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武家の最高権威は「征夷大将軍」ではない?~権力者の複数称号や役の兼任について

昔の権力機構に、明確な組織論があるでもないので、いろんな有職故実に基づいて、なんとなく権威や権限が決まるところもあるようです。/自分はなぜか以前から「偉い人が、一つの権威に集中するのではなくどんどん役職や称号を『兼任』する形で権威や権力を増していく」形式に興味があり、征夷大将軍と他の称号に関する話も、それに沿って面白く読みました。
近世史 日本史 征夷大将軍 江戸時代 称号 徳川家康 まとめ管理人 中世史 歴史 世界史 朝廷
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日本刀♥LOVE @nihonnoto2
<征夷大将軍>本来は蝦夷を征討するための役職で、天皇によって任じられる。単に「将軍」とも呼ばれる。鎌倉時代以降は武家政権の最高職を指す。蝦夷は北方の対立勢力で、幾度の討伐を経ても滅びず、鎌倉時代以降徐々に同化していった。 pic.twitter.com/gxTpZqILnz
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まとめ管理人 @1059kanri
『幕府』とはそもそも近衛大将の唐名である、という観点から見れば、例えば鎌倉幕府の成立は頼朝が右近衛大将に成った1190年となるわけですし、室町時代でも、征夷大将軍より右近衛大将の官位のほうが重視されていたとも言われ、じゃあ「征夷大将軍」って何なんだという事になり話がこんがらがる
ののまる @nonomaru116
@1059kanri ただの故実、となりそうなのが怖いw
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 武士への軍事動員と指揮命令を正当化出来る根拠、ではあるのでしょうけどw
ののまる @nonomaru116
@1059kanri そういえば本当に蝦夷征伐に行っていた頃の征夷大将軍は天皇から「斧鉞」賜っていたはずですけど、頼朝以後はどうだったんでしょうね?
まとめ管理人 @1059kanri
武家の棟梁は「征夷大将軍」だと言いますが、どうも実際には征夷大将軍だけでは充分ではなく、足利義満以降になると「武家政権の長3点セット」として、征夷大将軍、右近衛大将、源氏長者、を包括することが理想とされたようで、実はそのうち征夷大将軍が、いちばんハードルの低い官位なんですね
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 そのあたり武家故実だとどうなってるんでしょうね
市藤勇美 @isami_ichifuji
@1059kanri そう言えば、家康も源氏長者とする手続きを、朝廷で行ったとか言う話をヒストリアか何かで見た記憶があります。
まとめ管理人 @1059kanri
@isami_ichifuji 室町将軍はこの3点セットすべてを必ずしも任官出来なかったわけですが、徳川将軍はもう最初からセット任官なんですねw
バカモン @PSYCHOPATHMASA
@1059kanri 秀吉はやっぱり「物凄い武力持った公家」なんですかね
市藤勇美 @isami_ichifuji
@1059kanri まるで新日本プロレスの三冠ヘビー級王者みたいな感じですね。三冠と称しながら、統一されてしまったせいで、1度に3つのタイトルが取れてしまうと言う感覚で。
まとめ管理人 @1059kanri
@PSYCHOPATHMASA どうも室町期、将軍家と摂関家は同格という考え方があり、また室町将軍も準摂関家として「天皇の執事」の役割を以て任じていたフシがあり、関白就任のチャンスが有った秀吉が「それなら将軍じゃなく関白でいいじゃないか」というある意味雑な発想から出たものではないかともw
水野修平 @mizunosyuhei
@1059kanri @nonomaru116 そもそも、源氏三代の将軍任命は「除目」で行われ、後に知られる「宣下」の形式が確立したのは宮将軍の時代と言われているので、頼朝の時の武家故実がそのまま後世に伝わっているとは思えないのですが(小声)。
チラ裏 @chiraura_work
@1059kanri @PSYCHOPATHMASA 秀吉は征夷大将軍任官の絶対条件としての源氏となるため足利義秋の養子になれるよう交渉をしてたって話をどっかで聞きましたぜ。結局うまくいかなかったので公家の藤原某と縁組をして関白になったとかなんとか。
バカモン @PSYCHOPATHMASA
@chiraura_work @1059kanri 自分が読んだ本だと秀吉はどうもはじめから関白狙いだった可能性が高いと書いてあったけど、結局今はどっちが有力なんでしょう?
花咲正直(鬼退寺桃太郎) @hanasakimasanao
@1059kanri 家康の事例を頼朝や尊氏に当てはめた江戸時代の学者が全部悪い( ・ω・)
ろうさん @smackis
@1059kanri 徳川秀忠なんかは、源氏の長者にはなれませんでしたが、右大将には任官されてましたね かつて田中角栄が、党三役で幹事長ふくんで政調会長か総務会長を歴任し、内閣でも外務、大蔵、通産いずれか2職を歴任してこそ総理の器的な事をいっていたみたいなので、いつの時代もかわりありませんね
垣谷主膳@シャク @shuzennokami
@1059kanri そういえばなんで「右」なんでしょう?武士の官位が員外の官になってる江戸時代ならどちらでもいい気がする、というか武士はなんとなく「左」を好むイメージがあったので気になりますね。
He100V8の皮をかぶったダメ人間 @Heinkel100
@1059kanri 秀吉は源氏長者を手に入れられなかった(義昭が手放さなかった)ので征夷大将軍を諦めて関白狙いにシフトしたとか、怪しげな歴史雑誌で読んだ記憶があります
まとめ管理人 @1059kanri
@shuzennokami 端的に言えば源頼朝が「右近衛大将」に任官したためですね。実は「左近衛大将」の方が格的には上であり、鎌倉3代将軍源実朝も左大将の方を望んだりしていますが、結局頼朝依頼の故実、という事になりました。中世も「いきなり一番格上の位」には任官しづらいのです、世間の目を気にして
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コメント

yama-yasu @otk_twit 2018年6月6日
そっか源氏出ないと将軍になれないというのは源氏長者になれないという所から来るのか
四式戦闘機 @ki84type4 2018年6月6日
秀忠が源氏長者・奨学院別当になっていないって話、これ定説なんだっけ。「その可能性がある」って岡野友彦あたりが言ってるってレベルだったと記憶してるんだけど。
山吹色のかすてーら @sir_manmos 2018年6月6日
インペラトールとプリンケプスとトリブヌスプレビスが皇帝になったようなもの?
