「文明史の転換と科学批判」】(『情況』2015.12/2016.1合併号《特集・科学技術政策と大学改革》の内容が島薗進先生のツイートを中心にまとめられた。
【金森修・広井良典・小松美彦「文明史の転換と科学批判」】 - Togetterまとめ togetter.com/li/933804 @togetter_jpさんから
2016-05-20 23:39:39そして陸続と刊行される金森先生の著書や編著の情報が飛び交う矢先に……
来月発売予定で、こちらの書籍にも金森修先生のご論考が掲載されているようです(まだタイトルとかが明らかになっているページは見当たりませんが)。│ 平和国家のアイデンティティ (リーディングス 戦後日本の思想水脈 第1巻) i.sinkan.net/?action_item=t…
2016-05-27 15:27:325月27日の午後・・・
金森修先生の訃報が入った。 人文系で最も大事な仕事をされてる方の一人だと思っていたので、あまりに衝撃とショックがでかい。。 もっと読みたかったし、授業に潜ってでも教えを受けておくんだった…
2016-05-27 16:58:53彼から直接いただいた言葉は一生僕の中に残るだろう。出会えて本当によかったです、ご冥福をお祈りします。先生の遺志は受け継ぎました
2016-05-27 13:47:30先生が亡くなられたのは5月26日13時41分。訃報は27日の正午をもって解禁され、大学ならびに関係者から公表されて、新聞5紙に掲載された。新聞電子版の情報が先行し、27日中に多くのかたの知るところとなる。
金森修先生亡くなったのか... ひと月ほど前に講義でお見かけしたのが最後になってしまった 冴えない一学生としては、お勧めいただいたホモ・サケルをちゃんと読むことで手向けとしたい
2016-05-27 17:11:01そんなばかな…金森修先生。僕をフランス科に導いてくださった、尊敬してやまない大先生が旅立ってしまった。フーコー、そしてアガンベンのビオスとゾーエーを語る時の先生のあの熱。本を読みすぎて目から血が出て、と冗談めかして笑う先生。逆立ちしても一生叶わないと思う、憧れの先生だった。
2016-05-27 17:25:56きみのようにさ 吹雪やわずかの仕事のひまで泣きながら からだに刻んでいく勉強が まもなくぐんぐん強い芽を噴いて どこまでのびるかわからない それがこれからの新しい学問の始まりなんだ(『春と修羅』より)
2016-05-24 08:14:01金森修先生の訃報。ベルクソン哲学に興味を持ち始めたときに手にした初めての解説本が先生のものじゃなかったら、純粋持続なんて何の面白みも見いだせないまま諦めていたかもしれない。
2016-05-27 17:59:12どうやら本当のことらしくとても悲しい。教育学研究科の金森修先生が亡くなられたとのこと。 先生の授業を受けられた経験は宝です。
2016-05-27 18:07:45金森修先生の訃報を知る。フーコーやベルクソンについて、科学思想史や生命倫理学について、自分の専攻とは微妙に異なる分野ではあるが、その研究には圧倒されていたし著書からはことを学んだ。
2016-05-27 18:58:49金森修「限界体験の傷口―〈原爆文学〉と原発事故」 『現代社会と人間への問い』(内田隆三編)せりか書房、2015年11月。 amazon.co.jp/dp/4796703470 黙祷。遠くに美しく高くそびえる頂を憧れと共に眺めるような、そんな気持ちで先生のご著書をいつも拝読していました。
2016-05-27 19:02:46「通夜は29日午後6時、葬儀は30日午前11時30分から東京都杉並区高円寺北2の2の5の公益社高円寺会館で。喪主は妻晶子さん」│ 東大大学院教授の金森修さん死去 科学思想史:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASJ5W…
2016-05-27 19:14:08金森修さんの御逝去を知る。科学と思想の関係について、彼から学ぶことは実に多かった。もっともっと議論したかった。今年1月に彼の著書の書評を朝日新聞に寄せたが、病状が悪いと聞いていたので、見舞いの意味も込めてのことだった。御冥福を祈ります。
2016-05-27 19:14:16実は先生は東大でのゼミの第1回授業で、自分の体調が極めて悪いことを学生たちに告げていた。とくに学部の授業では事情をまったく知らなかった履修者が多く、教室は驚きに包まれた。やがて先生は授業を担当できなくなった。