「チンギス・カン」と「チンギス・ハーン」って、何が違うの?

「チンギス・カン」「チンギス・ハーン」「チンギス・カーン」時代によって教科書でも記述の違うモンゴル帝国の初代皇帝の呼称について
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もんけ(歴史)مونککاکا _تاريخ ꡏꡡꡃ ꡁꡁ ꡈ ꡝ ꡘꡨꡣ @mongkeke_tarikh

@kanedaichi1 「自分は皇帝たりえる資格はないけれど、王侯達の推挙で致し方なく即位するのだ…」というのが即位式での定番のやり取りとなるのですが、グユクは「『今後、皇帝位は私の子孫の上に定められる』という条件ならば、御身等の要望通り即位しよう」という父オゴデイの即位の時と同じ定型表現を使いました。

2017-10-07 00:18:13
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@kanedaichi1 その後、モンゴル王族の即位式での「モチェルゲ」の提出は慣例化するようですが、本来、即位に際してなんら瑕疵が無ければ「誓約書」など要らないはずです。それが形式とはいえ必要とされたのは、それだけ即位の正統性に難があった証拠なのかも知れません。

2017-10-07 00:25:39
きんだいち @kanedaichi1

@mongkeke_tarikh もしかしてカガンの流れをくむのはカアンだけで、カンはカガンとは関係無いのですか?

2017-10-05 22:42:59
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@kanedaichi1 モンゴル帝国時代に関して言えば、カアン>>カンの関係で合ってます。 ただ、「カアン(qaγan)」と「カン(qan)」の弁別がいつぐらいに始まったのか90年代くらいから実は議論がされてまして、最近では鮮卑・柔然の頃から既に弁別がされてたんじゃないか、って推測がされているようです。

2017-10-05 22:47:01
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@kanedaichi1 この北魏くらいから「カガン(可寒)」>>「カン(寒?)」という呼称の弁別があったんじゃないか説は、2000年以降に杉先生が執筆された著書でも数回触れられていたやに記憶してますので、こちらも当該著書を見返さないと何ともですね(^^;

2017-10-05 22:50:52
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@kanedaichi1 特にグユクの即位に奔走した皇后ドレゲネについて集史では「彼女はチンギスカンの遺訓を尊重せず、(チンギス・カン家)宗族の言葉を聞かず、チンギスカンの御一門のうちに混乱を引き起こした」と言葉を極めて憎悪されています。「チンギスカンの遺訓を尊重しない」との言は謀反に近い意味がありました

2017-10-07 00:32:58
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@kanedaichi1 グユクは僅か2、3年程で終わり、代わりにバトゥの盟友でもあったトルイ家当主モンケが第4代皇帝となる訳ですが、その直後にモンゴル王侯の大粛正が始まる事になります。集史は詳細までは触れぬものの、その影響は極めて甚大だったようです。ドレゲネが蛇蝎の如く言われる理由も恐らくここにあります

2017-10-07 00:44:17
きんだいち @kanedaichi1

@mongkeke_tarikh アルタンって後世にもいたような

2017-10-05 22:58:36
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@kanedaichi1 通例、金朝皇帝は元朝秘史では「キタドの民のアルタン・カン(Kitat irgen-ü Altan Qan:巻四 第133段)」等、集史でも「ヒタイの帝王、アルタン・カン(Altān Khān Pādshāh-i Khitāī:チンギスカン紀后妃表他)」という言い方をしており、

2017-10-05 23:12:18
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@kanedaichi1 モンゴル帝国時代前後では”(「契丹」に由来する)「キタイ」「キタド」を冠した「アルタン・カン」"という言い方で「金朝皇帝」を表していたようです。

2017-10-05 23:15:28
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@kanedaichi1 一方、吉田順一先生が完訳された「『アルタン=ハーン伝』訳注」のアルタン・ハーン(Altan Qaγan, 1507 - 1582)はチンギス・カン時代からおよそ三百年後に生きた(チンギス・カン家の)クビライ裔のモンゴル王侯であり、金朝とは直接は関係ありません。

