オング『声の文化と文字の文化』を受けての所感

@qothr による連ツイのまとめです。
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怪文書 @exograph

ʕ•͠ω•ʔ 視覚について補足。声を出してる母親の顔が見えなくなったりする——自己と他者という二者関係に第三者、父親が割り込んでくるというあの有名な話のこと。父が象徴するのは誰の視線でもない純粋な客観のことで、これはつまり、自分には見えない部分が忌々しくも存在しているという意識のことだ

2018-05-04 17:53:21
怪文書 @exograph

ʕ•͠ω•ʔ 余談。自己にとっては自分から見えている部分がものの外部で、見えていない部分が内部。これがヌーソロジーでそれぞれ人間の外面と内面と呼ばれる部分。では、どちらが真の自己なのだろうか? ヌーソロジーで「外面」と「内面」の語用が一般と逆になっている理由はそこにある

2018-05-04 17:55:28
怪文書 @exograph

ʕ•͠ω•ʔ 話を戻すと、ものの内部の意識は同時に、ものの周囲の空間が無意識化するということだよね。図と地の誕生。ここまで来れば、最初ににーにが示唆した、他者の人格の意識(視野平面ノ向コウ側ニアル何カ)が、ものの内部や言葉の単位といった認識の元になってるという話も理解できてくると思う

2018-05-04 17:58:42
怪文書 @exograph

ʕ•͠ω•ʔ しかし、「声」はいまだに「向こう側」から聞こえてくる。歌や声による話しが、書き言葉が優勢になった文化においてさえ、人々を統合しつつも個人の人格を浮かび上がらせる楔となっているのは、声のこうした効果——本質的な他者の側からやってくるものだからだと看做せるだろう

2018-05-04 18:15:00
怪文書 @exograph

ʕ•͠ω•ʔ マータ怪文書を拵えてしまった

2018-05-04 18:15:35
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