東日本と丹後・但馬・備前の養蚕信仰の残照を辿って~養蚕守護の神仏と護符・御札~
2014~15年:この頃は各地の神社仏閣の御札・護符全般を蒐集対象としていた時期で、特段に養蚕の護符を意識していた訳ではないものの、結果として関連する内容の物を入手していました。
昨日に引き続き、今晩は昨年5月6日に参拝した山梨県内の猫&狼の御札関連画像など。まずは午前中に訪れた西桂町の山祇神社。当日は晴天で富士山が殊の外美しかったです。なお、祭礼は前日でしたが、宮司様にお願いして御札を取り置きして戴きました。 pic.twitter.com/Q6di54Gt9M
2014-09-04 22:07:38昨年の5月4日に埼玉県・小川町の笠山神社に、おネコさんの御札をいただきに行った時の写真など。なお、祭礼は前日でしたが氏子さんにお取り置きをお願い致していました。また、笠山神社自体は山頂に鎮座していますが、この時は下社のみの参拝でした。 pic.twitter.com/N1srKqp8PC
2014-09-08 20:55:16遅くなりましたが昨日の皆野・寄居の巡拝写真をUPしていきます。まずは皆野町・谷草(やくさ)地区に鎮座する大日神社。本来は更に奥の大日山にあったそうですが参拝の困難を解消するため昭和初期に現地に遷座との事。神灯料を納めて猫の御札を拝受。 pic.twitter.com/jyxrSQIf5t
2015-05-06 22:36:02注:蚕の天敵である鼠を退治する猫は、養蚕農家に於いては重要なパートナーでもありましたが、諸般の事情により猫が飼えない家では、猫の姿を摺った鼠除けの護符を蚕室に貼るなどしていました。
なお、当まとめ内には掲載していませんが、同様の理由から蛇を養蚕の守護として、その姿を摺った御札を用いる地域もありました。
上州・新田郡(現:群馬県・太田市)の領主であった岩松(新田)氏(120石)の18~21代目の当主が、窮乏する家計の足しに4代に亘り描き継ぎ、養蚕のための護符として領民はもとより近国の養蚕農家が競って買い求めたのが「新田猫絵」です。#猫 pic.twitter.com/Yv5GwvPoTe
2015-06-15 21:20:34なお、この「新田猫絵」ですが、当主の手による肉筆画という制約上 量産が難しく、後には需要に対する供給が追い着かない事態となったため、岩松氏とは無関係な第三者(民間の絵師など)の手による作品や、木版摺りのものも現れることとなりました。 pic.twitter.com/BzDOfZzslR
2015-06-16 22:28:58上州新田郡の領主・岩松氏の18~21代当主が窮乏する台所事情の足しとして養蚕農家の求めに応じて描いた「新田猫絵」ですが、この度19代目の徳純の落款のある猫絵を入手。但し一般的に徳純の作として知られている形式(画像4枚目)とは画風や落款が異なるので真筆か否かは断定できません。#養蚕 pic.twitter.com/zl4p6cC2wP
2018-08-28 23:31:34なお、徳純の他の猫絵はこんな感じですが、基本的にほぼ横向きで頭を僅かに上げた上目遣いの顔の描写に特徴があり、目の周りに隈を入れることにより、何となく剽軽な表情となっているのが基本形となっており、もし当資料が真筆であれば、かなりイレギュラーな作品であるかもしれません。 pic.twitter.com/mfMJeiQ6XM
2018-08-29 00:23:09北信紀行:2016年5月2日
2~3日に掛けて信濃と甲斐の寺社めぐり、例によっての簡易レポなど【2日】夜行バスで長野駅に到着後、西方の信州新町の山間部にある玉泉寺さん(gyokusenji.naganoblog.jp)へ。三峯山の狼、牛馬安全、養蚕の各護符を拝受。 pic.twitter.com/in9KsE8o6y
2016-05-05 23:06:40甲州・南信紀行:2018年3月17~18日
甲信地方の養蚕信仰を辿る的レポ【17日】午前中に山梨県立博物館で3年前に開催された養蚕展のパンフを購入後、甲斐・善光寺さんへ。現在では既に頒布を行っていない蠶児菩薩さんの御影札ですが、たまたま残っていた物を御好意で拝受。なお、撮影禁止ですが本堂の奥に尊像もあります。#養蚕 #寺院 pic.twitter.com/DE9cJf8T3F
