『仮説的偶然文学論』コメンタリー

映画DVD見終わったあとのボーナストラックで、監督とか俳優とかが本編映像を見ながらあーだこーだ言ったりするじゃないですか? 要はアレです。
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荒木優太 @arishima_takeo

『仮説的偶然文学論』コメンタリー01/01.そういえば今回まだ書いてなかったな、といま気づいたので、プチ連載していくことにした。序章は「偶然を克服/導入せよ」。amazon.co.jp/%E4%BB%AE%E8%A…

2018-05-31 17:09:39
荒木優太 @arishima_takeo

01/02.導入は、中河与一がどんだけスゲーのかを示すために、二葉亭四迷のねじれた隔世遺伝として、中河の形式主義芸術論+偶然文学論を位置づけた。四迷は「形(フホーム)」と「意(アイデア)」の合体で小説ができあがるんだといったが、そのときフォームはアイディアに従属する。

2018-05-31 17:10:35
荒木優太 @arishima_takeo

01/03.中河も同じく、小説は形式と内容でできるんだと考えた…が、こっちは物質的な形式こそが内容を決定する。で、ここが面白いところなんだが、なのに、四迷も中河もどっちもフォームには偶然が忍び込む(からワルイ/イイ)と指摘する! くるっと回転してるんだね、面白いね。

2018-05-31 17:13:08
荒木優太 @arishima_takeo

01/04.絵空事で偶然を描こうとすると、自然、作者のアイディアが空回りするご都合主義に堕す。偶然NGの四迷の方が、たぶん私たちの物語感覚にフィットするはず。にも拘らず、中河は果敢に〈リアリズム〉に喧嘩を売っていく…でも、どうやって? 結局、成功したの? 本編のはじまりはじまり。

2018-05-31 17:16:19
荒木優太 @arishima_takeo

思ったけど、序章だから、ナンバリングは01じゃなくて00から始めればよかったな(『これエリ』のときも似たような失敗した気がする)。というわけで、1って見てるかもしれませんけど本当は0なんで心の眼でそう見てください。

2018-05-31 17:20:30
荒木優太 @arishima_takeo

01/01.これが真のゼロイチ。というわけで第一章「偶然性に時代」。中河与一って文壇から浮いた孤高の作家、みたいに表象されることが多いんだけど、実はそんなことなくって、流行に敏感なかなりミーハー男。前章で上げた評価を今度は下げるの章。

2018-06-01 15:06:08
荒木優太 @arishima_takeo

01/02.形式主義はデビューを支えた同郷の菊池寛の内容主義に感化されたものだったし、偶然論で用いるベルクソンは、行動主義の流行を取り入れたものだったし、そもそも偶然を取り入れようというコンセプト自体、横光利一のマルカブリだったわけだ。オリジナリティどこいった!

2018-06-01 15:07:20
荒木優太 @arishima_takeo

01/03.でも、そんなミーハー男も初期小説は結構いいんだぞ、ってところで次の章へ交代。ちなみに、九鬼周造はこの章で初登場を果たすぞ。あと全章のなかで一番短いぞ。

2018-06-01 15:08:49
荒木優太 @arishima_takeo

01/04.そんな「偶然性の時代」(章題を間違えていたぞ)。

2018-06-01 15:10:50
荒木優太 @arishima_takeo

02/01.第二章は「中河与一『愛恋無限』と日本的伝統」。織田作之助は『競馬』という小説を筆頭に、「可能性の文学」の実作化を(勿論、将棋もだが)競馬という博打に託した。それに先立つかのように、名実ともに偶然文学論の実作として発表されたのが『愛恋無限』。

2018-06-02 17:03:48
荒木優太 @arishima_takeo

02/02.この長篇、はっきりいってまともに読んだら、ちょっと馬鹿々々しい話すぎて、捨てておいていい感じもするのだが(横光のいくつかの長篇がそうであるように)、人磨の引用からのモダンガール智子の転向が、中河自身の日本浪曼派急接近を読む上で大事。

2018-06-02 17:04:40
荒木優太 @arishima_takeo

02/03.あんなにベルクソンとかハイゼンベルクとかいってたのに、保田与重郎と仲良くなった途端、「西洋のものを無節操に受け入れるのはいかがなものか」(意訳)とか言い出して、ウケる。偶然偶然いってるとナショナリズムに飲みこまれちゃうんじゃないの?という本書の通底音をなす問いかけ。

2018-06-02 17:06:01
荒木優太 @arishima_takeo

03/01.第三章は「国木田独歩『鎌倉夫人』と主題〈場所性〉」。独歩の『病床録』には〈太公望の哲学〉と呼ぶべき魚釣り心得がある。独歩作を通読している人にはピンとくるだろうが、独歩のテクストにおいて主人公が重要な出会いを果たす場面では、しばしば釣り場が設定されている。