2017-10-05 23:20:35
きんだいち @kanedaichi1

@mongkeke_tarikh ところで、明の太祖も自分をチンギスカンの後継者と考えていたのでしょうか? 「元」という文字が入っているというのは

2017-10-06 22:50:57
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@kanedaichi1 朱元璋が自身をどこまでモンゴル帝国と引き比べていたのか、正直謎ではありますが、永楽帝以降の明朝ははっきりと対外的にモンゴル帝国の後継政権として意識していたようです。明朝時代に対外使節との交渉部門として「四夷館」という官署が置かれました。

2017-10-07 00:55:39
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@kanedaichi1 北元のモンゴル王侯には韃靼館、東部の女直諸部族とは女直館、西方のイラン・イスラーム系の諸勢力とは回回館…といった具合に。それぞれの通訳官用の資料として「○○館訳語」という対照語彙集が編纂されていますが、うち、ペルシア語と漢語の対象語彙集に「回回館訳語」というものがります。

2017-10-07 00:59:17
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@kanedaichi1 この「回回館訳語」については故本田実信先生が論文を出されていますが、この「回回館訳語」の明朝皇帝からの文書案中に「大明皇帝」のペルシア語訳語として دايمينك خان Dāīmīng Khānと自ら称しています。

2017-10-07 01:04:53
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@kanedaichi1 ペルシア語歴史書では、サーサーン朝、ソグド時代から中国皇帝の事を「天子」=「神の子」に由来する Faghfūrや、「チーンとマーチーンの帝王(パードシャー)」的な言い方が伝統的にあったのですが、それをわざわざ「ダイミン・カン」と名乗っているのです。

2017-10-07 01:08:58
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@kanedaichi1 クビライが定めた「大元」という語彙は易経の「大いなるかな乾元」というモンゴルが本来持っていた「フジャウル」概念に近いものを漢籍に求めた呼称で、「大元」で一個の概念でした。「大明」とはそれを形ばかり借りて取り繕ったような雰囲気の呼称、とは元明時代を専攻する先生方の所感でもありますw

2017-10-07 01:27:25
もんけ(歴史)مونککاکا _تاريخ ꡏꡡꡃ ꡁꡁ ꡈ ꡝ ꡘꡨꡣ @mongkeke_tarikh

@kanedaichi1 ただ、この「ダイ○○(大○)」という呼称の連続は清朝時代に王朝の呼称として由緒あるものと看做されるようになっていたようで、ヌルハチは自らの先行する諸王朝として、「ダイリウ(大遼)、ダイオン(大元)、ダイミン(大明)の歴史を調べよ」と命じていたそうで、

2017-10-07 01:31:44
もんけ(歴史)مونککاکا _تاريخ ꡏꡡꡃ ꡁꡁ ꡈ ꡝ ꡘꡨꡣ @mongkeke_tarikh

@kanedaichi1 「ダイチン(大清)・グルン」という清朝の正式名称は、先行するこれら三王朝の正統な後継者たることを前提に命名されたものだ、とヌルハチ由来の現行として初期の満州語史料に出て来るそうです。>ここら辺は清朝クラスタの方々が詳しいです(^^;

2017-10-07 01:34:15
きんだいち @kanedaichi1

@mongkeke_tarikh 遼、金、元、明、清は一つのグループにできそうな感じですかね

2017-10-07 13:59:28
もんけ(歴史)مونککاکا _تاريخ ꡏꡡꡃ ꡁꡁ ꡈ ꡝ ꡘꡨꡣ @mongkeke_tarikh

@kanedaichi1 契丹は大遼、女真は大金と国号をそれぞれ建てていますが、クビライの大元のみ古典漢籍での玄義を含ませた呼称で、ダイチン・グルンも大遼以来の呼称の伝統と女真の先行王朝・大金を意識したものになっています。そこら辺の相違は注意すべきやも知れません。

2017-10-07 14:17:27