エレン先生が読む国語教科書(小3-6)

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uroak_miku @Uroak_Miku

26)着物を仕立てるときは尺で作る。それをセンチやインチで作ったりしたら着物にならない。微妙におかしな着物ができあがる。

2017-06-17 20:44:29
uroak_miku @Uroak_Miku

27)しかしながら日本人の体形も次第に変わっていって、尺ではなくセンチによる着物がそれなりに着こなせるようになった。

2017-06-17 20:45:20
uroak_miku @Uroak_Miku

28)明治になって、英語辞典をお手本に国語辞典の編纂が国によって企画された。文明国はどこでも自国のことばを辞書にしているからという理由です。ことばは国家のOS。優れたOSであることを誇示するには辞書が一番。それで大日本帝国にも辞書がいると叫ばれた。

2017-06-17 20:48:12
uroak_miku @Uroak_Miku

29)英語辞典をお手本にしているので英文法の用語が大量に混入した。江戸期に開発された「体言」とか「用言」とか(中学国語で習うあれ)に、英文法の「接続詞」とか「動詞」とかが入り混じった。

2017-06-17 20:49:33
uroak_miku @Uroak_Miku

30)国語辞典は混血児なのです。すなわち国文法は混血児。

2017-06-17 20:50:23
uroak_miku @Uroak_Miku

31)それから翻訳をつうじて日本のことば自体が変容していった。英語やフランス語やロシア語やドイツ語の書物を日本のことばに置き変えるには、ことばのほうが変化せざるをえなかった。

2017-06-17 20:53:01
uroak_miku @Uroak_Miku

32)森鴎外というと『舞姫』の印象が強い。擬古文の小説を書いていたひとと思いがちです。ところがドイツ語からの翻訳ものを読むと、今の目でも新しい。とてもこなれています。

2017-06-17 20:54:13
uroak_miku @Uroak_Miku

33)鴎外はやがて擬古文を捨てて小説を書きだすのですが、それは翻訳をとおして文体を確立させたからです。

2017-06-17 20:55:04
uroak_miku @Uroak_Miku

34)明治期にことばが大きく変化した。ガイジンの血が混じった。漱石もそうです。『吾輩は猫である』にも英語の小説の文体がしっかり混じっています。

2017-06-17 20:56:29
uroak_miku @Uroak_Miku

35)国文法というものさしが実は洋物であり、小説をはじめとする日本の言語表現もまた洋物の血が混じりながらあるスタイルに収れん(というか分岐)していった。

2017-06-17 20:58:29
uroak_miku @Uroak_Miku

36)いわゆる「古文」を習うときとまどいませんでしたか。同じ日本の書き物なのに何が何だかわからない、読みにくいことに。それは明治期にことばが混血化によって変わってしまったからです。洋式便器になじんだ私たちにとって和式便器は奇怪に思えるのと同じ。和式こそ本来の日本の便所だったのに。

2017-06-17 21:00:49
uroak_miku @Uroak_Miku

37)便器になぞらえるのは良い子のみなさんには露骨なので洋服と和服の違いになぞらえたほうがいいかな。私たちが今着ている服は洋服です。洋服のほうが着たり脱いだりするのが楽だし洗って干してたたむのも簡単だし。和服は特別なイベントのときに着る服になっていった。

2017-06-17 21:13:08
uroak_miku @Uroak_Miku

38)これは愛知県にある野外博物館・明治村にある建物。明治期に作られた甲府の市役所でしたか。洋風に見えますよね。ところが西洋人が見ると和式だそうです。 pic.twitter.com/tfiDLmNtzL

2017-06-17 21:18:46
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uroak_miku @Uroak_Miku

39)実はこれ、横浜の外人居留地に並ぶ西洋建築を観察した日本の大工がこしらえたなんちゃって洋館です。縦の柱に白と黒が交互に並んでいるのでレンガみたいにみえますが木造です。木造で西洋レンガ建築を真似た。

2017-06-17 21:20:48
uroak_miku @Uroak_Miku

40)ベランダというバルコニーというか、明治期の洋館は必ずこれがあった。実はそういうのは東南アジアの洋館です。暑いので風通しを良くするためにフランス人が工夫した様式。それが横浜居留地でも踏襲され、それを日本の大工が目で真似た。

2017-06-17 21:26:24
uroak_miku @Uroak_Miku

41)作ったひとたちにすれば「どうだ洋館だぜ」だったのだけど、植民地スタイルの建物をそのまま真似てしまったわけで、むしろ国辱ものの建築です。

2017-06-17 21:27:23
uroak_miku @Uroak_Miku

42)そういう目で明治村を回ると、また味わい深いものがあります。 pic.twitter.com/18Qo1jCHdQ

2017-06-17 21:29:24
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43)明治のことば改良にも同種の痛ましさがあります。

2017-06-17 21:33:12
uroak_miku @Uroak_Miku

44)小学校では日本史のイロハは小6で習う。だから明治期のこうした混乱の話を英語の(小3~4では「外国語活動」の建前ですが)授業ではやりにくい。

2017-06-17 21:35:46
uroak_miku @Uroak_Miku

45)「国語」の相対化というテーマがどうしても英語の授業では避けられない。現行の中高英語教育はそこを避けてしまうため、それが祟って「日本人の英語」を増殖させてしまう。

2017-06-17 21:36:55
uroak_miku @Uroak_Miku

46)ten.tokyo-shoseki.co.jp/text/chu/keika… これによると中学社会科で明治の話は中二の後半なのですね。明治が「国語」を生んだ。この事実をしっかり教えておくと英語の授業に活きてくるのですが。

2017-06-17 21:41:16
uroak_miku @Uroak_Miku

47)「~である」「~ということもできる」などの文の締め方も明治期に生まれた。いわゆる「口語体」を確立させていく過程で、江戸時代の講釈師や儒学者の講義口調を書きことばに取り入れて生まれた。

2017-06-17 22:07:18
uroak_miku @Uroak_Miku

48)「です・ます」や「~される」などの、いわゆる敬語のお話は小5デビュー。ですます体は小一からもう使うのですが敬語という考え方を教えるのはこの小五でです。 pic.twitter.com/fo7Jqa1fVU

2017-06-17 22:10:15
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uroak_miku @Uroak_Miku

49)英語には「です・ます」がない。敬語と呼べるものは使っていない。ところが敬語のシステムはしっかりまわっている。エレン先生に「どこに暮しているの」と聞くのは✖ですが「この近くに暮しているの?」なら敬語表現になる。 pic.twitter.com/qFgIoFPgJk

2017-06-17 22:14:18
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uroak_miku @Uroak_Miku

50)日本語は服装のバラエティに富んでいる。冠婚葬祭用のスーツが何種類もあるようなものです。場に合わせてさっと着替える。クラーク・ケントがスーパーマンに早変わりするようにして「ぼくがいくよ」ではなく「ぼくがいきます」に口調を変えてみせる。 pic.twitter.com/kcbJCiNaU6

2017-06-17 22:25:22
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