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@lematin @ponQ さらに/他方また。 「JK2:いかなる領域においても、特定領域における行為~相互行為には、──たとえば「原子力発電所の設立」や「実験室の実験」などなどに、政治的・経済的・法的・(中略)な事柄が付きまとうように──なにがしか他の側面も付きまとう」
2011-04-11 14:47:57@lematin @ponQ そして。これら(JK1、JK2)を踏まえたうえでいうと、領域社会学(or 連字符社会学)というのは、
2011-04-11 14:50:25・常識【JK1】を追認して「対象領域」を確保した上で、 ・常識【JK2】を「当該領域に登場する、他の(ex.経済的、法的、政治的 etc)側面も考慮する」という仕方で取り組まれる研究だといるように思われるわけです。@lematin @ponQ
2011-04-11 14:50:35(1)一方では、「各学科に制度的諸領域が成立しているか否か」を比較しているとともに、 (2)他方では、【JK1】と【JK2】という──対立するかどうかも直感的に自明ではない──常識的主張を対置している。 ……というように見えるのです。@lematin @ponQ
2011-04-11 14:51:13@lematin @ponQ まず、各学問分野において、対象のあり方の違いが議論の違いにも反映されてくるのは 当然のことでしょう。
2011-04-11 14:51:58しかし、その違いをそのまま 学科の「姿勢・傾向」の違いのようなものとして追認してしまうのは、単に(常識的資源をそのまま学的資源として用いてしまう、という意味で)常識との結託であるように思います。@lematin @ponQ
2011-04-11 14:52:04@lematin @ponQ しかも、お二人の議論が、(二学科の)「対象の違い」を、さらに「実践の捉え方」の違いにまで波及させてしまいかねない勢いで進んでいるように見えるので、そのことに対しても疑問を覚える次第です。
2011-04-11 14:52:14@lematin @ponQ 同様の意味で、このあたりの発言も気になります。 http://togetter.com/li/120354#tweet_id_19107458_53228030084120577
2011-04-11 14:52:35@lematin @ponQ 「経済や政治や宗教といった個別の領域が相互に浸透しあっている」というのは、──学術的な主張であるというよりは──ほとんど ただの常識的な主張【JK2】でしょう。
2011-04-11 14:52:58@lematin @ponQ そのことが「ANTを受け入れる理由」として──さらにひょっとしたらメリットとして(?)──提示されるのをみてしまうと、私としては、そこでは常識が資源として用いられてはいても主題化されて検討されていないのではないか、
2011-04-11 14:53:44@contractio @ponQ ちょっと考慮時間が必要な感じですね。何か掴んだ感じはあるんですが、うまく言語化できないでいます。まあ、僕も専門分野の方では、「前提にある常識の可視化と掘り崩し」を主張していたりするのですがw
2011-04-11 15:48:43「アメリカの人類学者の日本研究」と「日本の社会学者の質的研究」を対比すると面白いだろうか。同様に、「人類学のアフリカ研究」と「アフリカ社会学」の対比とか・・・。
2011-04-11 15:58:13それは面白いそう(日本の人類学者・社会学者による「日本人論」論てのは確かありましたよね)。 RT @lematin: 「アメリカの人類学者の日本研究」と「日本の社会学者の質的研究」を対比すると面白いだろうか。同様に、「人類学のアフリカ研究」と「アフリカ社会学」の対比とか・・・。
2011-04-11 16:09:14まとめていただいて何なんですが、結局@contractioさんは何がやりたいんですかね? それがはっきりしない以上は返答しても疲れるばかりなので、簡単に意図を教えてくれません? RT @contractio @lematin よろしくどうぞ。(ごゆっくり。) @ponQ
2011-04-11 17:37:06@ponQ ここまでに私が書いて来た以上の、どういう類の情報をお望みでしょうか。<結局contractioさんは何がやりたいんですか @lematin
2011-04-11 17:41:28