『仮説的偶然文学論』コメンタリー
- arishima_takeo
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偶然論者たちに私が不満を感じるのは、物語の体系を突き破る特異点として偶然を評価する一方で、偶然が体系化の始発点になってしまう(或いは体系に絡み取られてしまう)面を無視しすぎじゃないかってことなんだな。偶然偶然いうわりには、運命大好きで、じゃあ偶然じゃなくってもいいじゃん、と。
2018-06-15 14:44:26加藤典洋は偶然の死を押しつけられた日本兵士をその無意味のまま哀悼することの必要を歴史主体論争で説いたが、私の理解では、人間にはそんなことできないんだな。英霊がどうのとか犬死にがとか、修飾語が意味をすべりこませるから。そして言葉とは修飾語だから。
2018-06-15 14:48:48千葉雅也っぽくいえば、非意味的切断は結構なんだけども、人間はその非意味をほっとけるほどクールじゃなくって、いつも意味のコーティングにやきもきするんだな。
2018-06-15 14:50:57別にそれ自体が悪いとも思ってなくって(というか悪いって言っても詮ないので)、そのコーティングにはどんなタイプの意味が選択されやすか、他の意味はなぜ選択されないのか、選択したらどうなるのか、といったことを知っておくのがまず大事なんじゃないかな。『仮説的偶然文学論』は要はそういう本。
2018-06-15 14:52:39ああ、一応断っておくと、若い子たちが、自分のなんてことのない人生や客観的にみればかなりどうでもいい他人との出会いに、意味過重なコーティングをかけること自体はそんな悪くないというか、寧ろ普通のことだと思うよ(そういうユメミガチがなければ文学とかも生まれなそうだし)。
2018-06-15 15:06:12でも、そこでユメミるための道具が日の丸って、いや、お前らマジでそんなシンボルにリアリティあんの?って感じがするんだよな。
2018-06-15 15:08:58日の丸愛せなくたって日本愛せるし、日本愛せなくたって日本人愛せるし、日本人愛せなくたってキャラクター愛せるし。日の丸なんて古臭い記号よりも、滝くんとか三葉の方がずっと生き生きしてたじゃん、とか思うわけだな。
2018-06-15 15:10:29今度B&Bでご一緒する吉川浩満さんは「不条理」を(種々の理由で)「理不尽」と言い換えていますが、その言葉を私流に借りれば、「どうしてこうなった/他のようでもありえた」という形而上学的感覚をもった存在(=人間)の偶然に対する受け止め方の一つ、といえるでしょう。
2018-06-15 18:09:44私と吉川さんとで違いがあるとすれば、「受け止め方の一つ」なのかどうかの点、つまり私はもっとたくさんの受け止め方がありえた(える)んじゃないか、もっとたくさんの形而上学がありえるんじゃないか、と考えていることにあるかもしれません。
2018-06-15 18:12:30いまの形而上学がすべての形而上学じゃない、経験的な偶然の受容の型を超越論的領野へと転写する仕方で逆行的につくってるだけだから、みたいなことをずっと考えているんだな。
2018-06-15 18:14:07たとえば、もし何度でも生まれ変わるはずだみたいな宗教感覚をマジで信じていたら、ハイデガー哲学とかあんま信憑性なくなると思うんですよね。言い換えると、ハイデガーにリアリティを感じ(させ)る〈前‐哲学的なもの〉があるはずで、そういった思想を支えるものに私はずっと興味があるんだな。
2018-06-15 18:21:11私は哲学書をまったく読まないわけじゃないけれど、哲学自体にはあんま興味がないっていうか、いや、勿論難しいからよく分からんというのもあるけれど(たと大抵外国語だし)、率直にいえば「ものはいいようじゃね?」とか思っているんだな。
2018-06-15 18:25:55私が面白く思うのは、本来「ものはいいよう」であっていいはずなのに、ある思想が覇権を握ったり、私自身が読んでいて「ここに真実がある」と心揺さぶられるような経験をしたとき、なんでそういうことが生じちゃうんだろう、なにがそれを支えているんだろう、という一個メタな問いなのかもしれない。
2018-06-15 18:27:20ああ、そうか、「いいよう」こそ本質、「いいよう」だけが本質だと思っているから、だから「いいよう」しかない文学やってるんだな、いま自分のことに気づいたよ。
2018-06-15 18:40:15