人類学・社会学・全体社会?
- contractio
- 6141
- 0
- 8
- 1
が、──もしも「人類学と社会学の比較」というこのトピックを続けるのであるならば──まずは そのあたりを、お二人で確認してみていただいてもよろしいようには思います。
2011-04-10 01:14:16[sociology][anthropology][res] これが「人類学と社会学の対比」に見えてしまうのが気持ち悪かったので、こちらにコメントを書きました→:http://htn.to/AuNFU4 / Togetter - 「人類… http://htn.to/D8pAfy
2011-04-10 01:29:45@contractio いやあ、私は日本とアメリカくらいしか知らないが、「全体的社会事実」を追い求める人類学者など、もはやいないと思いますよ。もしかしたら、建前だけは、いまでも“holistic”と言うかもしれないけれど。
2011-04-10 01:30:20人類学者も、もはや“holistic”な理解を本気で可能と思う人は少ないだろう。しかし、傾向として、他の人文社会科学が「原因」究明好きなのに対して、人類学は“ramifications”を追いかけるのがl好きなのだと思う。ほら、こんなとこまで、あれが影響してるよ、みたいなw。
2011-04-10 01:32:40そんなことは問題になっておりません。 RT @ichy_numa:いやあ、私は日本とアメリカくらいしか知らないが、「全体的社会事実」を追い求める人類学者など、もはやいないと思いますよ。もしかしたら、建前だけは、いまでも“holistic”と言うかもしれないけれど。
2011-04-10 01:37:22@ichy_numa 問題は、「全体的社会的事実」は、なぜ・どういう意味で「全体的」と呼ばれているのか、ということのほうであります。
2011-04-10 01:38:50@contractio そういうことは、今の人類学では忘れられております。昔々、アメリカで院生してた頃、そのことについて短いペーパー欠いたことあるんだけど、もう忘れちゃった。地震でひっくり返ったファイル探せば出てくるかなあ。
2011-04-10 01:40:46@ichy_numa こういう話題は、「研究者たちは、どのような何を 見ていることになるのか」という論題に関わることなので、一つの言葉──たとえば「全体的社会的事実」──が捨てられるか否かに関わらず、研究にずっと付きまとう事柄でありましょう。
2011-04-10 01:52:48ないですよ(わたくしデザイナーですもの)。 “@Ichy_Numa: 古いことにこだわり続けると、「学説史屋」扱いされちゃったりしない?”
2011-04-10 02:06:11@contractio お二人のやりとりを詳しく見ておりませんので何ですが、今回の被災地の被害のスケールが大きすぎて、人類学者や社会学者ごときがちょっと考えても無意味だろう的な絶望感に襲われております。さしあたり今の私にできることは、研究室の再起動くらいで。
2011-04-10 02:11:06