天正ころの伊達家や上杉家の鉄砲(鉄炮)装備率と「鉄放」の運用について。帆船ハッカさんとの遣り取り

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帆船ハッカ @kotosakikotoko

天正期の伊達氏の鉄砲配備率ってどれくらいなんだろう。

2017-04-22 20:22:52
三浦介 @miurano_suke

@kotosakikotoko こんばんは(=゚ω゚)ノ 亀レスですが『古文書研究49』の安部俊治氏「天正二年頃の伊達氏人数日記(着到帳について」で確認してみたところ、地頭122人、総員数7430人のうち、鉄砲は280人とのことでした。装備率は約3.7%ですね。これは多かったのか少なかったのか…

2017-04-27 01:02:41
帆船ハッカ @kotosakikotoko

@miurano_suke おおおありがとうございます! 同時期の奥羽他家と比較できないのでなんですが、そもそもの分母が大きいので鉄砲持ちも恐らく相応に大きな規模ですよね。流石伊達だ。

2017-04-27 01:12:44
三浦介 @miurano_suke

@kotosakikotoko 確か(記憶なのでいい加減ですが)同じ頃蘆名氏の出馬を受けた佐竹氏が羽黒山城(だったかな?)に増派した鉄砲が10丁とかでしたから、南奥ではかなり多い方だったのかもしれませんね。

2017-04-27 01:19:12
帆船ハッカ @kotosakikotoko

@miurano_suke 又引きですが天正3年の『上杉氏軍役帳』だと総5514人に鉄砲316挺(5.7%)だそうで。同時期の他大名達が5~10%だそうで、伊達氏の配備率は少し低い位でしょうか。

2017-04-27 01:26:55
三浦介 @miurano_suke

@kotosakikotoko ふむふむ、そうですね。上杉氏も案外装備率低いんですねえ。

2017-04-27 01:31:04
帆船ハッカ @kotosakikotoko

10挺かぁ。でもこの総数を考えれば十分な火力になりえるんだよなぁ。『鉄砲隊』という部隊が多用されるわけだよなぁ。

2017-04-27 01:32:26
三浦介 @miurano_suke

@kotosakikotoko 佐竹氏は後の沼尻合戦の時には北条家を上回る大量の鉄砲を揃えたという話も何かで見たことがあります(もちろん佐竹氏のみでなく、味方した勢力全部の合計だと思いますが)。

2017-04-27 01:34:36
帆船ハッカ @kotosakikotoko

@miurano_suke 畿内や九州四国方面も比較出来れば面白いかもですね。

2017-04-27 01:35:25
帆船ハッカ @kotosakikotoko

@miurano_suke 『鉄砲』という武具の価値の高まりを感じる話ですね。

2017-04-27 01:38:33
三浦介 @miurano_suke

@kotosakikotoko 加えて申せば天正一桁の頃には蘆名氏にはっきり「鉄砲隊」と言える集団が存在したようです。須江氏に率いられて伊達氏の援軍に行ったり、後には岩橋弥左衛門が佐竹氏の援軍に出向いて大功を挙げたりしてます。

2017-04-27 01:41:06
三浦介 @miurano_suke

@kotosakikotoko ですね。西の方はそういう研究もありそうですしね。

2017-04-27 01:41:55
帆船ハッカ @kotosakikotoko

@miurano_suke おお、そうなのですか。安東氏だと永禄末か天正9年頃かのどちらかに比定される書状に鉄砲隊の記述があるのですが、奥羽だと兵科としての鉄砲隊の成立ってそれくらいが画期になるのかもしれないですね。

2017-04-27 01:45:40
三浦介 @miurano_suke

@kotosakikotoko 個人的には天正中期かなあという感じがしますねえ。蘆名氏の場合は伊達氏からの援軍要請に盛氏が「長沼に全部派遣してしまってるので手元には鉄砲は1挺もなくて送れません…ごめんね」とか言ってる書状もあるので、「鉄砲隊」という運用は大量に持ってなかったからこそなのかもとか思ったりします。

2017-04-27 01:52:40
帆船ハッカ @kotosakikotoko

@miurano_suke なるほど、虎の子の精鋭部隊的な扱いだったのかもですね。

2017-04-27 01:56:06