人類学・社会学・全体社会?
- contractio
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珍しく同意。 “@Ichy_Numa: 緊急出版ばやりだけれど、人が本当に語れるようになるまで待つってことも、大事だと思うなあ。”
2011-04-10 02:17:29@contractio 鮮やかなまとめをありがとうございます。その通りだと思います。社会理論に関しても、「社会理論は『社会全体』について論じているか。そのようなものとしてアクチュアルに存在するか」という問いを立てなければならないのはわかっていましたが、オミットしました。→
2011-04-10 10:03:24@contractio (→)主な理由は、自分でこの広範な領域をカバーできる気がまったくなかったからですが、もうひとつに、盛んに研究がおこなわれているにしても、社会理論は社会学をリードする存在たりえていないのではないか、という自分なりの実感があったことも事実です。
2011-04-10 10:11:21@contractio 「社会学は全体としての社会を対象とする学問ではない」というのがスタートであることは(@PONQさんとの議論で出てきたのではないのですが)、まさにそのとおりです。→
2011-04-10 10:14:20@contractio というよりも、もっと早い時期につぶやいた「社会学は、社会工学ではない」というのが出発点でした。ここで「工学」というのは勿論比喩で、実際にsocial-engineeringという専門分野や用語がそれぞれ違う意味で存在していることは承知していますが、→
2011-04-10 10:19:33→「社会を予測・制御すること」という意味の比喩として「社会工学」という用語を使っています。「社会学はそれをしようとしない・できない」というのが、僕の言いたかったことの一つで、その背後にはもちろん震災という状況へのコミットの問題があります。→
2011-04-10 10:24:35→この文脈で、中範囲理論による批判っぽいものを持ち出したのは、もちろん僕のミスです。ただ、あえて言うならば(中範囲≒システムと大雑把に仮定して)「メタ・システム論」としての全体社会の理論は実用化されていないのではないか、という想定が自分のどこかにはあったと思います。
2011-04-10 10:32:59ポパーのいう「ピース ミール・エンジニアリング」はいかがでしょう。 “@lematin: →「社会を予測・制御すること」という意味の比喩として「社会工学」という用語を使っています。*
2011-04-10 12:31:13@contractio その質問は鋭いですね。全体としてはやっぱり「ノー」に近いかな、と思います。「社会学的知見を参考に漸進的な改善が行われる」のは大賛成ですが、研究者がコミットすることには疑問を持ちます。
2011-04-10 13:41:38すでに書いたように 私は、「社会学は全体としての社会を対象とする学問ではない」なる主張が、lematinさんにとって、いつ・何故「語るに値する事」になったのかが気になっております。 “@lematin: *(@PONQさんとの議論で出てきたのではないのですが)*
2011-04-10 12:35:53@contractio @PONQ 震災がらみの議論、特に「社会学は提言とかしなくていいの?」的な他分野からの呼びかけ、でしょうか。QT いつ・何故「語るに値する事」になったのか
2011-04-10 13:45:01あんときは社会学と人類学を比較する、っていう話にまでは言ってなかったですからね そういう話をするんであれば、 @lematin @contractio
2011-04-10 17:25:38自分の実感でいうと、今の人類学の一部には「全体的社会的事実」という指針を、モナド論的(部分のなかに畳み込まれた全体をみる)ないしネットワーク論的(ある部分がつねに他の未規定な部分と繋がってることをみる)に解釈して敷衍する流れがある。@lematin @contractio
2011-04-10 17:33:48で、そういった発想が@lematinさんのような社会学のかたにどう見えるのかには興味あったんで、その例として一応両ジャンルに跨ってるANTをなんとなく持ち出した感じですかね。@contractio
2011-04-10 17:38:29@contractio なので社会学でも人類学でも「一つの社会を一つの全体として分析する」という指針は維持できず、変容してきたけど、その変容の仕方が色々違うのかな、と。@lematinの一連のtweetを読みながらそう思いましたね。
2011-04-10 17:48:18@ponQ とすると、その部分を敷衍していただくのがよろしいのかな、と思われるところです。<「モナド論的(部分のなかに畳み込まれた全体をみる)ないしネットワーク論的(ある部分がつねに他の未規定な部分と繋がってることをみる)」 @lematin
2011-04-10 17:49:38いまいち問いがわからない。「その部分」てどの部分?あと「よろしいのかな」とか言われても微妙なんで訊きたいなら訊きたいと言ってくらさい RT @contractio @ponQ とすると、その部分を敷衍していただくのがよろしいのかな、と思われるところです。 @lematin
2011-04-10 18:03:20@ponQ ちなみに、そうしたものを「モナド」とか「ネットワーク」とか名ざせてしまうのであれば、そこから「いわゆるシステム論」への距離はほとんど無いように思われるのですが、 @lematin
2011-04-10 17:51:33@ponQ そのことと、人類学において「システム論的」という言葉が罵倒表現(?)的に用いられることとの関係はどうなっているのでしょうか。 @lematin
2011-04-10 17:53:20たぶん前回のやりとりの俺の発言にもでてたかと思うんですが、人類学でシステム論ていうと、実践を規定する超越論的な審級を想定するもの、というイメージが強いからかなー RT @contractio @ponQ そのことと、人類学において「システム論的」という言葉が @lematin
2011-04-10 18:09:14システム論の実質は別にして、システムというと「部分からなる全体」というイメージになるから、全体をあらかじめ認めない両者の立場のひとはシステム論とは違う、と思うんでは? RT @contractio @ponQ ちなみに、そうしたものを「モナド」とか// @lematin
2011-04-10 18:17:32このへんの理屈がよくわからないのですが、私の教養の問題かもしれないので とりあえず脇へ置いておきます。 RT @ponq: *、全体をあらかじめ認めない両者の立場のひとはシステム論とは違う、と思うんでは? @lematin
2011-04-10 18:36:20ひょっとして、ツイートのリンク関係は見てないですか? http://twitter.com/#!/contractio/status/57002284571299840 RT @ponq: いまいち問いがわからない。* @lematin
2011-04-10 18:37:42@ponq 「その部分」は、文末に明示的に引用した箇所です。再掲すると: 「モナド論的(部分のなかに畳み込まれた全体をみる)ないしネットワーク論的(ある部分がつねに他の未規定な部分と繋がってることをみる)」 http://ow.ly/4wX9J @lematin
2011-04-10 18:39:25「条件法」的な表現のつもりで使いました。 RT @ponq: * あと「よろしいのかな」とか言われても微妙なんで訊きたいなら訊きたいと言ってくらさい * @lematin
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