青識亜論とErinのやりとりに見るツイフェミの非論理的会話

ツイッター界隈ではツイフェミ、まなざし村などとと呼ばれる一群のアカウントがありますが、そのようなアカウントの使う語りの一例をまとめました。
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青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

差別と感じるのは劣等感があるからだ、とするロジックですが、それこそ反差別の諸運動が積み重ねてきた、弱者の声なき声の言語化を、一撃で粉砕してしまいかねないと思うのですが。

2017-08-27 18:20:38
  • 「藁人形」とは藁人形論法をさしており、藁人形論法とは、相手の言うことをわざとゆがめて理解し、それに対して反駁を加えることで自分の側に正当性があるかのように見せる行為を言う。しかし相手が藁人形論法を使っていると主張することそれ自体が、相手の言うことがまちがっていると印象づけるための「藁人形レッテル」として利用される。
  • 下の×文と○文のちがいは、差別「の表現がないのにあると」の部分であり、これは「件のCMの中には差別はない。それなのに一部の人間は差別だとわめきたてている」という主張を含意させている。一般に、自分の主張を直接言明せず相手に読み取らせるようにするのは会話において非常に有効である。それはその言葉の解釈にあいまいさを残し、相手がこうだろうと考えて反論してきた場合に、「私はそんなこと言ってないですよ。あなたの勝手な勘違いじゃないですか?」と逃げる選択肢を用意できるからである。ここではその定跡にのっとっている。
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

差別の表現の有無って誰がどうやって判定するんですかね……。「この表現は差別だ」という告発に対して、「それには差別の表現は含まれていない」「そう感じるのは劣等感があるからだ」として棄却するのはかまわないんですか? twitter.com/makoamd/status…

2017-08-28 07:53:17
  • これに対して青識亜論は判定問題で切り返した。あるものがAであるかBであるかによってあつかいが大きく異なる場合、そのAかBかを決める基準、あるいは決める主体が重要な争点になる。そのため「○○と××はちがう」という主張をしたときには、そのちがいを決める判定の話に移るのが一つのパターンである。青識亜論が念頭においているのは、「差別であるか否かをだれかが恣意的に決められるのであれば、その者が差別をめぐる議論において無敵になってしまい、議論が成り立たなくなる」ことである。それは二文目でほのめかされている。
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

なるほど。つまり、差別の告発者は、議論に勝ち抜いて、自らそれが差別であることを論証しなければ差別であると認められることさえない、と考えてよろしいのですね。本当にそれで、良いのですね? twitter.com/makoamd/status…

2017-08-28 19:58:09
  • 「議論に決まっているじゃないですか」のツイートの、内容ではなく短い一文である点に注目したい。一般に判定問題は簡単には答えの出ないものであって、そこで私見を詳しく述べれば攻撃される可能性が高い。Erinはとりあえず「議論で決まる」と言い(=不定的な結果にゆだねるものとして)、差別の基準の内実に立ち入らないように守った。
  • 議論の結果差別かどうかが決まるのだとしたら、当然ながら議論によって差別でないとされる可能性がある。差別と主張する側が議論に勝つかどうかは、内容が指定されていない以上一般論として五分五分であって、差別の認定を議論にゆだねたところで被差別者が「お前の言うものは差別ではない」と拒絶しさられる可能性はやはり存在する。それを認めるのかということを青識亜論が確認しにきた。
  • Erinは青識亜論の問いを無視し、相手の議論の態度の瑕疵を主張して話をそらしにかかる。「お前は私の言うことを勝手に敷衍した!」と。
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

差別表現かどうかを議論で裁定するということは、「差別表現であるという被差別者の告発は、議論に勝ち抜かなければ差別であると認められない」ということを必然的に要請するはずですが。議論抜きで告発できるなら、差別表現の境界線を議論で決定したことにならないでしょう。違いますか? twitter.com/makoamd/status…

2017-08-29 06:28:41
  • 青識亜論は「『議論で決めるなら議論に負けた場合はどうするん?』ていうんはすぐ思いつく話やん。ワシ何も話飛ばしてないで」と答える。
  • Erinは「差別かどうかはその場の展開で決まるのであって、特定の主体が権力をふるうものではない」と述べる。これは差別で議論かどうかを決めるなら必然的にそうである帰結であって、今青識亜論の問題にしているところの、議論で負ける被差別者については答えていない。「ここまで理解できます?」という一文は、相手が自分の言うことを分かっていないというレッテルばりである。
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

なるほど。「言ったもの勝ち」ではない、という主張は素晴らしいですね。つまり、被差別者の差別告発も「言ったもの勝ち」にしないために、厳重な検証が必要となるということですね。 twitter.com/makoamd/status…

2017-08-29 19:27:27
  • 今青識亜論は人の服が場合によって似合うか似合わないかという個別的な話には興味はない。「議論に負けた非差別者は差別されるままであるのが当然」などの、原理的な主張を引き出したい。「つまり~~ですね」の文は、まわりくどく言っているだけで、「『被差別者は議論においてつねに負ける可能性のある不利な立場におかれるものなのだ』っつーことでいいの?」と確認をくりかえしているにすぎない。
  • ErinもErinで被差別者の問題について答える気はないので、ふたたび相手の議論の態度の瑕疵を問題にして話をそらしにかかる。ここで、「さっきから人が聞いてんのにてめえは答えねえで傲慢とのたまうたあ、何だ? あ?」と半ギレになるほど青識亜論は気が短くはない。会話の争点を自分からずらすのは相手の思うツボと心得ている。とりあえず「ということですか?」とだけ書く。Erinはさらに「謝り方が悪い!」とツイートを加える。
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