2018-03-19 22:16:40続いては中央本線で北上して長野県に入り、みどり湖駅で下車して塩尻市・上西条地区に鎮座する上西條神社さんへ。解説板に拠れば境内には蚕影山神社があるそうですが、3枚目画像の右側の社殿の鬼瓦や台の部分に繭型の装飾が見えるので、恐らくはこちらが当該の社であると思われます。#養蚕 #神社 pic.twitter.com/esdV0sEE5Z
2018-03-19 22:35:10当日の最後は上西條神社さんの北西に位置する飯綱山・常光寺さんへ。こちらでは裏手の高台に飯縄権現社があり、その左手に同所から出土し、現在は護摩堂に秘仏として祀られる「唐猫様」の姿を彫った石塔が。なお、かつては養蚕の護符も頒布していたものの現在では版木が所在不明との事。#養蚕 #寺院 pic.twitter.com/MXs4nQFZKl
2018-03-19 22:48:58【18日】辰野町で投宿した翌朝、同所の平出地区にある高徳寺さん裏手の高台に鎮座する蚕玉社さんへ参拝。同社は明治30年頃に茨城県・筑波の蚕影山神社さんからの勧請で、過去には御神影を摺った御札の頒布もあったようですが現状は不詳、加えて社殿も放置状態で痛みが激しいです。#養蚕 #神社 pic.twitter.com/3Xditr4MvQ
2018-03-19 23:03:50その後は、飯田線に乗って南下して飯田市・上郷別府地区の経蔵寺さん(日蓮宗)へ。こちらでは文政4年(1821)に作られた蚕玉神(金色姫)の御尊像を拝観。なお、同寺では現在も版木によって50センチ近い御影札などを摺札されており、要・事前連絡で拝受が可能となっています。#養蚕 #寺院 pic.twitter.com/v4FTQqRg3z
2018-03-19 23:20:40群馬北部紀行:2018年4月21日
去る21日、群馬県北部の養蚕信仰の痕跡をフォロワーさん達と辿ってきました。まずは沼田市・戸鹿野の東源寺さん(浄土宗)へ。かつては境内の稲荷堂に奉納されている狐の土人形を借り蚕が当たると倍にして返すという習俗があり、併せて本堂横にも荼枳尼天さんが別に奉祀されています。#養蚕 #稲荷 pic.twitter.com/JY87O0SwZZ
2018-04-24 22:38:51続いては沼田市・奈良町の正円寺さん(浄土宗)へ。こちらは沼田ロータリークラブの記事の中に馬鳴菩薩さんの像があることに触れられている程度で、殆ど前情報無しでの参拝。なお、御住職さんによれば4月7~8日が縁日だったそうで、祭礼の開始は大正5年からとのこと。御影札も拝受しました。#養蚕 pic.twitter.com/V1fWefrNVJ
2018-04-24 22:57:28お次は正円寺さんから斜め向かいの高台に鎮座する養蚕神社さんへ。こちらは昭和14年に利根郡内の各地で養蚕指導に当たった今村徳次郎氏を顕彰して茨城県・川浦町(?)の養蚕神社からの分霊によって建立されたもので、社殿内には品評会で褒賞されたとおぼしき繭の額が多数奉納されていました。#養蚕 pic.twitter.com/W4ophTsJmL
2018-04-24 23:11:20さて、今回のメインの別所厄除観音別当・正楽寺さん(天台寺門宗)へ。当代で22代目という御住職さんは年明け~3月にかけて地域のお宅に祈祷・配札を行い、また、求めに応じて三宝荒神(左)オシラ様(右)といった御覧の様な見事な幣束も自作されており、頒布されている御札も多種多様です。#養蚕 pic.twitter.com/7rp4ZRIucw
2018-04-24 23:43:22そして、ご自宅に隣接する本堂で御本尊のお不動様を拝した後、ご住職さんに御案内いただき、地区の外れの高台にある観音堂に参拝。そして蚕影堂の馬鳴菩薩さんの御尊像を拝観。こちらの像は厨子の墨書から、文政5年(1822)に沼田在住の仏師・原田定慶の作であることが判明しています。#養蚕 pic.twitter.com/uHaNKBh1pP
2018-04-25 00:00:01埼玉北部紀行:2018年3月23日