小川靖浩 @olfey0506 2018年6月6日
さらに「源氏」も先祖をたどれば天皇の子であったが臣籍降下したから、という「地位に対する正当性」という部分も大きかったからな。同じく臣籍降下した平氏は幕府を開かなかったことから故実からとなると源氏から、となるけど兵士の子孫を名乗る武家も結構多かったんだよな、戦国時代の常として本当にそうなのかは別として。
文里 @wenly_m 2018年6月6日
平安時代、近衛大将の居所を「幕府」と言い出したのは誰かという研究は進んでいないのだろうか?
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2018年6月6日
元々、実際に働いているの俺らなのに格下扱いおかしくね?というのが平家や源氏の台頭じゃないかと
arabiannightbreed @a_nightbreed 2018年6月6日
秀吉が平宰相なのも、この辺の事情なのかしらん
三楽斎 @nekokagetora 2018年6月6日
源頼朝が官位の上では右近衛大将のほうが上なのに、あえて下位の征夷大将軍を欲したかを考えると、征夷大将軍=戦時の際の臨時職という位置づけが大事だった。戦時なので天皇の裁可を受けずに軍事行動や軍政が敷けることを根拠に幕府を開いたんでしょう。平時なら右近衛大将の身分では好き勝手にできないよ。
3dozen @tyusanda 2018年6月6日
秀吉が義昭の養子に云々は秀吉を貶めるための作り話じゃなかったけ?
ごん @nadushu_gran 2018年6月6日
@nekokagetora 前提として、頼朝は幕府を開いたという認識は無いよ。結果もしくは後世の歴史家達が鎌倉幕府と定義しただけで。 だから、頼朝が征夷大将軍位を欲したのはまた別の大義名分だよ。 また頼朝自体、”大将軍”位を欲しただけで、征夷大将軍を与えたのは朝廷側(征東大将軍の案もあったりなど)
文里 @wenly_m 2018年6月6日
a_nightbreed 信長が平氏を名乗っていたね。生前の官位の最高位が右大臣。死後太政大臣が追贈されたけど。
聖夜 @say_ya 2018年6月6日
結局足利義満が日明貿易開始に当たって将軍では相手にされず日本国王を名乗ったのがすべてで、対外的には征夷大将軍だろうが近衛大将だろうが天皇の配下であることに変わりはなくて、逆に対外的に王として認められるなら国内での地位などクーデター政権である武家社会にとっては最低限の形さえあればいいのです。なので頼朝も義満も信長も家康も、適当な顕職に任官されてほんの数年で退任しています。前(さきの~)という肩書さえあればなんでもよかったのです
令和の土星人@現場全滅 @4568Ts 2018年6月6日
「幕府」は征夷大将軍を首班とする武家政権、と定義されるのが通例だったけど、近年は平家政権の事を「六波羅幕府」と呼称したり、織田信長政権が「安土幕府」と呼称したりする例などがあり、武家政権=幕府くらいになってきてる感がある。征夷大将軍でなければ武家の棟梁を名乗れない、というわけでもなかったのだろう。
Daiji @Daiji75 2018年6月6日
頼朝の拠点が関東ではなく、九州とかだったなら。「征夷」の代わりに「鎮西」が使われていたのかな。
はよ @hayohater 2018年6月6日
源氏長者と奨学院淳和院別当は足利義満が村上源氏からとりあげたんだっけか。武家官位とはいえ、内大臣兼右大将兼征夷大将軍兼源氏長者。
k_wakita 5月が素敵なのはサンザシが咲くから♪ @k_wakita 2018年6月6日
教皇の三重宝冠を三冠とか呼ぶとスポーツ感が溢れてていいなあ。
ザクあき @zaku_aki 2018年6月7日
いちおうつっこんでおくけど三冠ヘビーは新日じゃなくて全日。
山吹色のかすてーら @sir_manmos 2018年6月7日
wenly_m その辺は「源平交代説」も関わってくる話なのかも。
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2018年6月7日
時代が変わって実力による支配になるところを貴族が血による支配の傘下におさめるためにあれこれ理由付けを頑張ったように思える。そう考えるのは司馬史観的かもしれないけど
やる夫 @okssk431 2018年6月7日
紹介されてた新書だと各地で自称将軍が濫立する中で将軍を統率する大将軍の官職が頼朝は欲しかったって説も出してたな。 そもそも鎌倉殿なんて呼ばれてた時点で鎌倉を根城にした武士集団の首魁と見られ半ば公認されてた訳で、それをどう呼称するかという話でしか無かったのかも。後世になるとそこら辺が逆転しちゃう。
泥水 @doromizu_inoko 2018年6月9日
武士的には京に居たいマンと京に行きたくないマンがいて、それぞれが都合のいい官職をつまみ食いしてるイメージがある。 京に居たくないマンにしたら東国なら征夷大将軍、西国で征西大将軍は親王がおおくて重いから大宰大弐辺り貰っとけば地元から離れなくていい理由になりそう。
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