何度動画を見ても、ルミネのCMと構造は同じだと思うのですが……。サーファーCMは、「ほっといてください」といいつつ、サーフィンをして体型を絞って自己変容をし、CM全体のメッセージとしてもそれを肯定したわけです。一方、ルミネのCMも女性は自らの意志で自己変容を果たしている。

2017-08-28 22:49:31
  • 上とは別のツイートからリプライがついてやりとりが行われる。「ルミネのCMとサーファーのCM」とは、一部のツイフェミがルミネのCMを差別的として罵ったのに、サーファーのCMは賞賛している、これは矛盾だとして、一ユーザーがアップした対比ツイートをさしている。
  • 青識亜論にとっては二つのCMは同じ図式を持っているようにしか見えないが、それだとツイフェミはダブルスタンダードであるということを認めるに等しい。そこでErinはCMの解釈を切断しにかかる。その切断は、「サーファーが痩せることはCMの趣旨ではなく、イケメンになれというメッセージはCMには含まれていない。一方でルミネのCMでは女に強迫観念を与えている。よって両者は異なる」というものである。また(失笑)、なーんも理解してないじゃんwと付け足しておくことは忘れない。このような「無知レッテル」は、相手が「そうなのか、私はまちがっているのか」とそのまま信じてくれればもうけもの、気にしなければ「自分の無知に気づかないバカ」とさらなるレッテルをはればいいだけで、言うほうには何らリスクはなく、非論理的な主張をする側が好んでこれを用いる。
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

脅迫? ルミネのCMでは、「疲れた顔をしたら殺す」とでも脅されたのですか? twitter.com/makoamd/status…

2017-08-29 06:23:03
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

問いの内容はシンプルです。CMのどこに「脅迫」があるんですか? 私の見た限り、「疲れた顔をしたら殺す」のようなメッセージはなかったように思いますが? twitter.com/makoamd/status…

2017-08-29 08:15:03
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

? 明言されていないどのようなメッセージが「脅迫」に当たるのですか? twitter.com/makoamd/status…

2017-08-29 19:28:01
  • ここでErinの切断的主張にどう応じるかだが、単純に考えれば、二つを分かつ要素が否定されればよい。(a)サーファーのCMのほうにも強迫観念が存在する (b)ルミネのCMには強迫観念は存在しない (c)サーファーのCMはイケメンになれというメッセージが確かに含まれている このどれかが成り立てば反駁できるであろう。しかしCMにどのような意図があるといううのは一概には言えない面がある。そこで青識亜論はErinの用いている強迫観念という語をつつくことにした。「私は強迫の要素はCMには存在しないと思います」を言い換えて、「疲れた顔をしたら殺すと脅されたのですか?」とした。これは強迫の定義を争点にしようという無知を装った問いかけである。たとえば「いえいえ、強迫というのはですね、女がきれいにならないと不利益を被ると思わせることであり、殺すとかそういうことでなくても、背後に制裁をちらつかせた一見あいまいなものまで含むのですよ」のように正直な答えかたをすると「でもそれってサーファーのほうに当てはまってないですか?」というリプライが来るようになっている。基本的に、議論では権威を持たない主体による定義はたたかれるもので、青識亜論はErinを「強迫」について定義させる側に回そうとしている。
  • だがErinもそれは読めている。「理解していないものを比較対象にしないほうがいいですよ」これは「お前はバカなんだからもう話すなw」という意味であり、わざと無知を装っている青識亜論を無知あつかいして煽っているだけで、話としては何も進んでいない。いわば強迫を定義する側に回らないように一手パスをした。
  • それを受けて青識亜論は強迫について語らせるようしつこくたずねる。青識亜論「おいお前強迫とかいう都合のいい概念でCM分けようとしてるけどさあ、その強迫って本当にあるのかよ?」。Erin「明言されたものとしか強迫と思わないなんてバカじゃねw」。青識亜論「じゃあ何が強迫なんだよちゃんと言ってみろよ」Erin「記事読んでたらわかるだろお前バカじゃねw」青識亜論「記事読んでも分かるかどうかなんて関係ねんだよ強迫ってなんだよしゃべれよ」
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

本当にそれが明らかに了解可能であるようなメッセージなのなら、それを書いている間にも示すことができそうなものですが……。これだけ簡単な問いに対して、頑なに回答を拒絶する理由がよくわかりませんね。 twitter.com/makoamd/status…

2017-08-29 20:03:00
  • そして最後に「不勉強論法」が来る。これは何かを問う相手に「お前は無知だから答えても理解できない、答える意味がない、だから俺は答えない」として、相手を無知とレッテルをはり、それによって何かに答えることを拒否するという無敵の対人攻撃のパターンである。不勉強論法は自分が問いに答える責任を取らず、相手をバカにして勝利感を味わうことのできる一粒で二度おいしいゆきかたで、これに対処する方法はない。「じゃあちょっと勉強してくるんで何勉強したらいいですか?」と聞くと、それ自体にも不勉強論法が適用でき、「お前はバカだから何を勉強したらいいかを教えても理解できないから教えない」と言うことができる。「~~について勉強してきたんでまた話しませんか?」と聞くと、これにも不勉強論法が適用でき、「お前の勉強してきた分ではダメだ」「どうしてですか?」「お前がバカだからそれを言ってもわからない」と言うことができる。無知は再帰的に無知でありうるために、無限に無知のレッテルをはることができ、レッテルが無限である以上無限に会話の拒否が可能になる。