人類学・社会学・全体社会?

http://togetter.com/li/120354 の続き。 @lematin さんと @ponQ さんのやり取りへのコメント。 続きはこちら:http://togetter.com/li/122732
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縮限 @contractio

@ponq (私が「訊きたい」かどうかではなくて)、「Aについて論じたいのであれば、Bについて論じればよろしいのでは(〜論じることが必要なのでは)ないですか」ということです。 @lematin

2011-04-10 18:41:37
久保明教 @ponQ

wwまー議論の手続きとしてはわかるけど、話してた相手の@lematinさんに聞かれてもないし、Twitterでそこまでやる気は俺はない。相手に興味があって訊かれれば答えます RT @contractio @ponq (私が「訊きたい」かどうかではなくて)@lematin

2011-04-10 19:38:16
縮限 @contractio

私としても、それで問題ありません。 RT @ponq: wwまー議論の手続きとしてはわかるけど、話してた相手の@lematinさんに聞かれてもないし、Twitterでそこまでやる気は俺はない。相手に興味があって訊かれれば答えます *

2011-04-10 20:15:55
縮限 @contractio

【災害と専門性について】 「その背後にはもちろん震災という状況へのコミットの問題があります」 http://togetter.com/li/122082#tweet_id_4987611_56890285673811968 これについて二つコメントします:

2011-04-10 20:16:51
縮限 @contractio

一点目。「社会学者は特定の・狭いフィールドやテーマを持って研究をしている」という──常識的に考えて正しい──主張から出発するのであれば、例えば「震災という状況に際しても、それぞれ研究者は、各自のフィールドやテーマに関わる限りで、他人の参考になる知見を提供できるだろう」というような

2011-04-10 20:17:23
縮限 @contractio

──(lematin さんが これに賛成するかどうかは別として)穏当かつ常識的な──方向へと進んでもおかしくないような気はするのですが。にもかかわらず、ここでなぜ「全体社会」(や「社会工学」)のようなものが召還されるのか。

2011-04-10 20:17:26
縮限 @contractio

二点目。こちらはただのネタ提供でありますが。

2011-04-10 20:17:38
縮限 @contractio

「特殊な事件(ex.大きな災害)についての研究」と「平時についての研究」の関係については、「「ふつうどのようになっているか」が分からないと、異常時のことはわからない」という見解がありますよね。

2011-04-10 20:30:13
縮限 @contractio

※ご参考:http://t.co/Z4DM6JP#perrow (←この変節がペローのものであることが、この見解の重要性を示しているように私には思われます。)

2011-04-10 20:18:38
縮限 @contractio

これは「社会が崩壊に瀕する過程を分析することでその成立条件を探るという視点」とは反対の主張のように見えます。 http://togetter.com/li/120354#tweet_id_19107458_53115571524472833 これらの比較は面白いかもしれません。

2011-04-10 20:19:33
縮限 @contractio

【「社会理論」について】 「社会理論は社会学をリードする存在たりえていないのではないか」 http://togetter.com/li/122082#tweet_id_4987611_56886953152491521

2011-04-10 20:20:07
縮限 @contractio

「「全体社会」も、社会学の特殊な研究領域(社会理論)である」という見解を認めれば、それが「社会学をリードしていない」ことは──他の様々な研究領域がそうであるのと同様であるので──特に「なにごとでもない」ことになりそうに思うのですが、どうでしょうか。

2011-04-10 20:20:15
縮限 @contractio

ところでまた/しかし、そう考えることを妨げているのは、「全体社会の研究は、その部分に関する研究を継ぎ合わせて得られるものである」というヴィジョンのほうではないでしょうか。

2011-04-10 20:20:32
縮限 @contractio

二点目。これは目下のお二人のやり取りからは、脇道の話題になるかもしれませんが。ここで、「社会学には社会理論の従事者が存在する」とだけ言って──この点についてはすでに同意を戴いているので、よいような気もしますが──例を挙げないと話をしにくいので、二つの観点から、例を挙げておきます。

2011-04-10 20:20:53
縮限 @contractio

前世紀の社会学でいうと、中盤だと「近代化論」が、後半だと「リスク社会論」などが目につきます。こういうのが、まずは「社会理論」の例になりましょう。

2011-04-10 20:21:05
縮限 @contractio

他方、社会理論については、「思想史」的な観点からも考えることができます。たとえば次のような構想がありえます:

2011-04-10 20:21:26
縮限 @contractio

「人間が織りなす秩序というものは、どのようなものなのか」という問いに対して、伝統的には、「ポリス的(=政治的)なものである」(ex.アリストテレス)とか「法的・規範的・道徳的なものである」とか「経済的なものである」(ex.マルクス)とか「宗教的なものである」とか(以下略)、

2011-04-10 20:21:45
縮限 @contractio

などなど様々な解答のバリエーションがありました。 これらをライバルに見立てた上で、「社会秩序というものは、上記のような仕方で、どれかを優位に立てて論じることができるようなものではない」という主張をなすものです。[私はここで、具体的にはルーマンの見解のことを念頭に置いています。]

2011-04-10 20:21:56
縮限 @contractio

この「Q1:社会秩序とはどのようなものなのか」という問いは、しばしば併せて「Q2:「全体社会」とは、実際のところ何を指すのか」という問いを惹起し──て、様々な論者を悩ませ──もしたわけですが、

2011-04-10 20:22:35
縮限 @contractio

【Q1】の問いのほうの思想史的な身分そのものは、それなりに判明なものであるように思われます。

2011-04-10 20:22:38
縮限 @contractio

それはさておき、このような実用的ではないテーマに取り組んでいる研究が、実用的な含意を持っていないことは、まったく驚くべきことではないだろう、とまでは思うのでした。

2011-04-10 20:22:54
縮限 @contractio

それは「実用化されていない」のでは「ない」のではないでしょうか。 http://togetter.com/li/122082#tweet_id_4987611_56892400454471680

2011-04-10 20:22:59
縮限 @contractio

「「全体社会」も、社会学の特殊な研究領域(社会理論)である」っておかしいな。 「「全体社会」も、社会学の特殊な研究対象・テーマである」だ。

2011-04-10 22:15:13
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