異世界小話~異世界に召喚されたらなにもしてないのに異世界がこわれた話・上編~

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帽子男 異世界小話 異世界
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帽子男 @alkali_acid
異世界に召喚されたらなにもしてないのに異世界がこわれた話
帽子男 @alkali_acid
がれきの山に、魔王は舞い降りた。 つい先日まで絢爛たる歌舞と音曲、色事の綾が繰り広げられた劇場の跡。壊れ毀(こぼ)れるのは一瞬だった。 新鮮な血の匂いがする。落ちた天井や柱に押しつぶされて死んだ人間や、それ以外のものが立ち昇らせるなまぐさい匂い。
帽子男 @alkali_acid
だれかがすすり泣いている。 若者のような、老人のような、奇妙な声。 魔王が獅子の四つ足で近づくと、うずくまって泣いているのは一分の隙もない身なりをした長身痩躯の青年だった。彫りの深い容貌には、この世で最も濃い絶望をただよわせている。 「どうしたの…?」
帽子男 @alkali_acid
男とも女とも、少年とも少女ともつかない声で、魔王は尋ねる。 「…すべては終わりだ…」 うなだれた人物はかえりみずに応えた。吟遊詩人のようにほっそりした指はがれきの山から出た手を握っている。ぽっちゃりした中年の女の掌を。 「おわり?すべて?」 「この街も…この国も…世界も終わりだ」
帽子男 @alkali_acid
青年は泣き笑いながら、無惨に破れた劇場の天蓋をあおいだ。 「ああ…赤胴様が死んだのだ」
帽子男 @alkali_acid
うつむいていた正装の男が、たいぎそうに首を巡らせた。古代の神像のごとく整った相貌には、幾筋も涙のあとがついているのが分かる。 「お前は…魔王か」 問いには、しかし恐れはこもっていない。 獅子の胴、蝙蝠の翼、蛇の尾、そして人の頭を持つ魔物は、否みも認めもせずただ無邪気な視線を返す。
帽子男 @alkali_acid
青年は、若々しい容姿にもかかわらず、ひどく老いぼれたようなのろのろした動きで、異形に向かい合った。瓦礫に埋もれた女のむくろを、かばうかのような恰好で。 「いいや、違うな。私は知っているぞ…お前は男娼だ。私と同じ、ここ色町の男娼だった…裏の遊びで一番人気の…」
帽子男 @alkali_acid
魔王、男娼どう呼ぼうと獣は意に介さないようすだった。ただじっとゆるがぬ瞳を、死んだ女に付き添う生きた男にそそいでいる。 「お前は…丈夫だった…色町の…どんな調教にも、拷問にも耐えた…薬…回復膏や蘇生液をいくら使っても、ほかと違い…魔物のようにはならなかった…」
帽子男 @alkali_acid
青年はまたがっくり肩を落とすと、落ちた天井の下敷きになったむくろの、ふくよかな手をさすった。 「結局は、お前も人間ではなくなったのか…そして復讐に来たと…残念だったな…色町の顔役、赤胴様はすでにない…このような死にざまでは、回復膏も、蘇生液も…」
帽子男 @alkali_acid
「効かない」 魔王が語句を補うと、男は顔を上げて、きっとにらみつけた。 「何が分かる。龍の血から作る最高の蘇生液があれば…いや…そんなものは白金紋章の冒険者すら手に入れられまい…」 「そんなに、その人がたいせつだったの?」 獣の問いに、玲瓏の面差しはまた苦痛にゆがむ。 「ああ」
帽子男 @alkali_acid
「そう」 「ふふ。私はなぜ、お前などと話をしてるのだろうな…」 「とても、悲しいから」 「そうだ…そうだ…その通りだ。すべておしまいだ。いっそ吐き出してしまおう…魔王、なんじに」 芝居がかった台詞だった。俳優のごとくふるまうことで、何かから逃れようとしているようだった。
帽子男 @alkali_acid
「赤胴様は、色町、いやこの街…この国…この世界を救えたかもしれぬお方だ」 「そうなんだ」 「赤胴様は、街の異変を察知し、人々を逃がす策を立てられた。、たぐいまれな頭脳で計算をこなし、持てる富と力のすべてを費やしてな…だが…ご自身が…このような形で…」 「ふうん」
帽子男 @alkali_acid
