「チンギス・カン」と「チンギス・ハーン」って、何が違うの?
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きっかけは「チンギス・カン」と「チンギス・カーン」って何が違うの、という話題から
@Historian_nomad にわか日本史学徒が軽率にモンゴルの話をしたら蒙古襲来を招いてしまいましたな…… 遊牧民アカ、モンゴル人的にはチンギス・ハンは本人がハーンを名乗ったか否かではなく「名誉ハーン」ということなのでしょうか?
2017-10-04 22:14:25@ransedoukoukai 私はカンとハーンをかき分けられるフレンズなのです、われわれは史学徒なので モンゴル人的にはそもそも日本でいう神武天皇とかそういうレベルですから……
2017-10-04 22:18:07そしてもんけさんの解説が始まる
説明しよう!|ω・) モンゴル帝国が健在の頃はチンギス・カン(cynkkys q'n/činggis qan)としか意呼ばれていなかったのだが、北元以降のいずれかの時期に「カアン(q'q'n/qaγan〜qa'an)」で呼ばれるようになり、
2017-10-04 22:38:31元朝秘史で「チンギス・カハン(成吉思合罕 činggis qahan)」、「アルタン・ハーン伝」「蒙古源流」等の16世紀以降の近世モンゴル語年代記では「チンギス・カアン(cynkkys q'q'n/činggis qaγan)」と呼ぶようになってしまったのだ!
2017-10-04 22:41:24加えて、モンゴル帝国が健在だった中期モンゴル語読みではcynkkys q'q'nは「チンギス・カアン」と呼ぶべきだが、中期語→近現代語では音韻が変化してq音が弱化しχ音に変化してしまったため、近現代モンゴル語では「チンギス・ハーン」と発音されるのだ!|ω・)
2017-10-04 22:46:51通常、(北元以降のモンゴルでは)「カン(qan)」は普通の「王様」程度だが、「カアン(qaγan)」は多数の「カン」を統べる「皇帝」(=モンゴル皇帝)の意味で解されているため、近世モンゴル語年代記等の「チンギス・カアン」表記の伝統もあいまって、
2017-10-04 22:53:07現代のモンゴル人にモンゴル帝国時代の呼称に基づいた「チンギス・カン(チンギス・ハン)」で呼ぶと、「はぁ!?チンギス・カアンがただの『カン(ハン)』だと!?訂正しろ!! チンギス・カアン(チンギス・ハーン)じゃろがい!!」とマジ切れされてしまうので注意なのだ!|ω・)>白石先生談
2017-10-04 22:56:41@kanedaichi1 杉なんとか先生はその杉なんとか先生節が災いして軽く見られ勝ちで端で聞いている分にはまた先生節を炸裂されておられるわいと気楽に出来ますが、実際その手の分野を3、40年も傾注しておられるので、先生の論説をきちんと批判しようとなると自らの学問力が逆に試される恐ろしい先生なのです!w
2017-10-05 22:20:43@kanedaichi1 加えて、自分も(自らの知見に照らすとどうかなと思う部分もままあるものの)モンゴル帝国に関しては基本的には杉なんとか先生のやっておられる事にそこまで違いがある訳でもなく「チンギス・カン」呼称問題についても先生も某白石先生も違いがあるとも聞かれないのでよくよく注意を要するのですw
2017-10-05 22:28:55@mongkeke_tarikh 杉先生は「カンはただの王、チンギスは皇帝なのでカアンじゃないと間違い」と言っていた記憶が
2017-10-05 22:32:14@kanedaichi1 ああ、それは自分の記憶とちょっと違ってますねぇ…>チンギスは 自分の記憶だと「オゴデイがカアンと名乗り出したのは『カン』はただの王様の意味で、「皇帝」の意味合いで鮮卑・拓跋・突厥の王号だった『カガン』を復活させた」って仰ってたと思います(^^;>遊牧民から見た〜とかで
2017-10-05 22:37:46@kanedaichi1 これは世界征服者史とか集史とかに書かれている話しですけど、西遼・カラキタイの王号はグル・カンで、1206年に名乗った「チンギス・カン」という呼称は、この「グル・カン」や金朝の「アルタン・カン」を凌ぐ意味合いを持った尊号だったと述べてまして、恐らくそれに関係しそうな気がしますねぇ…
2017-10-05 22:42:53@mongkeke_tarikh 「チンギス」と「カン」というのがセットで一つの君主号だったということですか? そしてもしかしてそれを子孫に継がせるつもりだったとか
2017-10-05 22:47:15@kanedaichi1 そうです。「チンギス・カン」で一つの称号として名乗ったものというのが近年のモンゴル帝国史研究では有力な説になってます。ただ、チンギスカン時代は「イェケ・モンゴル・ウルス」の宗主の君主号は固定しておらず、次代のオゴデイは"自らの固有の称号"として「カアン」を名乗ったのではと。
2017-10-05 22:55:22@kanedaichi1 オゴデイを継いだグユクは、プラノカルピニに託したローマ教皇宛国書(ペルシア語文)で自らを「カン(خان khān)」としか名乗っておらず、祖父チンギスと父オゴデイは「チンギス・カンとカアン(جنكز خان و قاان Jinkiz Khān wa Qāān)」と呼んでいます。
2017-10-05 23:01:22@kanedaichi1 世界征服者史や集史等のモンゴル帝国側のペルシア語資料ではチンギスは「チンギス・カン」ですし、オゴデイは「オゴデイ・カアン」と呼ばれ、グユクは「カン」の方で呼ばれていますが、モンケは「モンケ・カアン」と呼ばれています。
2017-10-05 23:24:58@kanedaichi1 クビライもまた「クビライ・カアン」と呼ばれているようですので、恐らく、モンケとクビライの時代に「イェケ・モンゴルウ・ウルス」宗主の相伝の君主号として、オゴデイが用いていた「カアン」が採用されたのではない?というのが現在有力視されている推測です。
2017-10-05 23:28:35@kanedaichi1 何故「有力視」とか「推測」とかいう言い方をしているかというと、「チンギス・カン」「(オゴデイ・)カアン」「(グユク・)カン」「モンケ・カアン」「クビライ・カアン」という(はっきりした)称号の変化について、現存資料ではその理由を何ら説明していないからです。
2017-10-05 23:33:00@kanedaichi1 恐らく、チンギス・カンの即位からクビライ王朝の成立までの様々な政治的な変動とも関わる問題だったので、これらの資料中では込み入った内容は余り書かれなかったのでは、というのが杉先生等の推測ですが、これも歴史研究上の難問のひとつでもあります。
2017-10-05 23:37:17@kanedaichi1 >何らかの条件を満たしていなかった 条件を満たすの満たさないのどころの話しではなくw、元々グユクはオゴデイの生前に後継者と看做されていなかったにも関わらず、オゴデイ崩御後に無理に無茶を重ねて第三代モンゴル皇帝を継いだ人物でしたw
2017-10-06 21:45:02