2018-06-03 18:12:59
荒木優太 @arishima_takeo

03/02.『鎌倉夫人』はその代表作。偶然の出会いを実現するには、エイヤという乾坤一擲ではなく、適切な場所を見極めて静かに待つ釣り人の構えを身につけるべき。テクストはそれを教えている。別言すれば、偶然を野放図に描いて事足れりとする単純な偶然文学にはない確率の観点が活きている。

2018-06-03 18:15:59
荒木優太 @arishima_takeo

03/03.これがフリになって寺田寅彦篇への布石となる。ちなみに『鎌倉夫人』の愛子のモデルは佐々木信子だから、有島武郎『或る女』のモデルでもある。私の独歩研究への関心は、実はプレ有島文学としての独歩に由来するが、さらにちなむと、私が多喜二をやってたのはポスト有島文学だったから。

2018-06-03 18:18:20
荒木優太 @arishima_takeo

04/01.第四章は「国木田独歩『号外』と主題〈外部性〉」。九鬼周造が偶然の第一の情緒に驚異を挙げたように、偶然文学とは「驚きたい」の文学でもある。独歩で驚異といえば勿論『牛肉と馬鈴薯』だが、まずは『号外』から。そうそう、驚異とはタウマゼイン、哲学を開始させるものでもある。

2018-06-04 19:54:15
荒木優太 @arishima_takeo

04/02.独歩は数学嫌いだから、文学に数の連続に組み込まれないワンダフルなものを求める。この短篇は正しく数=号(ナンバー)の外部として号外(エクストラ)を発見するのだ。それだけでなくて、号外男こと加藤男爵のアレな姿は、ナショナリストの残念な姿も批評していると思うわけである。

2018-06-04 19:56:30
荒木優太 @arishima_takeo

04/03.この章で花袋の独歩評、つまり「驚きたいっていっても人間って疲労するじゃん?」もでてくる。これは偶然を感受する前提となる有限な身体の問題へと通じ、第二部の中河論にも響いてくる構成。(中河論を分割=パートの始まりを中河で揃える構成、我ながらいいアイディアと思った記憶アリ)

2018-06-04 19:59:29
荒木優太 @arishima_takeo

05/01.第五章は「国木田独歩『第三者』と主題〈感性〉」。驚くことは感じることであって、魚住折蘆的な「好奇心」でないことは勿論のこと、医者が患者の容体を知るような「知ること」でもない。これを、独歩のカント理解が超越主義的=エマソン的に歪曲していることを確かめつつ論じるの章。

2018-06-05 20:01:36
荒木優太 @arishima_takeo

05/02.しかし、『第三者』って、ザ・偶然の乱用って感じの小説だよね。ご都合主義もここまでくると、むしろ清々しい。ちなみに、ここで柄谷行人の起源論と同時に宿敵・亀井秀雄に言及しているよ。

2018-06-05 20:03:07
荒木優太 @arishima_takeo

05/03.亀井は柄谷に「身体の捉え方なっとなん」と叱っていたわけだが、私は視向性の概念を華麗にスルーして(するんかい!)、身体のもつ有限性に注目する道筋をとった。無限の宇宙を夢見ちゃうドリーマーも、寝て起きて飯食うじゃん的な。

2018-06-05 20:03:59
荒木優太 @arishima_takeo

06/01.第六章は「国木田独歩の諸作と主題〈断片性〉」。アレだな、YouTubeを追い抜きそうだな。ま、そうはどうでもいいんだが、未完の『渚』から出発して、独歩文学ってそもそも海岸に打ち上げられた漂着物みたいなもんだよね、みたいなお話。

2018-06-06 19:13:04
荒木優太 @arishima_takeo

06/02.数学者と文学者の対照だけでなく、偶然を断片的に捉える者と偶然を重合的に捉える者の対照もここで出てくるが、この視点が、中河与一に対するツッコミ、「お前偶然がどうのこうのいう割には最終的に運命に回収させてんじゃん」につながる。

2018-06-06 19:14:07
荒木優太 @arishima_takeo

06/03.『愛恋無限』の「一致」には断片性がなくって日本の古典に遡行するナショナリズムがセメント的にその壊れやすさを塗り固めているよね、と(同じロジックは寺田寅彦の連句論にも見出されるのだという私見)。

2018-06-06 19:15:10
荒木優太 @arishima_takeo

07/01.第七章は「中河与一の初期小説と主題〈伝染性〉」。昨日休んでしまった…気を取り直して、ここから第二部のコンテイジョン篇。第一部は偶然を主にコンタクトとして理解していたが(鴎外『青年』にはそうでない触れ合い方が描かれていたが)、ここからは触れかどうか不明瞭なミクロな接触。

2018-06-08 19:44:15