魔王はのんびり相槌を打った。語り手は憤りもせず台詞を朗唱していく。楽しそうですらあった。だが冷たくなった手を握る、まだ暖かい手は小刻みに震えていた。 「赤胴様は、魔物がとめどもなく湧き出す禍を恐れていた。だが襲って来たのは…大地の揺れ…街そのものを覆すような」
帽子男 @alkali_acid
「ただしい」 耳を傾けていた獣は、やっと意味のある返事をする。 「正しい、とはどういう意味だ?」 「あかどうさま、の考えは正しい。魔物は湧きだす。これから。もうあまり時間はない」 「はは…ならば、なおさらおしまいだ!大地の揺れでそこかしこは崩れ、人々は家屋敷に潰され…そこに…」
帽子男 @alkali_acid
「うん」 「ああ、あの方の叡智をもって編まれた緻密な計画もすべて…水泡に帰すとは…」 「あかどうさまは、ただしいけど、かしこくは、ない」 魔王は口を挟む。男は立ち上がる。 「なぜ死せる御方を侮辱する…私のような男娼には、この方の誉を守るだけの力もないと思うのか」 「そうだね」
帽子男 @alkali_acid
獣は踏み出した。切れ長の双眸がはじめて獰猛なきらめきを発する。おとがいが耳まで裂け、肉食の本性をあらわにした。 「ほんとうに、かしこければ、じぶんが死んでも、計画をとどこおりなく、すすめられるようにする。たったひとりで、すべてをこなしはしない」
帽子男 @alkali_acid
「だまれ!あのお方はちゃんと手を打った!」 青年は激昂した。だが、しばしば劇場で人気をよぶ演目にある、嘆きの騎士か苦悩の王子の配役に、恍惚として浸っているかのようでもあった。 「赤胴様は!みずからに何かあったときに備えて、商工組合や参事会、傭兵衆や一揆衆、海賊衆に根回しをした」
帽子男 @alkali_acid
獣は素直に感心したようすだ。 「へえ」 役者は勝ち誇って笑う。 「街のほかのどこでも、あのお方の策はまだ生きている…まだ」 「ここは?」 少年とも少女ともつかない声が、また柔らかく、しかし鋭く訊く。
帽子男 @alkali_acid
「色町は…そう…ここは…」 「あかどうさまは、いろまちの、かおやく。なら、ここが、計画のかなめ。それを手薄にしたんだから、やっぱり、かしこくない」 「ちがう…」 「だれも、あかどうさまの残した、策を、はたせるものがいない?だったら、ひとをみるめが、ない」
帽子男 @alkali_acid
「ちがう!赤胴様は、常に適材適所に人を配してきた…緑踵も、黒肩も…皆…」 「あなたは?」 「私は…」 「あなたは、ないているだけ。やっぱり、あかどうさまは、まちがえた。ほんとうに、かしこければ、そばには、もっともすぐれたものを、おく」 「…っ私は」 「ねえ」
帽子男 @alkali_acid
魔王はまたばきすると、びろうどのような足の裏で埃と屑だらけの絨毯を進み、青年のそばへ寄った。 「おまえは、長生きをしたね。薬の力で。だけど、子供のままだ。僕と同じだ。外をごらん。まだお前の仲間がずいぶん生きている。指図を待っている。みんな子供だ」 「…皆、赤胴様を待っている…」
帽子男 @alkali_acid
「だが、あかどうさまはもういない…残っているのは、立てた計画だけ。つぐものがいなければ、すべてはついえる」 「…私は…私には」 「そのとき、あかどうさまは、ほんとうに、死ぬ」 「ぐうう…」 「僕は、いくよ。時間がない…今日はほかにも、よらなきゃいけないところがあるからね」
帽子男 @alkali_acid
蝙蝠の翼がはばたく。鱗をきらめかせながら尾がくねる。 魔王が飛び立ったあと、青年はまたくずおれ、拳をにぎりかためた。絶望の芝居。何度も演じてきた。今もそうしている。奴隷として、男娼として、心は年老い、体だけは薬によって若々しいまま。 「私は…赤胴様…私は…」
帽子男 @alkali_acid
それから外に駆け出す。ほかの俳優にして男娼たる同輩がいずれもそっくりな悲哀の演技をしている。 「諸君!赤胴一座の最後の舞台だ!計画通りにやるとしよう」 たちまち幕が上がった。
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